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「サムライ・ジャパン」の名称の是非

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本日(3月27日)京都新聞“読者の窓”の中で、草津市・村田好章氏(63)が“侍ジャパン”の名を日本代表野球チームのシンボル・ネームにしていることについて疑問を提唱している。

村田氏によると、サムライ=武士とは、抽象的ランク名であったとしても、自分達に都合のいい身分制度をつくり、何ら生産に関わらず、庶民に依存して搾取し、「消費」しかしなかった人達だと切り捨てている。

庶民、領民を保護したと云う見方もあるが、農民は侍がいなくとも生きられたし、むしろ搾取する武士がいなかった方が幸せだったのでは?

むしろ農民に依存しなくては生きられなかったのが武士で、幕末の動乱も、ただの権力の移行に過ぎなかったと云う手厳しい主張を述べている。

「剣道」と「刀」に精神性を授けて、敢えて使用を制限したのは、権力者が既得権益を保つためのもので、腰の刀は素手の庶民を脅かす「シンボル」と位置づけている。

多くの庶民を一部の身勝手な連中のご都合主義”に苦しめられた庶民の目線を忘れて、軽はずみに“サムライ・ジャパン”のような軽薄な名前をつけることを謹んで欲しいと云う。

筆者は村田氏の意見にも一理ありと考えざるを得ない。

新渡戸稲造著の「武士道」は有名で、テオドア・ルーズヴェルトも愛読して、友人にも贈ったと云われるが、残念ながら筆者は未だにこの名著に目を通していない。

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