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世界を席巻した家庭ゲーム「モノポリー」

Monoopoly1

“Monopoly”(モノポリー、独占、専売)と云うゲームをサイコロを使ってお正月に、家族全員で楽しんだ経験のある人は多い事と思う。

このゲームが最終的に“モノポリー”と呼ばれることとなるまでには、      “Banking”(1883)、“Landlord’s game”(1904)、”Finance”(1932)、のように名称が変わっているが、それら,すべて似たりよったりのゲームで根本的なコンセプトは変わらない。

要するに、二つ折りのボードの上で、土地を購入したり、家を建てたり、家賃をとって貸したり、売ったり、自分の土地にホテルを建てながら自己資産を増やして家族全員で楽しむバーチャル・ビジネス取引を楽しむ「ゲーム」である。

このゲームが大々的に市場に現れたのは、世界大不況の未だ収まっていない、1935年であった。(写真)

この遊びが大ヒットとなり、今日までに5億セットが売れたと云われている。

この発明者はチャールス・ダロー(Charles B. Darrow18891967),この遊びは世界中の多くの人々を魅了して「世界の最大ヒット」商品であり続けている事実は驚きの他はない。

このゲームのパテントは、2026082(US),19351231日、発明者はダロー氏である。

前述の通り、現在の様式に決まるまでには、数々の紆余曲折があった。

これのオリジンとなるフォームを作りだしたのは、リジー・マギーと名乗る女性で、彼女は”Land Lord’s(地主)の名称で類似したゲームを考案して1904年にパテントを取得している。(パテント番号:748626

しかし、このゲームは資産持ちの家主だけが稼いで、テナントが貧乏になることで、あまり受けなかったと云われている。

始めの頃は、殆どが手製で、アメリカ中東部のフィラデルフィアー、アトランティック・シティーやインディアナポリスで盛んに遊ばれるようになり、次第に広がっていった。

実際にDarrow氏が最初の頃売りだしたときは一点の価格は4ドルであった。

ところが、このゲームが売れに売れて、次第に一人では賄いきれなくなったので、彼は、これをパーカー・ブラザース会社(Parker Brother’s Co.)

に持ち込んだところ、この買収交渉が成立、パーカー・ブラザースはマギー($500他、全ての関係する業者を買収、ダロー氏を発明者として“モノポリー”の独占販売権を手にした。

パーカー・ブラザースは類似ゲームであった、“ファイナンス”や“インフレーション”の名称で販売されていたものをも買収したが、それらの中には一万㌦を支払って迄して裁判沙汰を納めた事件もあったと云われる。

モノポリーが永遠のベストセラーになったのは、それが世界大不況中に売り出されたこともあったが、このゲームの真髄は、相手をこっぴどくやっつけても、負けて破産した方も痛くもかゆくもなく、みんなで楽しめるところが、特にアメリカ人に受けたのではないだろうか?

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