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秀作の鎌倉彫刻の発見

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愛知県、美浜町の大御堂寺(オオミドウジ)で最近、鎌倉時代の阿弥陀如来立像が発見された。(産経新聞、12/3、写真)

寄木作り、高さ、79センチ、の見るからに鎌倉時代彫刻様式の特徴を備えた(写真から推察しても)秀作と見受けられる。

同寺では、昔から作者不明のまま厨子に保存されていたが、富山大学の松浦正昭教授が、今春から調べていたところ、これが岡山、東寿院の快慶銘を持つ阿弥陀如来像と、その特徴が類似することを知り、さらに詳しく調べたところ、大御堂寺の阿弥陀仏の足部分にあるホゾのところに「応永33年(1426)、阿弥陀如来親鸞上人御彫刻、再興願元:道円」の墨書が見つかった。

さらに詳しく調べたところ、そのときの修理で胎内から納入品が取り出された形跡がX線調査で判明した。

この仏像の左足が前方に踏み出している様は、亡くなった人を迎える“来迎”の形式だとのこと。(非常に興味あり)

これには東寿院の阿弥陀のように快慶の銘文は見られないが、法然の入滅の折(1212年)に弟子の親鸞が、この阿弥陀像を仏師に彫らせて供養した可能性は大いに考えられることである。

筆者は、例えこの阿弥陀立像が快慶作でなくとも、日本の仏教彫刻史研究の上で、一つの確実性の高い「傍証」の材料となることで興味深い発見と考える。

(同像は12月5日から22日迄大阪市中央区本町、丸紅ビル「文化力の旅ラウンジ」で公開される。(有料)

(親鸞上人(1173-1262)は浄土真宗を開いた鎌倉時代の高僧、日野有範の子、京都生まれ、9歳で出家しえ、20年間比叡山で修業を積み、下山して、浄土宗の開祖、法然(1133-1212)について「念仏」に励んだ。

「念仏」が法度となり、罪を課せられ、法然は土佐に、親鸞は越後に流罪となった。法然亡き後、その遺志を継いで、教えを広め“南無阿弥陀仏を唱えて浄土に行く”教義「浄土真宗」を確立した。)

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