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リヒアルド・クーヘンホフ=カレルギー

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このところ毎日のようにギリシャの財政危機に端を発した金融問題でヨーロッパ中が揺れているニュースを耳にする。

EUの創始者と云われているリヒアルト・クデンホーフ(Richard Nikolaus Graf Coudenhove-Kalergi,1894-1972)はクーデンホーフ光子の二男である。

20071月、ブルガリアとルーマニアを加えた27カ国によって欧州連合が誕生した。総人口49000万、公用語は23言語の多民族、多文化経済国家連合の誕生が見られてより5年弱、今、共通通貨“ユーロ”の維持が危険にさらされている。

ユーロ構想(oneness)は古く、1923年頃からリヒアルト・クーデンホーフ(別名:青山栄次郎)を中心に「汎ヨーロッパ主義」思想のもと80年以上もかかってようやく共同の通貨を持つ経済圏として日の目を見た。

明治初期、オーストリー・ハンガリー帝国の駐日代理公使、ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーと骨董商の娘、青山光子の結婚は有名である。

ハイインリッヒクーデンホーフ=カレルギー(1859~1906)と光子の出会いは、ハイリッヒが路上で落馬し、怪我を負ったとき、光子が彼を献身的に世話を見たことから始まったと云われている。(ハインリッヒ、33歳、光子18歳)

1896年(明治29年)、ハインリッヒに帰国の命が下り、一家は2人の息子、光太郎、栄次郎を連れてクーデンホーフ家のボヘミアの領地の居城、ロンスペルウに還ることとなった。

その当時の日本は、極東の島国であり、云わば、土着民の娘がシンデレラ姫(伯爵夫人)になったように見られていたに違いなかった。

その後に生まれた子供5人を加えて、計7人の子供達を立派に育てたことは光子の偉業と賞されるべきである。(木村毅著:クーデンホーフ光子伝、1986年参照)

リヒアルトは1913年(19歳)の時、18歳年上の女優、イダ・ローランと出合い、母親の反対を押し切って結婚する。

彼は、1923年「汎ヨーロッパ主義」を著し、センセーションを起こす。間もなく現れたヒットラーに嫌われ、第二次戦争中、ヨーロッパを逃げ回って、スイス、ポルトガルを経てアメリカに亡命した。

ハリウッド映画「カサブランカ」の中で、イルザ(イングリット・バーグマン)の夫、ラズロ(ポール・ヘンリード)のモデルとなった人物が、リヒアルドその人だと云われている。(Renaissansjapan.www.Unicef org)

フリーメーソンであったリヒアルドは亡命先のアメリカで、同じメンバーであった、チャーチル、ルーズヴェルトの支援を受け、1943年、ニューヨークで開催された第5回パン・ヨロッパ会議で”One World”を唱え、その後トルーマンからの支援もあって、194857日のハーグ会議から「欧州会議」、その後、英仏折衝を経てCE(欧州協議会)の結成にまでこぎつけた。

その後、リヒアルドは欧州統一の成立を見ることなく、19727月スイスのシュルンス(Schruns)で志半ばにして生涯を閉じた。(享年78歳)

1992年、マースリヒト条約が調印され、欧州連合(EU)の発足が決定された。

ギリシャの債務問題の中にあって、独仏が中心になり欧州連合共通通貨の防衛に必死になっている様子を観察していて、筆者は成程と思った事実を見たように思った。

”One Europe”(タイムス誌1943・11・19発行)の中で、リヒアルドが父、ハインリッヒ・クーデンホフ=カレルギーが生前から唱えていた”oneness”と云う、血統で繋がったヨーロッパの特異な考え(思想)があることに気付いた。

詰まる所、クーデンホーフ家は、オランダ、ベルギーの出自であったが、フランス革命の結果、ハプスブルグ家を含め、ヨーロッパ貴族に大混乱が起こった。

カレルギー家の血筋は、実は、クレタ島、即ち、ギリシャの最も古い血筋の流れを組む旧家であるとのことを知った。多くのギリシャの旧家(貴族は北方の国々とも少なからず関わりを保っていることも確かである。

トルコとギリシャ、特にクレタとは、永らく犬猿の仲であることを考慮した場合、ここでバッサリとギリシャを切り捨てることに苦慮しているユーロ国家の事情には複雑な“バックグラウンド”があると筆者は考える。

トルコはかねてよりヨーロッパ連合の一員になることを望んでいるが、そのことについてドイツは強い警戒心を抱いていることは確か。トルコはヨーロッパからすれば何時までも異邦人である。

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