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作家、吉村昭と「三陸沖津波」

人気作家津村節子氏の夫君、吉村昭氏(1927~2006)は、ノンフィクション作家として有名で、特に戦争もの、「戦艦武蔵」「零式戦闘機」、「陸奥爆沈」の著者として知られる。

その吉村氏が、昭和40年(1965年)即ち、今から46年前に、処女作とも云うべき「星への旅」を発表して太宰治賞を受賞している。

最近、筆者は吉村氏の絶筆となった「ひとり旅」を通読して、三陸沖に、度々押し寄せる津波が如何にスケールの大きいものであるかを知らされた。

この作家が、昭和40年(1960)に依頼されて書き記した三陸沖津波の記録小説”海の壁”を書くことを決心したいきさつを「ひとり旅」で述べている。

岩手県三陸海岸の田野畑村に最初に訪れた理由は、同村の出身者であった渡辺耕平氏の誘いがあったからである。(故人)

何故渡辺氏が吉村氏に誘いをかけたのかと云えば、そこを昭和8年に襲った恐ろしい津波の生き証人として、事情を吉村氏に伝えて後世への記録として残して置きたかったからであったと想像する。

吉村氏は、最初はあまり気乗りはしなかったらしいが、東京から汽車を乗り継いで訪れた場所の光景は、まさに魅力的で、海に迫る断崖は日本屈指と云われているだけあって、その時、目にした海の色とともに強烈な印象を受けたと書いている。

そこまで行く工程は、何回もバスを乗り継いで行かなければならないところらしいが、海岸線を走るバスの窓から防波堤として造られた鉄筋コンクリートの壁が永い距離続いているのを見たことも書いている。

吉村氏がそこで聞いた話は、津波の当日、渡辺氏らが裏山に逃避したのだが、ふと振り返ると、すでに津波が2階の屋根の上に白い波を立てていた様子が見えたと云う。

その時、旅館の女主人からは、津波の来襲前、海水が急激に沖に向かって引き始め、広々とした海底が露出した。そこで彼女の思ったのは海藻が目の前で広がって行く様を想像したが、海底は茶色い岩だらけで異様に感じたという彼女の説明に吉村氏は、それを生々しい回想と感じ、胸に響くものがり、これまでこのような大津波のことを書きしるした作例もなかったことから、徹底的に調査して書き残したい気持になったと記述している

何回も現場に通いつめて書き上げたものを最初「海の壁」として発表したが、それが現在「三陸海岸大津波」と改められて文春文庫に納められている。

2001年、吉村氏は要請を受け、田野畑村の羅賀と云うホテルで、調査資料を持参、明治29年と昭和8年に、この地を襲った大津波の悲惨な事件の講演をした。

その時、多くの聴衆が訪れたが、当時でも(10年前)既に昭和8年の津波を実見した記憶のある人は稀だったと吉村氏は「ひとり旅」(p.35)に書いている。

生き証人として、その時、明治29年の津波の事情を教えてくれた85歳の中村丹蔵氏の語った事は、海面から50メートルの処にあった住み家の床下まで轟音とともに海水が押し寄せたので驚いたと云うことであったらしい。

そこで講演者の吉村氏が羅賀の10階建のホテルは海面から35メートルだが、もし再びそのような津波が来れば、これを津波が超えて来るのではと指摘したところ、これを聞いていた聴衆は一様に顔をこわばらせ、一斉に窓の外に広がる海をながめていたと書いている。

今年三月の東日本を襲った津波の高さが“想定外”であったと新聞までが報じているが、吉村昭氏は既に10年前に、この地方に、過去100年に2度も今回の津波の規模に勝るとも劣らない事例があったことをドキュメントとして書きしるしていることに関係各位が心を致していれば、そんな「想定外」と云うコメントは出来るなずがないと思うのだが。

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