« 環太平洋の地震活動は要注意 | トップページ | 本末転倒? »

大局的国家間外交を重視せよ

我が国において始まった戦後教育は国民全体に間違った歴史観を植え付けたばかりでなく、国の尊厳を著しく棄損させた。

日本が隣国に武力攻勢を始め、侵略したと云う歴史観は敗戦によって占領軍の強制で刷り込まれた間違った観念である。

例えば、日清戦争を“朝鮮半島を侵略目的としたものであった”とする考え、日本の一方的な侵略戦争と決めつける韓国人の思考は根底から間違った考えである。

日清戦争の終結で講和会議が下関で始まり(1895年)その結果、それまで清国の「属邦」とされていた朝鮮半島で大韓民帝国が誕生し、韓国に皇帝が出現した。これは朝鮮民族にとって喜ばしいイヴェントでないとする者は恐らくいまいと思われる。

例え大韓帝国の発生が日本の画策の結果だと考えることも出来るが、少なくとも、それまでは朝鮮族“の名称でかたずけられていた土着民の集合が、欧米国家からも独立国家と認められる存在となったのは日本の貢献であったことは事実である。

下関条約の結果満州の遼東半島が日本に割譲されたことに反応して、ロシアがフランスとドイツを誘いこんで、「遼東半島の割譲は東洋の平和に脅威となる懸念」があるため清国に返還せよ」と日本に申し入れた。

当事国の条約で決まった事実を第三者がその葉機を申し入れることは極めて異例で許し難い不当干渉であったが、当時の外相の陸奥宗光は、当時の日本の国力と世界情勢にかんがみ、この「三国干渉」に涙をのんで応じたのであった。

これはその後の外交上大変懸命な決断であったと考えられている。自国の実力と世界の情勢を直視して対応することが懸命な外交手段である。

半世紀後、日本は西洋諸国を敵にして戦争に突入、その結果、無条件降伏と云う厳しい状態を経験した。

ソ連はアメリカの要請で日ソ不可侵条約を破棄して、南樺太及び千島列島に上陸これらを占領した。

1945年2月のヤルタ会談で、フランクリン・ルーズヴェルトが対日戦争を早期終結に導くため、会談の席上、正式にソ連首相スターリンに8月までに行動を起こすことを要請した。

ソ連は1945年の9月に千島全南部樺太を武力での占領を完結させた。

当時のルーズヴェルトの認識には、日本が固有の領土と主張する、いわゆる「北方四島」の存在は全くなく、千島列島(kurill Islands)とは、北海道以北、カムチャッカ半島までの全ての島を包含するものであったに違いなかったと思われる。

敗戦を迎えて敵国に奪われた地域を外交交渉で取り戻すことは困難である。

しかもアメリカ大統領の要請を受けて行動を起こしたソ連にとっては「正当」な理由があり友好国との約束の履行でしかない。

1895年「三国干渉」で何故、日本は占領した領土を放棄しなければならなかった理由が何処にあったかを戦後の日本の政治家は知らないとは考えられない。

しかも、戦争に負けて敵国に奪取された領地が固有の領土であったとしても、また最近の国際法が如何に変化していたとしても、国力の差を考慮すれば、明治の先達が「臥薪嘗胆」と呼んで絶えた心境を学び返して対処することが国家の将来に有利に作用すると悟るべきではないだろうか?

「北方4島」の旧住民にとっては耐えがたい屈辱かもしれないが、国家百年の計を考えるとき、一日もはやく過去のことを忘れ、ロシアと有効的な関係を修復すべきだと筆者は考える。

|

« 環太平洋の地震活動は要注意 | トップページ | 本末転倒? »