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世界最初の切手の出現

Penny_black Photo

郵便切手は最初(1840)イギリスで生まれたことは広く知られている。

イギリスの切手は何処かに国王や女王の肖像が印刷されているので、それが英国の切手であることが判別できる。

何処にも「国名」が表示されない、世界で唯一の郵便切手がイギリスのものであることを知っている人は案外少ないのではと思うのだが。

それはペニー・ブラック(penny black)と呼ばれる、若き日のヴィクトリア女王の横顔が印刷された、黒色の1ペニー切手で、その発行は1840年である。

プリペイドシステムを取り入れた郵便切手の誕生は、そのアイディアーに到達するまでに多くの紆余曲折を経ている。

郵便配達のシステムは当初では、受取人払いになっていたことが知られている。

1839年、イギリス大蔵省は新しい切手の発行にコンペティション方式をとると発表した。

その5年前に火災で焼失した議事堂(1834・10・16)の再建にもオープン・コンペティション方式が用いられ、ウエストミンスター寺院のゴシック様式をとるか、或いは、エリザベス朝様式を取り入れることを条件で応募した結果、集まった1400件の中からチャールス・パリーの設計が採用され、ビッグ・ベンのあだ名を持つ大時計付きの建物の着工がなされた。(完成1852年)

ヴィクトリア女王の戴冠式は1837年であり、世界最初の切手をかざるべく、15歳の頃のヴィクトリア女王の肖像は何にもまさるチョイスであった。

沢山寄せられたアイディアーから結局、ローランド・ヒル(Sir.Rowland Hill,1795-1879)のデザインが採用される結果となった。

切手アイディアー・コンテストの通達は「官報」と「タイムズ」紙上で行われ、民主的な公平性のもと、ビクトリア新時代の門出にふさわしい、世界最初の郵便切手となった。

何故プリペード式郵便切手の採用に、これほど時間を要したのか、筆者は疑問を持っている。

何故なら、prepaid式切手と、かの悪名高い”stamp act”(印紙法、1765年)のアイディアーには何処に違いがあるのだろう?

印紙法とは、フレンチ・インディアン戦争の末、財政難に落ちいった宗主国イギリスが、財政難打破を期して、すべての出版物、証券類、果てはトランプにまで課税する目的で編み出された「新法」で、これに殖民地人が反対して暴動がおこり、イギリス製品の不買運動にまで発展し、政府はその翌年(1766年)それを廃案にした有名な事件である。

印紙法は、ボストン虐殺(Boston Massacle,1770)、ボストン茶会事件に匹敵する程、殖民地人達を刺激し、アメリカ革命の火種となったものであった。

印紙法のアイディアーこそ、ぺニー・ブラックに代表される郵便切手で、その原型は、既に75年前に存在していたと思っていた。

我が国でも「収入印紙」と呼ばれるものと、「郵便切手」は、ともにprepaidであり、利用方法に何らの違いが認められないにかかわらず、mailing stampの出現が収入印紙(stamp tax)から75年も遅れをとったのだろうか?

料金の設定には、最初、1ペニーでは少額過ぎ、赤字になると反対安も出たらしいが、結局“安価ならば需要が増え、経費が賄える”と云う意見が大勢を占めた。

その結果、1838年には7千500万通であった郵便物の量は、1864年には早くも、6億4200万通に増加した。

(写真:ペニー・ブラックと

その印刷機械)

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