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タフなロシアの二人組

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アレキサンドル・リトビネンコ(1962,08302006,1123)は、ソ連国家保安委員会(KGB),ロシア連邦保安庁(FSB)の職員であったロシア人、元陸軍中佐。

イギリスに亡命し、ロシアに対する反体制活動家のリポーターだったが、2006年イスラム教徒となった後、何者かに毒殺されたと云われている。

1962年、ロシア、ヴォロネジ生まれ、1980年中学卒業後、軍に入る。

1988年以後KGBの防諜部門に勤め、91年以後ロシア保安省組織犯罪工作の活動阻止局職員(第7課副課長)

ロシア連邦保安庁(FSB)に所属中の1997年、上司局長にある人物の暗殺を口頭で指示されたが、命令を拒否したことを199811月、局の同僚7人と共に記者会見を開いて発表した。

さらに彼は、FSBの一部幹部職員が政治的脅迫や“殺し屋”的犯罪活動にかかわっている事を明るみにした為、それ以後、脅迫を受けるようになったとの事。

因みに、ウアラジミール・プーチンは、その当時、FSBの長官であった。

リトビネンコ氏はその後、再度逮捕されながら、その都度証拠不十分で釈放されていたが、3度目の逮捕では、刑事告発を受け、それ以後、出国停止処分を受けていた。

200111日リトビネンコは身の危険を察して、トルコ経由でイギリスに亡命した。

ところが、2002年ロシアではル氏は欠席裁判の結果、禁固3年半(執行猶予1年)の判決が下されていた。

2006年、彼は、イギリス市民権取得と同時に、プーチン政権と、ロシアのチェチェンに対する政策の徹底的批判を始めた。

2006111日、リトビネンコ氏はかねてからプーチン政権に批判的だった、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ女史が何者かに射殺された事件を捜査中、マリオスカラメッラと云うイタリア人とロンドンのすし屋で、面会中、体調を崩し病院に収容された。しかし、彼はその3週間後その病院で死亡した。(11/23)

1125日、リトビネンコ氏のプーチンを糾弾する遺書が公表された。

20071月、イギリス警察はリトビネンコ毒殺犯人を、KGB元職員アンドレイ・ルゴボイ(元将校)と断定、殺人罪で告発した。

それ以来、実に3年半イギリス政府はロシアに対してイギリス人殺害容疑でルゴボイの身柄引き渡しを根気よく続けている。

2007年、718日の朝日新聞によると、英国政府はルゴボイの身柄引き渡しをロシア側が拒否したことを理由に、ロシア駐英外交官4人の国外追放を決定、ロシアはそれに激しく反発、英外交官の国外追放を考慮中と報じている。

リトビネンコ氏の死因は猛毒ポロニューム入り蜂蜜レモン入り、緑茶とされる。その場所では、その周辺や従業員の衣服から放射性反応検出された為、バーは閉鎖に追い込まれたと朝日の記事は述べている。

さらに、その場所は23万ポンドをかけて、約1年後に再開せらたが、当時使用していた椅子、テーブル、グラスを廃棄、英国健康保護庁の検査で出入り禁止が解かれたとのこと。

911日―12日、キャメロン英首相は6年ぶりにロシアを訪れ、プーチン首相、メドベージェフ大統領と会談、上記の問題についての話題となったが、依然として問題解決が殆ど不可能な状態。

これでは、日本の様な小国がいくら「北方領土」返還をロシアに叫んでも、“暖簾にひじ押し”に終わること必定と痛感させられた。

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