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重源ゆかりの子院判明

Photo(九体寺内部)

俊乗坊

(

しゅんじょうぼう

)

重源

(

ちょうげん

)

(121~1206)源平時代って

1180年)の焼き打ちで消滅した奈良東大寺を再建した功労者として知られている高僧である。

その重源にゆかりの深い遺跡として知られている京都の

(

かや

)

ノ社

(

のもり

)

遺跡全貌った。(京都新聞8
21日)

栢ノ社遺跡は

源師

(

みなもと

)

(

もろゆき

)

って寿2
年(1155年)に建立された醍醐寺の子院と称される寺、平安後期の「醍醐雑事記」にも栢社堂と記録され、そこには八角2階建てと云う珍しい形の「大蔵卿堂」、「九体丈六堂」と「三重塔」の3棟の建造物の記録がある。

この栢社堂の存在を示す跡地は永い間不明であったが、昭和48年(1973年)に住宅建設の事前調査で、周辺に南北に2棟の建物跡と庭園跡、それの北側に平面形が八角形であると認識され、これが史料にある「大蔵卿堂」と推測され、史料の通り「栢社堂」址との認定に至った。

面白いことにこの形式が兵庫県小野市の浄土寺(国宝)、「浄土堂」と同じ規模であり、これが重源が宋から将来した「大仏様」と称する技法で建てられたことで知られていたが、これと同じ技法で栢ノ社の九体丈六堂が建てられていたことが判明した。

今日まで所在がハッキリとしなかったがこの度始めてこれが九体丈六堂の南側に存在していたことが判明した。

栢ノ社の建物がすべて桧皮葺として伝承されていたのに多くの瓦が発見されて疑問がもたれていたが、その場所に三重塔があったとすれば何も不思議ではないとと思われる。

栢ノ社跡地は醍醐寺の南約1キロの醍醐寺子院金剛王院(一言寺)の建つ丘のすぐ南の地点にある。

阿弥陀仏を九体安置する「九体丈六堂」であるが、これの最古の形式と思われるものが奈良の浄瑠璃寺(九体寺)―写真―、それに京都花園の法金剛院にも存在する。この栢ノ社の例を知り、九体阿弥陀像の並置形式に何の教義的意味があるかを知りたいと思っている。

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