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天皇陵墓と宮内庁

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奈良県橿原市見瀬町に巨大な円形の古墳があり、これが見瀬円山古墳と呼ばれているものである。これは丘陵の傾斜地にある巨大な前方後円墳(前長318メートル、前方部高さ15メートル、幅210メートル、後円部の徑155メートル、高さ21メートル)である。

この規模は奈良県では最大、全国でも第6位に位置され、古墳時代後期後半と思われるものの中で最大とされている。円山と呼ばれていた理由は、これが丘陵の傾斜地にあって、あまりにも大きかった為に、全貌が把握できず、前方後円墳でなく、丸い古墳であるとして“丸山”と呼ばれることとなったと思われる。

横穴の前長が28.4メートル(全国第一)羡道は1枚の長さ4.8メートルの巨石6枚で天井を覆い、長さ20.1メートル、幅1メートル以上、高さ約1.5メートル。 玄室の長さ8.3、最大幅4.1、高さ4.5メートルで、二つの袴抜式家型石棺がL字型に置かれている。玄室内は土砂がかなり堆積していて石棺の詳細は判明出来ないが、奥棺はその蓋の長さ2.42、幅1.44、高さ0.42メートル。(以上、グーグル・ウエキペディア参考)

この遺跡に関しては、既に江戸から明治期に、度々調査がなされている。特に明治初期にお雇い外国人、ウイリアム・ゴーランド(William Gawland,18421922、イギリス人科学者、考古学者)に依って入念に調査され、水に埋もれていた石棺の状態が紹介された。

江戸時代の幕府の行った調査で、一時、天武天皇及び持統天皇の合祀であるとされた。ところが明治11年になって天武天皇陵の盗掘犯の調書が世に出て、宮内省は急きょ、丸山古墳を天皇陵指定から外し、この一部だけを{陵墓参考地}に格下げしてしまった。

見瀬丸山古墳に関しての記述はこれまでにいくつか残っているが、本格的な学術調査を宮内庁は理由不明のまま、永く拒否してきた。

ところが、全くの偶然から、このような事情に関わりのない、イノセントな子供の発見からこれが白日のもとに曝される結果となった。

それは平成3年(1991年)1226日のことであった。テレビ朝日のニュースステーション番組で突然内部写真30枚が公開された。

発端は、19915月、古墳の近くで遊んでいた小学生が、たまたま石室入口が開いているので内部に入って、そこに大きな石組のある地下組織を見つけた。

その子供は早速その事を父親に知らせた。その父親は翌日の早朝(530日)にカメラを持ってその(古墳)内部を撮影して、先ず朝日放送に連絡に及んだとのこと。報告を受けた朝日放送は送られてきた写真から、これの重大性を予見し、早速、宮内庁に“事件”の放映の伺いをたてたところ、「常識に任せる」と云う不可解な返事を受け取った。

熟慮の末、朝日はそのニュースを同志社大学の森浩一教授に知らせ、森教授は、これを話題に取り上げ、1210日大阪講演の話題とした、その後、暫くして、朝日はニュースステーション番組で撮影された30枚の見瀬丸山古墳の写真を大々的に好評した。

これを見た多くの庶民から強い関心が寄せられた。古墳研究専門家達からも、これら写真の持つ学術的価値は極めて高いものがあると、一時センセーションとなった。

1992810日から宮内庁書陵部は略式的な調査の後、開口部の閉鎖工事に取り掛かった。

宮内庁は国民の関心を払いのけるように何故「陵墓」の事になると秘密を守ろうとするのだろう?

これらの現場を封印して国民の目から遠ざけることで、これまで多くの貴重な文化財が損傷してしまった例を多く見てきている。

彼等は何時までこの「秘密主義」を貫くつもりなのだろう?

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