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京都の謎の謎

Photo Photo_2 写真:上、平安神宮、下、平城宮

最近奈良に「平城宮」が復元されて人気が出ていることを聞き及んでいる。

これは、考古学者たちが慎重に調査して、1300年以前にあったと思われる場所を選んで「大極殿」を復元した。

筆者は最近「京都の謎」(高野澄著)と云う小冊子を読み偶然に気が付いたのだが、明治28年、遷都1100年の記念行事として左京区岡崎に建てられた「平安神宮」は、最初は模擬大極殿として建造された事実を知った。

成程、それは一見して最近できあがった奈良の「平城宮」と良く似ていることが判る。(写真)

京都では「羅生門」(羅城門)址が東寺の南に残っている。この場所が朱雀門のあった場所で、大極殿の南に位置する。

従って、京都の大極殿は現在の千本丸太町の西北に存在していたと考えるのが常識である。

歴史の記述では延暦13年(794)10月22日が長岡京から平安京に遷都された日である。

平安神宮建立の刺激となった理由は「橿原神宮」であったらしい。それは明治23年(1890)、その祭神は神武天皇。

それでは、京都は桓武天皇で行こうと云う結論になったのではと著者は述べている。

ここに三つの案件があった。京都遷都1100年記念祭。第4回内国博覧会。琵琶湖疏水完成記念。

東京遷都以来、京都市民を鼓舞するためには遷都1100年記念祭は是非とも必要であった

それと「琵琶湖疏水と水力発電所」を目玉として内国博覧会を開催して、天皇の行幸を願うと云うことで結論を出したのが、農商務大臣に就任したばかりの佐野常民であった。

博覧会の開催場所は竣工したばかりの琵琶湖疏水に近い、岡崎地区がふさわしいとして突如決定したらしい。

その時点では「平安神宮」はあくまで疑似の大極殿建設を考えて施工が開始された。

平安神宮百年史編纂委員会「平安神宮百年史」にも:

   平安京の大極殿の模型をつくる。

   大内裏の絵図をつくる。

   京都全体の絵図をつくる。

   大極殿の模型の背後に一棟の社殿をつくり、これを平安社と呼ぶ。

ここでハッキリとしていることは、「平安社をつくる」と云う構想でしかなかった。

それが、次第に構想が変化して、「官幣大社・平安神宮」の出現となったのである。

明治の初期では仏教が排斥され、反対に国威高揚のため「神社」が幅をきかせることとなったことは自明の事実であるが。古来の京都の町並みを破壊してまで、巨大な平安神宮が必要であったのだろうか?

京都の歴史、考古学に関心をもっている筆者には、時代考証を無視してまで、間違った場所にモンスターのような派手な社屋を建てることは正にナンセンスと映る。

無責任な小説家達が興味本位に歴史をでっちあげる罪も許せないが(例:吉川英治著、「宮本武蔵」)、官憲の都合で間違った「史実」を国民に押し付けることは慎んで欲しいと考える。

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