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破壊された「神宮寺」

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「神宮寺」は聞きなれない呼称であるが、神仏習合思想から、神社に付属して建てられた仏教寺院の総称で、別に「仏堂」「別当寺」、「神護寺」、或いは、「宮寺」の呼び名がある・

卑近な例では、石清水八幡宮(寺)、鶴岡八幡宮(寺)のように神祇の祭祀を目的として神社を境内の中心にした仏教施設があって、実際は寺院主体の運営に委ねられていた神仏習合の施設のことである。

神宮寺と神社の関係はハッキリとは定まってなく、その主従関係はアイマイなところが多い。

上賀茂神社では神社が主体で、その中に小規模な仏教寺院があった。それに反して、日光東照宮では「大社」であったがその運営は寺院(輪王寺)が運営を掌握していた例もあった。

明治期の「廃物毀釈」の騒動で、多くの仏教寺院が破壊されたの後でも、「荒神」や「権現」の名を冠する「神」か「仏」かの見分けのつかない宗教対象は未だ「存命」している。

その最たる存在が金峯山であり、聖護院の存在であるといえよう。

神祇の為の寺院が「神宮寺」とすれば、神社の存在が先であり、仏教寺院の為の神社では「鎮守社」となり神社は寺院の付帯施設となるのではと考える。

即ち、どちらが主体であったとしても「中世」では、あまり問題は起こらなかったが、明治の廃物毀釈のときには、それまで僧侶の下に呻吟していた神官達のうっ憤が爆発して、大がかりな寺院の破壊や焼き打ちに拡大していった感がある。

京都に於いては、先ず、祇園社、次に八幡の石清水八幡宮等にて、大がかりな破壊行為がなされた。

奈良では、現在、国宝指定になっている興福寺の五重塔(写真)が壊されて売却(代金25円)される運命にあった。

興福寺と関係の深かった、天理の「内山永久寺」に至っては、寺領没収、廃寺となって多くの僧侶が還俗し、石上神宮の神官となり、多くの重要な堂宇や什宝はことごとく破壊、或いは略奪にあった。(重要宝物別記)

日本国内で仏教寺院に対する破壊度を見ると、国学の盛んであった地域程被害が大きかったことが判る。例えば、薩摩藩では寺院は会1616、還俗僧侶数、2966人に上ったと云われる。

仏教の排斥運動の理由としては、尊王思想の普及もさることながら、寺院、僧侶の特権意識に対する民衆の反感や、藩政時代の特権の喪失による仏教は、檀家制度に依存度を増したことに依る腐敗もその一因であったと思われる。

明治政府による仏教の軽視で「神道」が蘇ったと言っても、それは単に国威の発揚に利用されただけのことであり、残念ながら「神教」としての母体が未だ確立していないように考えられる。

例えば、京都の平安神宮を例に考えれば、これは単に「京都遷都1100年記念行事」の目玉として考え付かれた、云わば、副産物である。

東京遷都後、何か京都市民の娯楽として考案されたのが「時代祭」であり、内国博覧会や岡崎動物園、図書館等であった。

平安神宮が竣工するまでは、その周辺に平安時代から続いていた、六勝寺が存在し、北は吉田神社から祇園社まで直線で結ばれていた町並みがあったが、そこに巨大な新しい神社「平安神宮」が建立され、既存の町並みは壊され、周辺の関係書類は焼かれて消滅したのか「不明」となり、それぞれの氏子の存在にも混乱をきたす結果となった。

少し横道に逸れたが,環境問題を重視する京都市政の考えで、けばけばしい朱色の平安神宮と場所違いに見える大鳥居の存在が周辺の環境に如何にマッチしているのか、その見解を尋ねたいと思っている。

註:旧内山永久寺から失われた文化財:

  出雲建雄神社の割拝殿(国宝)奈良、石上神社所有

  元永久寺鎮守の拝殿(石神神社)

  両部台経感得図(国宝)大阪、藤田美術館蔵

  木造持国天、多聞天像(重文)奈良東大寺

  木造四天王(重文)東博、静嘉堂文庫、MOA美。

  康円柵四天王の眷属彫刻:

  木造不動明王及び八大童子像(重文)東京・観音寺蔵

  真言八祖行状図(重文)出光美蔵

  愛染明王坐像(重文)東博蔵

  その他、多数。

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