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焼け残った法隆寺金堂壁画「飛天図20面」

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終戦間もない、昭和24年(1949年)1月26日の早朝、日本最古の木造建築、法隆寺金堂から出火、金堂の外陣の土壁に描かれていた12面の壁大半が黒こげ状態になりその名で小壁に描かれていた羅漢図(18面)は全く跡形もなく消火の際に粉砕されてしまった。

当日、午前5時頃住職の佐伯定胤が朝の勧行をおこなった時には異常が見れれなかったと云われている。

その当時金堂は修理の為半ば解体が進んでいた、従って、内部にあった釈迦三尊像等の仏像は大講堂や大宝蔵殿に移されていたので難を免れた。

既に相当以前から損傷が進んでいた金堂壁画の保存の目的で、数名の専門画家により精緻な模写が昭和15年頃より始まっていた。そこで金堂に照明器具の蛍光灯と保温用の電気座布団が使われていたことが判り、結局、火災原因はこれらの電気器具の不具合の為と云うことで落ち着いた。

一般にはこの際の火災ですべての壁画が焼失したと思われているふしがある、しかし、実際は、焼けたのは外陣の壁面にあった12面の壁画で、内陣の子壁の飛天を描いた20面は、それ以前に外されて別の場所にあった為難を免れた。(写真)

法隆寺金堂の壁画は、その特異な存在と歴史的意義から、明治初期より重要な歴史的遺産として研究がなされていた。それが関係者の不注意から損傷を受けたことは誠に残念なことと惜しまれる。

昭和29年(1954年)に金堂は解体修理を終えて復旧したが、外陣の壁は空白のままであった。

昭和42年(1967年)になって、法隆寺の発願、朝日新聞社の後援で、改めて本格的に壁画再現が始められ、それに、当時の日本画壇の代表的画家、安田靫彦、前田青邨、橋本明治と吉岡堅二の4人が、それぞれの班を組んで事にあたることとなった。

2008年の6月半ば、奈良国立博物館で「国宝、法隆寺金堂展」が開催されて、筆者も出かけて国宝、文化財に満ちた金堂の内部を照明の行き届いた展示室で見ることが出来た。(めったに得られない経験)

金堂の壁画再現に当たって、最も大きな貢献を果たした資料として、筆者は京都の老舗出版社「便利堂」が昭和10年(1935年)に作成した、オリジナルの壁画を原寸大で映写した、モノクロ及び、赤外線写真、色分解写真の存在を特記して称賛したいと考える。

これらはカラー写真の技術が未だ普及していなかった、昭和の初期に、フィルターを使用して4色分解の技法を駆使して作成していた意義は大きい。

便利堂はは昭和13年にはコロタイプ印刷で金堂壁画の複製も制作している。

写真:火災を免れた飛天図と毎日新聞の記事面

Houryuuji

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