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狡猾なイギリス外交

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旧約聖書によると、パレスティナの地は、神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、このためヘブライ語では「エレツ・イスラエル」(Eretz Yisrael)とも呼ばれる。

後に、ユダヤ教から別れてキリスト教が興ると、聖地として世界中の信徒から重要視されるようになった。

ユダ教やキリスト教の影響でアラビア半島に興ったイスラム教もエルサレムを聖地としたことで、三つの宗教の聖地のエルサレムを包含するパレスティナは宗教的に大きな問題をかかえる「争奪の地」として、バルカン半島のように、世界の火薬庫と呼ばれるようになった。

ウイーン生まれのジャーナリスト、テオドール・ヘルツエル(1860-1904)は著書「ユダヤ人国家」を表し、“土地なき民を、民なき土地へ”と訴えて、1897年、スイスで第一回「国際シオニスト会議」を開催してユダヤの民のパレスティナ復帰を訴えた。

シオニズム運動に同情的指導者が少なくなかったイギリスでは、当時獲得して間もなかったアフリカのウガンダを、ユダヤ人の民族的故郷として提供する用意のあること示唆したが、シオニスト指導者らはこれを拒絶した。

ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ系の財閥の援助で、この頃からユダヤ人による、パレスティナの土地購入や移住が見られるようになった。

シオニズムの指導者たちのイスラエル復帰の運動がさらに激しくなったのは、クリミヤ戦争を契機に始まった。

その後、オスマントルコ政府による、パレスティナ失地て、聖地エルサレムの支配に終止符がうたれた。(第一次大戦)

その時、ドイツに加担して戦ったトルコは一時、パレスティナからシナイ半島、又はスエズ運河の線まで攻め込んだが、イギリスを主体とする連合軍の反撃でエルサレムは1917年陥落した。

ここに、1915年の「フサイン・マクマホン書簡」(McMahon-Hussein Correspondence)と云う、エルサレムに関する問題を、イギリスのエジプト高等弁務官、ヘンリー・マクマホンが、メッカの豪族で、予言者に血筋にあるハシム家の当主フサインと取り交わした一連(11915714日から1916130日迄)の書簡がある。

これらの書簡に書かれた内容は、イギリスは、もし、アラブ人がトルコに対して反乱を起こし、連合軍に協力をする事になれば当時、トルコ領のアラブ人居住地区にハシム家を君主とする独立国家建国を認めると云うものであった。

(アラビアのローレンス関係著作参照)

しかし、イギリスは1916516日付で戦後に於いて、フランスとロシア三国で、トルコ領土を分け合うことを“サイクス・ピコ協定”で秘密裏に約束していたのである。(Sykes-Picot Agreement)(註:ロシア革命の直後ソヴィエト政府がこの内容を暴露)

それに加えて、イギリス外相、バルフォアーが191711月、ロスチャイルドに送った書簡“バルフォアー宣言”がある。

イギリスは1915年から17年の2年間に三つの違ったグループと全く相違った約束とも放言ともつかない“Agreement”で世界を混乱に陥れたことになる。

1917年まで、オスマン帝国の支配下で、パレスティナの中心都市エルサレムは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの宗教の聖地として存続していた。

ところが、第二次大戦後の1948年、ユダヤ人に「イスラエル国家」の建国が国連決議で決まった頃から、実に62年間、中東に平和な時代がまったく亡くなっってしまった。

何故国連はイスラエル建国を許したのか?

エジプト、サウディ・アラビア、クエイト、シリア、リビア、アルジェリア

キプロス、ヨルダン、レバノン、チュニジア、モロッコ等、12カ国は全てヨーロッパ列強の都合で独立が許されて出来たものである。そこに何故、パレスティナが国家として存在しないのか疑問が残る。

1948年、イスラエルの建国を境にして、平和がこの地から失われたのは何故なのだろうか?

2017年で、トルコのエルサレム失地から100年となる。912日エルドアントルコ首相が、カイロを訪問、エジプトの最高軍事評議会議長と会談、両国間の戦略的関係強化を話し合ったと云われる。

最近のトルコ、イスラエル関係が悪化している時だけにイスラエルとしては気にかかる事件である。

エジプトでも、トルコのイスラエル外交官追放に倣って、イスラエル外交官を追放せよとの声があがっている。

昨日の新聞報道では「パレスティナ暫定自治政府」が国連理事会に建国の意思表示をする予定であることを報じているが、アメリカはこれに対して拒否権を行使して阻害する姿勢を明らかにしている。

60年前に、アメリカはイスラエルの建国に努力したが、このたびは、当時のユダヤ人と同じ境遇にあるパレスティナ人達を何故に阻害するのか全く理解に苦しむ。

それでは、イギリスはどんな姿勢で“パレスティナ”問題に臨むのか、我々は静かに見守りたい。

         

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