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国防と平和維持

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国防の最優先事項は「領土の保全」であることは云うを待たない。

1861年3月14日(文久元年2月3日)ロシア軍艦ポサドニック号が占拠を目的に対馬に来航した事件は有名である。幸いにも大事に至らなくて対馬の安全は守られた。

対馬は九州の北、玄界灘にある長崎県に属する日本固有の島である。長崎県で最大の島であり、全国に於いても第6番目の広さを持つ韓国と日本の丁度中間に位置する戦略上から見ても重要な領土であることに違いは無い。

作家の司馬遼太郎が産経新聞入社以前に席をおいたことがあった京都の新日本新聞で記者をしていた頃(1946年以後)韓国の大統領、李承晩が対馬は韓国領であると豪語していたことを書いている。

サンフランシスコ講和条約以前の1951年の7月9日、韓国の駐米大使が米国務省のダレス顧問に「対馬は韓国領だが、講和条約の下で韓国に引き渡される予定があるのかどうか」を尋ねたがダレスは即座に、「対馬は極めて長い期間、日本の完全な統治下にあり、講和条約でも現状に変わりがない」と述べた。(会談メモ)

韓国大使は7月19日にも再びダレスを訪問、対馬の領有権主張は取り下げる代わりに「竹島」を持ちだした。韓国の主張は「独島(竹島)と波浪島は日韓併合以前に韓国領」であった」と主張したとある。

ダレスはそこで、明確な返答を避けたが、国務省はその後、8月10日付でこの韓国の主張を否定する覚書を韓国側に送った。その当時のアメリカの見解は、“我々の情報では竹島は1905年頃からこの方、韓国の一部として取り扱われた」ことはなく・・・それ以前にも韓国が領有を主張したことがないようだ」との回答であった。(産経新聞2月19日”オピニオン、風の間に間に、皿木喜久)

韓国の計画は、最初に対馬の領有を主張、それが駄目ならば、次は。竹島をと云う2段構えの外交手段を用いたとも考えられる。

当時の日本政府は敗戦の処理や、進駐軍対策、平和条約の批准、引揚者の受け入れ、食糧難等々周辺諸島の領有権主張どころではなかったと考えられるが、そこが有史この方、国境を他国と領有したことのなかった日本の外交の未熟さを露呈した場面であったとも考えられる。

1951年8月10日付のダレス米顧問の覚書が確かだとすると、アメリカ政府は少なくとも、竹島について韓国が1905年頃から、この件を問題視した形跡がないと云う見解にあることが判る。

現在、竹島は韓国に実効支配されていることを知りながら、このまま放置すれば、時が経過すれば、そこは世界が黙認した韓国領土となるが、何故日本民主党はこのようなアメリカ政府の正式な外交「覚書」を利用して反論しようとしないのか疑問である。

今頃になって尖閣諸島周辺の39島の命名を考慮中と云う間の抜けた政府発表を聞くに及んで、果してどの程度、政府が自国の防衛に真剣に対処しているのか不安が募るばかりである。

自国の専守防衛を誓いながら、友好国アメリカにどれだけの配慮をしているのかも沖縄県知事の発言を聞くにつれ「敵」、「味方」の区別もあやしくなってくる。

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