« 中国の脅威的宇宙開発 | トップページ | 秀作の鎌倉彫刻の発見 »

或る「ゴールド・ラッシュ」の後日談

Flag_of_california_republic

カリフォルニア・リパブリック(California Republic),は別名、ベアー・フラッグ・リパブリック(Bear Flag Republic)と呼ばれた。しかしながら、これは全くの幻の国に終わった。

カリフォルニア地方に無断で入り込んできた入植者達が、”ソノマ”の町で、政府が、いずれメキシコと相談して、この地方が、アメリカに組み入れられることを見越して、1846年6月14日に「独立宣言」、大げさな気勢を揚げたが、その26日後、アメリカの正規軍によって解散させられた。

そのとき、デザインして、作った「星と熊」をあしらった”The Bear Flag”だけが有名になり(カリフォルニア州旗)後日、これを熊の旗事件と呼ばれるようになった。

(Bear Flag Revolt)

アメリカの歴史では、この後に起こった事件の方が遥かに重大な結果を生んだ。

ジェームス・ウイルソン・マーシャル(James Wilson Marshall,  1810-1885)の名前を知る人は極く少ないが、彼こそがアメリカのゴールド・ラッシュの本当の発見者であった。

彼は腕利きの水車大工であった。彼は18歳で苦労を重ねながら、東部から西部に1845年に、幌馬車とともに到着して、すぐに、ジョン・サッター(John Augustus Sutter,1803-1880)の経営する大農場に大工として雇われた。

マーシャルはそこで懸命に働き、間もなく、サターの所有地の近隣のサクラメント渓谷に数百エーカーの土地と放牧用の牛を飼育できるようになった。

マーシャルの不運は、1846年、ジョン・フレモント(John C Fremont ,1831-1890)の起こした、ベアー・フラッグ・レボルトに参加したことであった。

彼が自宅に帰ってみると、彼の所有の牧場から、全ての牛が盗まれていた。

そこで、マーシャルは仕方なく牧場を売却して、再び、サターと共同で製材所を経営することとした。

それは1848年1月24日の早朝のことであった。

彼は水車を作るため、その前日に、川を深く掘り下げる工事を行った。

そのため、これまでその周辺に溜まっていた、屑や泥がきれいに流され、川底まで見通せる状態にあった

翌朝、マーシャルが、澄んだ河底に発見した光る物体こそ「金」であった。

マーシャルは信じられない気持で、それをパートナーのサターに見せた。

サターは手元にあった百科事典で調べ、それがまさしく「金」であることを確認、すぐさま、すべての社員を集め、口頭でこのことを外部に秘密にするように命令した。

しかし、この金発見のニュースは数カ月も経ずしてサンフランシスコ迄届いていた。

これがゴールド・ラッシュの始まりである。

この勢いは、バッファローが突然と走り出し、たちまち周辺の障害を、なぎ倒す、“スタンピード(stampede)に似て、文字通り、世界の各地から無数の人間が「金」に向かって押し寄せてきた。

無秩序で、規範のない群集が、五万エーカーを超える広大な”サター砦“(Sutter’s Fort)に押し寄せ、全てをなぎ倒し、盗んでいってしまった。

金の最初の発見者、マーシャルとサターは、牛や穀物、個人持ち物一切と、従業員を含め、二人の全ての所有物が、いつの間にか何処かえ消えてしまった。

特にサターの場合、悲劇はさらに深刻であった。

その7年前の、1841年には、永い間放置されるままになっていた、サンフランシスコの北にあった、ロシア一のロス砦(Fort Ross)を三万ドルで買収、彼が永らく抱いていた夢の完成がまじかに迫った感があった。

4年前の1844年には、息子や、彼の家族全員を呼び寄せて、サター砦を

移住民に開放、メキシコ戦争の開始の2年前(1846年)、(アメリカがカリフォルニアの実質的支配を取得するまで)、政府との取り決めで、周辺の警備の役目を買って出る程であった。

皮肉にも、米墨戦争終結の直前になって、ゴールド・ラッシュが始まった(1848年1月24日)。

それまで栄華を誇っていた「サター帝国」は、その砦とともに灰燼に帰し、サター家は倒産した。

John Augustus Sutterは、その後の人生を、政府と州政府を相手として損害賠償を訴え続けたが、そのため心身をすり減らし、1880年、ワシントンに向かう旅行中に急死したと伝えられている

これは正に悲劇と云う他形容しがたい事件であったが、世界中が金発見の騒ぎで浮かれている中ではかき消されてしまったと思われるが、実際に起こった悲しい歴史である。

ゴールド・ラッシュの模様を自ら訪れてその異様な模様を取材した、マーク・トウエインがこれを書き漏らしたとは思いたくないが、筆者は未だそれを調べることをしないで忘れている。

|

« 中国の脅威的宇宙開発 | トップページ | 秀作の鎌倉彫刻の発見 »