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ロバート・リー将軍の皮肉な運命

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アメリカ南北戦争(1861~1865)は当時「テリトリー」と呼ばれた西部の準州地域における奴隷制度拡大への反対を、党の綱領として掲げる北部共和党の候補であったエブラハム・リンカーンが大統領になると、1861年2月、南部の7州が連邦を脱退、南部連合(confederate)を結成、同年、4月12日、サウス・カロライナ州チャールストン港沖のサムター要塞で合戦となり、その後、4年間にわたる南北戦争(civil war)がおきた。

エブラハム・リンカーン大統領は1861年、ロバート・E.リー(Robert Edward Lee,1807-1870)中佐を戦争勃発にあたり、北軍(Union)の総司令官になるように要請した。

ところが、リー大佐は南部ヴァージニア州出身であったため、ヴァージニア州が連盟を脱退することを知って、故郷と運命を共にするべく、リンカーン大統領の要請を辞退した。

アメリカ独立戦争当時の英雄を父に持つリーは、1829年ウエストポイント・陸軍士官学校を次席で卒業、46年から48年のメキシコ戦争に従軍して武勲を立てた。52年には母校、ウエストポイントの校長を務め、55年には中佐に昇進、当時騒乱が続いていたテキサスに赴いた。1859年に西ヴァージニアで勃発した黒人暴動鎮圧にも活躍した。

南北戦争勃発の年の4月20日、リー中佐は合衆国陸軍を退役、同4月23日、ヴァージニア州軍の陸軍少将に任命され、同軍の総司令官となった。

戦争勃発直前に大統領より北軍の総司令官に要請されたリー中佐は、数か月もたたないうちに敵方(南軍)の総司令官に就任する。これほどまでに敵味方から同時に総司令官就任を嘱望された、ロバート・リー将軍とはどんな人物だったのだろうか?

周知のごとく、1865年4月、南軍は北軍に降伏、4月9日、ヴァージニア州、アポマトックスの裁判所に於いて南軍は北軍総司令官ユリシーズ・グラント将軍(Ulysses S. Grant,後の第18代大統領)との間に降伏文書を交換した。

リーは南部人ではあったが、奴隷反対論者で、終生南部人からのみならず、全アメリカ人からも深く慕われ、紳士的振る舞い、そして彼のキリスト教的価値観を持ち続けた職業軍人として、グラント将軍以上に高く評価されている。

リー将軍にまつわる興味のあるエピソードとして記録されている事実は、彼の先祖をたどると、初代大統領、ジョージ・ワシントンに直接たどりつく歴史的事実である。

ワシントンは国家を一つに仕立てたあげた偉人であったが、リー将軍は故郷への愛着心を捨て切れず、皮肉にもアメリカ合衆国を敵にして戦わざるを得なかった運命の皮肉に終生苦しむこととなった。

アーリントン・ハウス(Arlington House)はロバート・リー将軍夫妻が30年間住んだ家であったが、その邸宅は奇しくもジョージ・ワシントンの義理孫であったジョージ・ワシントン・パーク・カスティス(George Washington Parke Custis,1781-1857)の建てた家で、リー将軍夫人、マリー・カスティス・リー(mary Anna Randolph Custis Lee,1808-1873)パーク・カスティスの娘であった。

アーリントン・ハウスはアメリカ合衆国の歴史的記念建造物に指定されている。

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