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写真機の名門「コダック社」の危機

Kodak_camera_1921 コダック写真機(1921年)

コダック(Kodak)はアメリカ人、ジョージ「・イーストマン(George Eastman,1854-1932)によってはじめられた写真機とフィルムの老舗である。

1880、イーストマンは写真技術をデービッド・ヒューストン(David Houston)から買い取り事業を開始、社名コダック(Kodak)とした。

多くのアメリカの大企業の伝統的な常とう手段を踏襲して、コダックは写真機の価格を低くおさえながら、これを使用して将来にわたって使われるフイルムの独占を目論んでいたと言える。

ドイツのライカ、ローライフレックス等に代表される写真機はコダックとは反対に機械の高級化に重点を置いていた。

やがてアメリカの大衆は、世界旅行に出かけるようになり、世界各地でコダック社製のフイルムを写真機の純正部品のように使用することで社運はいやが上にも隆盛を極めた。

これは、アメリカ人特有とでもいえる習性で、国産製品に特別の信頼をおいていた証左でもある。(例:コカコーラ、マクドナルド・ハンバーガー、ゼロックス複写機等)

日本の未だ貧しかった頃、コダックの写真機は子供達の高級オモチャであったことを筆者は記憶している。

コダック製フイルムのビジネスに転機がやってきたのは、1984年のロスアンジェルス・オリンピックであった。それは、国内のオリンピックには当然に自社製のものが使われると信じて疑わなかったところが、その時のオフィシャル・フイルムに富士フイルム(Fuji Film)が採用された時であったと云える。

1990年以降、コダックフイルムのシェアーは年を追うごとに下降線をたどり始めた。その後のコダック社は不正取引の名目で富士を提訴したが、1998年、WTOはコダックの敗訴を告げた。

コダック社は1990年後半に至ってデジタル化に進出するべく、アップル社やマイクロソフト社に接近を計ったが、時すでに遅く、世界の第一線からの後退を余儀なくされたと言わざるを得ない。

1月4日のウオール・ストリート・ジャーナル(電子版)によると、コダック社は、数週間以内の民事再生法申請(連邦破産法11条)を準備中であることを報じている。

コダック社は1100件もの特許を保持していることから、これらの処分の進捗が同社の運命を左右するのではと推測さえている。(現在の株価は既に1ドルを下回っている)1月5日、京都新聞夕刊より。

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