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"Manifest Destiny"(マニフェスト・ディスティニー)

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Manifest Destiny(マニフェスト・ディスティニー)ほどアメリカで言い古された、又、誇張され続けた「標語」はないと筆者は考えている。

筆者の考えるところ、この「標語」は、我が国では“明白な天命”、“明白な運命”と便宜上、翻訳されているが、これにはもっと深いアメリカ人の思い込みが秘められており、標語に近い、云わばアメリカ人の19世紀における“スローガン”と思って間違いは少ないのではないだろうか。

これの意味するところ、即ち“君たちは「西」に向かって進みなさい、何故なら、それが君たちに神が与え給うた運命なのだから。”であった。

ジョン・オサリヴァン(John L. O’Sallivan, 1813-1895)が提唱した有名な論文で、1845年、Democratic Review誌で発表されるや、一気に支持者が増して、19世紀のアメリカでの代表的「標語」となった。

1845年、第11代大統領、ジェームス・ポーク(James Polk)が政権を握るや、アメリカは一挙に領土の拡張に走った。

オレゴン州への入植、テキサスの併合、メキシコ戦争(1845-48)、が終わると、ゴールド・ラッシュ(1849)が始まり、何10万と云う人口がカリフォルニアをめざした。

これの目指す目的は「聖戦」のスローガンのもと、先住民、アメリカ・インディアンの殺戮と、保護地区への囲い込みから始まり、一挙に増えたヨーロッパからの白人移民による西部の開拓を迅速に進める事であった。

世紀末のフレデエリック・ターナー(Frederick Jackson Turner)の提唱した“フロンティアー論”への傾倒で、ウイリアム・マッキンレーの暗殺で,第26代大統領となった、テェオドール・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt)の時代には、アメリカ帝国は、一大資本主義国家の道を進みだし、20世紀初頭から、マニフェスト・デスティニー思想は太平洋を西に向かって進み、ハワイ、グアム、フィリッピン等を併合して、勢いを増したことは、今では自明のこととなっている。

これには白人、特に、アングロサクソン・プロテスタント(WASP)の主張するネーティヴィズム(Nativism)の考えの「人種差別」思想が底流にあったことは否定できない事実であり、西洋の東洋支配もこの時点で自然に正当化されたのではないかと思われてならない。

21世紀に移り、ソヴィエト連邦の崩壊から、新生「中国」の勃興、西側の勢力の衰退は日を追うごとに顕著となり、小国日本の運命は、その間、大海にもまれる小舟のように「さまよえるジャパン」そのものになりつつある事を憂慮せざるを得ない昨今であることは嘆かわしい限りである。

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