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"Medal Diplomacy"の競売

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2005年の7月に、81歳で死去したジョン・フォード2世(John J,Ford Jr.)の遺産の内、1767年製のメダルは92000ドルの値を付けた。

フォード氏は、小銭と紙幣収集家で有名を馳せた人物

フォード氏遺産の競売は、20部門に分けて行われたが、その内の15部門は、殖民地時代のコイン、「外交メダル」、奴隷識別用タグ、と初期紙幣で、その部門でのトータル価格が4500万ドルに達した。

その中にあって、特に注目されたのが、Medal Diplomacy、直訳、 「外交メダル」と呼ばれていたコイン状の記念メダルであった。(写真)

これは別名、Indian Peace Medalと呼ばれる代物で、アメリカ植民地時代の初期に、文字識別のなかった先住民との平和宣言条約に替える意味あいを持って、最初スペイン人が考案し、次いでフランス、イギリス人達がこぞって使いだした、粗雑に鋳造された記念コインである。

その表面のデザインの多くは煙草のパイプを交換する儀式の模様が使われ、先住民の酋長宛てに贈られ、これでもってお互いの「永久平和条約」の印となったとされている。

裏面には種族にいわれのあるシンボルがデザインされて、18世紀の中頃に最も多く製造された。

特に1757年頃、“フレンチ・インディアン戦争”頃、フィラデルフィアー地方のクエーカー教徒たちが、好戦的なデラウエアーやショアワニー族らの酋長らに渡すべく、真剣に平和を願って鋳造したコインは貴重な種類とされているらしい。

19世紀に入っても、第3代大統領のジェファーソンの時代からは、政府直営の鋳造所でも造られるようになり、この「風習」は1876年、政府が最終的に、すべての原住民を居住区に完全に移動させるまで定期的に続けられた。

最初は、お互いに同等の立場で平和を維持し、侵略は行わない協定のサインに替えて渡されていたメダルであったものが、時が経つにつれ、「誘導」の証明にかわっていった。

これを見るにつけ、侵略者に追いやられ滅んで行く運命にあった原住民の悲哀を感じずにはおれない。

この“peace medal”の最後は、1890年のベンジャミン・ハリソン大統領時代のものとされるが、それは奇しくも、フレデリック・ターナーがアメリカに於ける“フロンティアー”の終焉を宣言した年でもあった。

フォード・コレクション中のいくつかのコインは5桁、6桁で売られたものもあったらしいが、これら高価な物の全てが、一度は何処かのインディアン酋長の所持品であったことを思うと余計悲しくなる思いである。

この競売の総額は3億3200万ドルを記録した。(場所:Stack’s Rare Coins,New York,N.Y.)※ American History,Aug.2007.PP.38

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