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謎だらけの京都樫原廃寺跡

Photo 樫原廃寺八角基壇と法勝寺八角塔想像図Hou

本日(12月25日)の京都新聞「市民版」に極めて歴史上重要な一文を見た。それは、樫原廃寺八角塔基壇に関して、「7世紀後半の天皇陵は八角墳であることが近年の研究で確実視されている」と云う記述である。

この見識の基礎には触れていないが、この新聞報道が正しければ、今後の宮内庁の「天皇陵」の判定になるのではと考えられる。

「八角塔」の作例としては、京都、岡崎に白河天皇が承保3年(1076)に建立した法勝寺(別名、国王の氏寺、応仁の乱後、衰微)に高さ80メートルとされる八角五重塔が有名である。(再現図)

京都市西京区樫原で1967年に八角形の建物基壇が発掘された。

この基壇中央地下2メートルから巨大な花崗岩製の心礎が見つかり、これが塔の基壇と判定された。

周辺から同時に発見された瓦の様式から、これが白鳳時代(645~710)に造営されたことが判明した。

大化の簿葬令以降。古墳の造営は減少した、それは、律令国家は、国家鎮護を祈願する寺院を建立することを官人となった豪族達に求めたことに依るとされている。

天皇の玉座とされる「高御座」(タカミクラ)の八角形の家型からもわかるが八角は天皇家の権威的シンボルとされる。

1967年、何故、宮内庁は樫原で発見された八角の建物基壇を八角塔の基礎と断定、しかも、「樫原廃寺」を天皇家と関係があるものとして国の史跡に指定したが、その後、その発掘調査突然に中止、「後世の検証を待つ」(京都新聞)として、その後沈黙を守っているとの事。

一部ではこの廃寺は秦氏と何らかの関係があるとも推定され、謎を秘めた文化遺跡であることは確かである。

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