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フロンティアの真の意味

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アメリカの西部のとは、ミシシッピー川以西のことを指すが、中屋健一氏著「アメリカ西部開拓史」(筑摩書房)によると、1607年から1870年までに、アメリカ人は4億700万エーカーを耕作したが、その内1億8900万エーカーを最初の20年間、1870年から1890年の20年間に4億3000万エーカーを耕作し、2億2500万エーカーを開墾したと述べている。

1890年には、国勢調査局は、結局は“フロンティアー・ライン”を南北に引くことは出来なくなったと発表した。(フロンティアーの消滅))

西部農民は略2種類に分けられ、一つは、それ以前から定住していて、そこから西暫して移住を続けた者たちに対して、ホームステッド法制定後、アイルランド、ドイツやスカンジナビア方面から移民として到着した農民がある。ネブラスカ、ミネソタ、ダコタ準州、ウイスコンシン、カンサスやテキサスに定住することとなった。中屋氏はミネソタ州だkで400ものスエーデン語の名の、ついた町ができたことを記している。

国内移住者と海外移民が何故19世紀の後半に急きょ西部に住みついた理由は、1862年に自営農地法が施行されて、政府の公用地を極端にまで寛大な条件で農民に開放したからであった。

しかし、これは主に西北部に重点的に行われ、南部地帯に於いてはこのような恩典がなかったために、南部諸州はこれに強硬に反対した。

未開で残された原野を開拓する者に対しては、その土地を当然、その開拓者に無償で与えられるべき議論は、すでに19世紀の初期からいわれてきた。しかし、南部諸州はこれに強硬に反対、結果的に南北での争いの原因を作った。

1851年のロンドン万博、それに続いて開催されたシカゴ万博のころからアメリカの農耕器具は飛躍的発展をとげた。自営農地法によって21歳以上の市民、或いは帰化を許された移民に、一人あたり160エーカー(1エーカー約1250坪)を無償で国から与えられることが刺激となり、その頃からヨーロッパからの移民が一気に増加した。

先住民は限らは限られた荒地同然の居住地区におしこめられ、悲惨な生活を強いられることとなった。

サンタフェ鉄道、ユニオン・パシフィック鉄道の延長に従ってこれら移民にも職が割り当てられ西部はアメリカの一部の文明地区を形成していった。

カリフォルニアに起こった“ゴールド・ラッシュ後(1850年)膨大な人口が東部から西部に移動、それにシナ大陸からの移民が大挙してカリフォルニアにわたってきて鉄道敷設の労働者(クーリー)が白人の仕事を奪い始めるに至って東洋人排斥運動が発生した。

フロンティアー終息は同時に、アジア人の苦難の時代の始まりであり、いずれ日本人の移民制限と土地収得禁止にまで発展するに至ったことは広く知られている。

フロンティアー・ラインの意味はアメリカ先住民がいなくなった地域を示す南北のラインで、白人の住む領域を示す境界のことでしかないと解釈できる。

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