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プーチンのロシアの将来

ロシアの次期大統領は再びプーチンが返り咲き、事によっては今後12年間プーチン態勢が続くのではと思われる。

プーチンは彼の前歴から、又彼の性格から推測して、今後、文字通りのプーチン専制の政治が始まるのではと恐れられている。

プーチンは野心家である。先日、中ソの軍事訓練が中国近海で行われたが、それは単なるショーに過ぎない。ロシアが中国と将来政治的に連携して欧州やアメリカに対抗姿勢をつらぬく心つもりは全く持ち合わせていない。

ロシアは未だに「世界の白人国家連盟」の一翼を担う大国であり続けることは明白である。

ロシアは既に共産国家ではない。ただ、ユーラシア国家建設はプーチンの夢であり、その手始めとして彼の目は北極海に注がれている。

数年前、プーチンは北極海底の北極地点にロシア国旗を立てて、ここがロシアの領海であることを宣言したことは記憶に新しい。

北極海とは北極点を中心にユーラシア大陸、グリーンランド、北米大陸に囲まれた、略1400万平方キロの海域を指す。冬は大部分が氷に覆われる。しかし夏には沿岸部付近の氷が解ける。

地球温暖化が進む中、この海を利用することで、スエズ運河経由の極東へのルートは従来の南周りの3分の2に縮小される。これは航行日数、燃料代金の削減に加えて、最近、アラビア海、インド洋で多発している海賊からの被害を避けるメリットもある。

ロシアの砕氷船会社によると、2010年に北極海を通過した船舶は4隻であったが、11年には34隻に急増した。日本の利用は未だにゼロだが、将来この航路の安全が確認されれば日本にとっても放置できないものとなる。

プーチンはロシアの地下資源の輸出を今後の財源として世界の先端技術を輸入、近代国家への発展を目指している。

プーチンは最近「歴史的な提携」をアメリカに向かって呼びかけた。最近の報道によると、ロシアが北極海大陸棚での石油開発に関する合意を世界最大のメジャー、米エクソン・モビルなどの外資と相次いでとり結んだ。膨大な地下資源が眠るシベリアの大地を開発、北極海を通じて、最短距離で極東、アメリカ大陸に輸出、見返りにロシアが遅れをとっている世界の先端技術や海外市場の開発を開始させようとしていることが判る。ロシアの国有石油のロスネフチとエクソンは4月、北極圏カラ海の3鉱区と黒海の大陸棚を開発する合弁会社を設立することで合意に達したと云われている。

他方、ロスネフチもエクソンのカナダ、西テキサス、メキシコ湾の利権の30%を取得。今後「タイトオイル」の採掘事業にも積極的に参加の意向を示している。

エクソンが世界に持つ可採埋蔵量が250億バレルにであるに対して、カラ海3鉱区の推定埋蔵量は850億バレルと云うのであるから、これに魅力を感じるのはアメリカだけではない。

採掘に高度な技術と資金を必要とする大陸棚開発は未だ始まってはいないが、プーチンにとって自国の裏庭「北極海」と「シベリア」を踏み台として今後の夢はさらに大きく膨らむことであろう。

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裁判官「疑わしきは罰せず」

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国民の大きな注目を浴びていた小沢一郎の政治資金管理団体の不正行為の疑惑に関わる裁判に本日、426日、東京地裁に於いて採決がだされて無罪が確定した。

この無罪判決には恐らく多くの国民が「何故」と首をかしげていると思う。

何故ならば、4億円と云う出所さえも怪しい(小沢氏本人もキチット説明出来ない)大金を自己の政治団体「陸山会」に不動産取得を目的として秘書にわたしておきながら、“全く覚えていない”とか、その大金の出所を隠すために改めて金融機関から同額の借り入れを起こして、その借入書に自署、捺印をしながら“全く記憶していない”とか、普通の常識人ならば無理な論法を通して、シャーシャーとしていられる神経には殆ど100%の国民が驚愕したに違いない。

これで民主党が決めた小沢氏の党員資格停止が解かれて元通り、何の精神的呵責もなく国会に戻って来られると思っているとすれば、小沢氏は政治家失格である。

数々の検察の失策で裁判官としても確実な証拠不足で、小沢氏に対して有罪にできるとは思っていなかったと信ずる。

状況証拠と常識論から小沢氏も、彼の秘書たちも、決して「潔白」であるとは思っていない。

裁判官としても有罪にできる証拠が欠如していて、小沢陣営には疑惑は山ほどあるのだが、此の際、法律の原則「疑わしきは罰せず」にてらして本日のところは無罪と云うことになった。(The suspect must always be given the benefit of the doubt.)

小沢一郎氏としても最高の教育を受けた政治家として、この辺の事情は心得ていると考えられる。

今後始まる国会の場で、野党からは小沢氏は「参考人」として質問が浴びせられることとなることは必定で、むしろ、これからが、彼にとって苦しいのではないかと想像している。

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夏時間の採用と具体的な節電

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東日本の大震災から既に1年以上が過ぎても、未だに後始末が終わらず、被災した多くの国民が苦しい生活を強いられている。

電力消費が叫ばれる中、具体的にどのようにして節電すべきかを全ての国民が智恵をしぼっているところだが、何故誰もが「夏時間」の採用を真剣に発言しないのか不思議でならない。

真夏になれば日本中のどの地域でも、午前5時には冬季の午前7時頃の明るさになる。

日本以外の多くの先進国がすでに「夏時間」を取り入れて何の支障もなく生活している。

これを正式には英語で”Daylight Saving Time”と呼んで、文字通り“日光時間節約”をその目的としている。

日本では戦後、一次、この夏時間制度を採用したことがあったが、何の理由か判らないまま中止となった。これは筆者の邪推かも知れないが、日教組や、労働組合がこのシステムに反対したのではないかと思っている。

daylight savingの趣旨はまさに「光の節約」=「節電」であり、この非常時に当たって、未だに“これは日本人の生活パターンにそぐわない”と云って避けていることは誠に不条理と云わざるをえない。

政府が先頭に立って「夏時間」の採用に踏み切って欲しい。

筆者は昨年、石原東京都知事の発言を聞いて、このブログに紹介した、「自動販売機」と「パチンコ業界」、「観光寺院のライトアップ」の節電の課題をもう一度紹介したい。

日本全土にある無数に近い自動販売機は夜中でも電気を切らずに放置されている。それにパチンコ店の照明と室内の冷暖房も所によっては過剰に電気を無駄に使っているように感じる。自動販売機の場合、少なくとも昼間は照明は必要なく思う。

兎に角、昨年の石原東京都知事の発言では自動販売機の年間電力使用量は26万キロワット、パチンコ業界の使用する電力は84万キロワット、両者を合計して100万キロワットを超え、これは原発2基分の発電量に相当するらしい。

観光寺院の客寄せの為の夜間の“ライトアップ”も庶民の感情を逆なでするような“宗教活動”である。宗教法人に対する課税を厳しくして、このような電気の無駄には断固たる姿勢で禁止を呼び掛けるべきだと考える。

あれやこれやで、考えてみれば、騒ぎ立てる前に、全国民が意識の改革に挑む覚悟で取り組めば“なんとかなる”のではと思われる。

何は共われ、日本はこの機会に「夏時間」制度の採用を先ず考えて、夏本番となる6月から9月末を目途として取り組んでは如何だろうか?

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大英帝国の二つの「三角貿易」

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イギリスは「三角貿易」と云う海外にある二つの地点を利用して、経済交流を盛んにして、富を築いて大英帝国の礎とした国家である。

16世紀に始まった三角貿易は、アメリカ殖民地で造船業をおこし、それをアフリカに送って奴隷を調達、船に積んで西インド諸島に送り、コーヒーや綿花を生産させて本国に持ち帰る方式が取られた。

19世紀での三角貿易はイギリスに本格的に紅茶ブームが大きな産業になった1830年迄は清国から紅茶を買って、その代価を銀貨で支払ってきていたが、清国に対する貿易差額が膨大になった時、そこにアヘンの需要があることに注目、産業革命後は、殖民地のインドに綿製品を輸出、イギリス東インド会社を媒体として、インドで栽培したアヘンを清国に輸出、茶や紅茶を快速「ティー・クリパー」に積み込んでロンドンに持ち帰った。

「世紀末までの大英帝国」{長島伸一著}によると、1838年頃からアヘンの輸入量が膨大となり。さしもの清朝政府も人民の肉体的、精神的な疲弊と、銀の逆流出に依る財政危機を前に、アヘンの輸入を禁止せざるを得なくなった。

そこで「アヘン戦争」が勃発したのであるが、戦争に破れた後では、清国へのアヘンの流入は、「アロー事件」後、第二次アヘン戦争へと繋がり、ここに清国は完全な殖民地化への道を歩まざるを得なくなった。

これら過去の二つの「三角貿易」の功罪について、当時の財界人の読んだ「エコノミスト」もこれ以上沈黙を守ることは出来ず、「アヘン貿易と比べれば奴隷貿易は情け深いものであった。我々はアフリカ人の肉体を破壊するようなことはしなかった。彼等を生かしておくことが我々の利益であったからである・・・・、しかしアへン販売者達は、不幸な罪びとたちの道徳的本姓を堕落させ、退化させ、破滅させた、・・・・・・そこではイギリスの殺人者と清国の自殺者とが互いにその神殿に供物をささげることを競っている」(マルクス「アヘン貿易の歴史」、1858年9月20日付、ニューヨーク・デイリ^トリビューン)より再引用、“世紀末の大英帝国”p。184

奴隷貿易、アヘン貿易、武器輸出等3者は決してあってはならない重大犯罪をからむ貿易手段だが、それに加えて、「プルトニューム」に関係する、核爆弾、原発等も暫時、ヒューマニティーの見地から廃絶に進む機運が生まれて来ることを望みたい。

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北海道開拓の先駆者、ホレース・キャプロン

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日本が開国して半世紀も経たないうちに、近代国家としての礎を築き、世界から脅威の眼で注目されるようになった陰には、資本をいとわず高給を払ってでも欧米の国々から教師役となった「お雇い外国人」を採用したからであった。

幕末から明治20年ころまでに実に約2700人にのぼる、非凡な外国人専門家の来日を要請している。

その内では、イギリス人、1127、アメリカ人、414、フラン人、333、ドイツ人、215、オランダ人99がその内の主だったメンバーと云われている。)

イギリス人が圧倒的に多いのは別として、アメリカからも立派な人物が海を渡って到来、その後の「北海道開拓と発展」の先駆けとなった人がいる。

その人物の名は、ホレース・キャプロン(Horace Capron,1804~1885)(写真)、マサチューセッツ州の豪農の出身、その後、南北戦争に従軍、アメリカの農務局長となった。

1871年頃、日本からアメリカを訪れていた黒田清隆にめぐり合い、黒田の執拗なる懇請でお雇い開拓顧問の資格で明治政府に受け入れられた。

ケプロンの進言は実に順序をわきまえた堅実な構想で、今になって考えても、もし、我が国が後世まで、ケプロンの指示を忠実に守っていれば日本農業は立派な日本の産業の一翼を担うまでに成長していたことと思われる。

これは、全く偶然の出来事であったのかも知れないが、黒田がワシントンを訪れた時、同じ薩摩出身で、彼地で代理大使を務めてい、森有礼に遭い、当時のグラント大統領を訪問して、北海道開拓の必要性を唱えて、人材の推薦を懇請したことでケプロンが候補として浮かび上がった。

ケプロンの滞在は僅かに4年未満であったが、その間、ケプロンは詳細な報告書を作成、先ず、札幌を首都と決め、北海道の地理的特徴を調査、道路の建設プランから、工業、鉱業、農業、水産業等あらゆる産業の基礎からの指導について説明を試みている。土地柄、寒冷地のため、麦の育成を奨励、後に「開拓使麦酒醸造所(後のサッポロビール)の設立に貢献している。

今でも有名なウイリアム・クラーク博士(マサチューセッツ農科大学総長)を招聘して、札幌農学校の開校に貢献した。

魚の塩漬け加工からはじまり、後の日本初の缶詰め量産工場、石狩缶詰所開設もケプロンの進言によると云われている。

北海道こそは、アメリカ式の効率的な大農場の経営が可能で、その後の利用の仕方によっては日本の殆どの、農水産事業は北海道に集約できたかも知れない。

ところが、敗戦後にGHQが強制的に始めた、「農地改造」の名のもとに進められ大農地の分割で多くの小作農が出現し、日本の農業が非効率な産業となってしまったことは惜しまれてならない。

1884年、ホレースは帰国したが、その9年後、本政府は彼を勳二等に叙して、その貢献にこたえている。

彼の死後、ホレース・キャプロンのワシントンD.C.の邸宅は最初の日本大使館と云われている。

在日中にキャプロンの収集した日本関係の美術品や古物は、彼の死後、未亡人のマーガレットがSmithsonian Institutionに売却、これがこの在団の日本関係文化資料の源を形成したとされている。

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悲劇の象徴となった「釜石製鉄所」

1880年(明治13年)に釜石に造られた官営の製鉄所は、その稼働が永く続かず、3年後の明治16年に廃業した。

当時政府ご用達の金物商、東京の田中長兵衛が払い下げを受けて、娘婿の番頭であった横山久太郎を中心に再建に立ちあがり、英国から輸入した25tの他に2基の小型高炉を作って銑鉄の製造を開始した。

しかし、1896年(明治29年)6月15日、所謂“明治三陸地震”で10~45メートルの大津波で釜石の人口の76%(人口6529人のうち死者、4985名)を失う大事件で工場もその震災の藻屑となった。

新日鉄(旧八幡製鉄)釜石製鉄所の前身、釜石鉱山田中製鉄所の名称のこの工場(岩手県釜石市)は、1886年(明治19年)に日本で最初にコークスを使用して、高炉による製鉄を軌道に乗せた由緒ある工場であった。その間、1890年(明治27年)には顧問として冶金の専門家、野呂景義(1854~1923)、主任技師に香村小録を迎えて、当時としては欧米の銑鉄に勝るとも劣らないクオリティーの製品を世に出したと云われている。

奇しくも釜石を明治の三陸津波が襲った同じ年の3月に、福岡県八幡に官営製鉄所建設が決定されている。官営の八幡製鉄所建設を發議したのは、幕末に一時は政敵として蝦夷の五稜郭に立てこもり官軍に弓を引いた榎本武楊であった。

榎本は縁あってその後、洋行を果し、帰国して農商務相を務めていた。彼は西洋で見てきた科学技術こそ大切だと唱えたため、「鍛冶屋大臣」のあだ名までもらっていた人物。

“鉄は工業の母”と唱えた釜石の野呂(後に東大教授)と榎本武楊こそが後の日本の重工業を担って立つ鉄工所「新日鉄」を発足させた。

一次「鉄は国家なり」と豪語するように成長した、八幡製鉄(新日鉄の前身)であったが、最初の頃には高炉のトラブルが連続して、溶鉱炉の不調に加えて、徐塵機にのガス爆発などを起こして、ドイツから技師を招聘してまで、技術的に世界のレヴェルと互角に競える製品が出来るまでにはそれから何十年の月日が必要であった。

今では水素やサビにも負けない常識を打ち破るような製品ができるようになったが、日本の製鉄の先駆けとなったのは、やはり「釜石」で経験を積んだ熟練工のほか、「工手学校」や帝国大学出身者達の技術が、やがて、世界に冠たる八幡製鉄所を生んだと云っても過言ではないと考える。

今更ながら、釜石鉱山田中製鉄所も昭和の釜石(新日鉄)製鉄所も、共に三陸の大津波の藻屑となったことを知って、歴史の皮肉に涙が出る気持である。

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「オーランチオキトリューム」

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オーランチオキトリューム(学名:Arantiochytrium)と云う、一度聞いただけではとても覚えられない難しい名前の“藻”が次世代の再生エネルギーの本目として期待される新しい材料である。

平成22年に筑波大大学院生命科学研究所教授の渡邊信氏が沖縄の海でマングローブの林の中から発見した、光合成をおこなう葉緑素をもたない“藻”の種類。

この“藻”は排水などに含まれる有機物を吸収して、活発に増殖する性質を持ち合わせている。

「スクワレン」と云う名称で知られているサメの肝油とおなじ炭化水素で石油などと同じ成分の燃料になる。

仙台市の東部沿岸にある下水処理場の南蒲生浄化センターは昨年3月11日、10メートル超の津波で、施設が壊滅的打撃を受けた。市の生活排水の7割に当たる日量39万トンを処理する大規模施設で、これの完全復興には4~5年、それに900億円と云う高額な費用が必要とされている。

これの復興計画で浮上したのが、前述した渡邊教授の推奨する“藻”の活用である。彼は宮城県の出身で、かねてより実用化に向けて仙台市が抱えるものと類似の問題解決の実用化プランを練っていたことでもあり、仙台市に協力に積極的に参加、この度、仙台市、筑波大、東北大の三者で研究協力協定を結んだ。

先ず試験プラントを建設後、筑波大が藻の培養、東北大が油分の抽出を担当、実証研究の開始となる。

渡邊教授はこれまで「藻を培養する栄養源に排水の有機物を使うので産業化のネックだった製造コストがさげらることで、復興のためにも先駆けのプラントとして成功させたい」と抱負を述べている。

バイオ燃料には、トウモロコシなど食糧作物からエタノールを作る方法が大農場を使って普及しているが、今後は食糧の供給不足や原料の高騰に不安が残り実用には不向きである。

他にも、食糧にならない雑草などの陸上植物の研究もあるが、これらは殆ど生産量の確保の面で広大な土地が必要で我が国には則さないと考えられる。

ところが藻類ならばタンクやプールで大量に培養すれば土地を選ばないうえ、面積当たりの収量はたかい。

この“藻”の特性は、増殖のスピードがこれまでに最有力候補と云われた、光合成する藻類の10倍以上の炭化水素を作り出すことで知られいることは事実で、現在の試算では、1ヘクタール当たり年間1万トンと考えられ、これが2万トンも出来ることになれば、日本の原油輸入量を賄えることとなると考えられている。

これに似た培養研究は早くからアメリカを中心に行われており、米エネルギー省が助成金を出して商業化に努めていると云われている。

日本でも大学や民間で研究グループができ、軌道に乗り始めた段階である。将来のエネルギー源として欠かせないファクターとして1日も早い実用化を望みたい。

(産経:410日、「オピニオン」参照)

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今後の「印紙税」の行方?

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今、消費税が盛んに論議されていますが、もし、消費税を10%に引き上げる場合に、未だに履行されている「印紙税」はどのように扱われるのか疑問を覚えざるを得ない。

消費税も印紙税も同じ間接税の中の「流通税」だとすれば、もし消費税を導入すれば、今度こそ印紙税は廃止の対象になって当然と考える。

以前、消費税が3%~5%になった時、印紙税はそのまま論議されずにノ・タッチで生き残ったことを記憶している。

例えば、不動産譲渡、建設工事の請負、債権譲渡や債務の引き受け、土地の貸借権、賃借権の設定、消費貸借、会社定款の作成、会社合併、分割契約書の作成のような高額な金銭の移動にも「印紙」が必要となると、消費税の引き上げと併せて、いろいろな商行為に多大な影響を及ぼし、将来の景気動向が危ぶまれると筆者は考えるのだが。

小さい問題の代表格は、個人の預金通帳が一杯になり、新しく発行されるときでも印紙が必要となる。これは預金者の負担とならないので誰も不平は云わないが、金融機関にとっては少なくない税金である。

印紙税の発端はイギリスで、18世紀にアメリカ殖民地を守るため、フランスと戦った、“フレンチ・インディアン戦争”(別名、7年戦争)の時の戦費の穴埋めに考えた悪法。そのため、殖民地人が反乱をおこし、イギリスが破れて、アメリカが独立した。(ボストン・ティーパーティー事件)

前回の消費税が2%揚げられた時には、ガソリン税や酒税にかかる印紙税については激論に至らなかったが、最近のガソリンの異常な値上がりや、日本酒業界の不況の具合を考えると、もし5%もの消費税の増税ともなると、尚更、印紙税は、今度こそ廃止の方向に向かわざるを得ないと考える。

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「死蔵」財産活用法私案

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“相続税、贈与税の現状と展望”東北法学会会報21号(2003年)では日本の相続税収入は、平成14年度予算において約1兆5300億円であり、これは国税収入の約3.1%を占める。

又、相続税の課税対象となるのは、相続のうちの5%とのこと。

また、この報告によると、日本の相続税・贈与税の最高税率は70%、これは現在の国債水準から見て相当に高い。

さらに、日本では、贈与税の率が、相続税と比べて極めて高い。最高税率は同じ70%だが、相続税では20億円、贈与税では1億円でその率に達する。

外国では、むしろ贈与税のほうが負担を軽くしているところが多いとも云われている。

筆者が考えるに、国は誰からでも、何時でも、法制度に準じて税金徴収は可能なのだから、現在、約1400兆円もあると云われる国民預金が65歳以上に半分以上占められていると云われているものを動かすことを考えるべきである。

しかしながら、資産家の老齢者は積極的に財産を消費せず、将来を見据えて、いわば、死蔵している傾向の感がる。

極論と思われるかもしれないが、それらの国民に30年満期国債を発売し、これに関して相続税免除の扱いにすれば、700兆円が国庫に入ることになりはしまいか?

しかし、30年後に於いては、現在35歳の若い国民層が65歳に達しているから同じことが発生しかねないと思うが、30年後の資産価値は決して現在とおなじとは必ずしも言えない。

戦後の夥しいインフレ時、戦前の10年償還の生命保険が満期になっても金銭価値の下落で殆ど役に立たなかった例が思いだされるが、高齢の資産家の「死蔵」されている預金を動かさなければ、このままでは国の財政が維持できないのであれば、これも一策ではないかと考えざるを得ない。

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京都市+日立造船廃棄物でエタノール抽出実験

「都市油田発掘プロジェクト」が本来の名称かどうかは定かでないが、京都新聞に紙のゴミから燃料を作りだしたいと云う京都市と大阪市の日立造船が都市ゴミ50キロから純度99.5%のエタノール35リットルの抽出に成功した記事が出ていた。

4月6,7日の2日間、このエタノールを使って中京区の二条城で発電機を作動、発光ダイオード(LED     の燈籠点灯実験をする。

これには西京区の西部圧縮梱包施設の試験設備で主に学校から出る古紙と一般家庭ゴミを7対3の配分で混ぜた廃棄物をもって実験。それを酵素と酵母を入れた“反応槽”で5日間発酵させた。

これにかかった設備費用を別にして燃料だけの費用は1リットル役120円でエネルギー量で考えれば市販のガソリンより少し割高、しかし、今後、紙と生ゴミの混合割合を変えたり、酵母の改良でコストは下げられると云う。(京都市環境政策局)

先ずは廃棄された紙ゴミを燃料に変換する出来ることが実証できたので、今後さらに発酵後の残りカスからでも「メタン」が取り出せる実験で、更なるゴミのエネルギー化に挑戦したいとしている。

LED燈籠の点灯は4月6日、午後5時~15分間、7日には午後6時半~7時半迄とのこと。(京都新聞4/5)

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国宝中尊寺経は是非地元へ!

空海と高野山―弘法大師入唐1200年記念が平成15年4月15日~5月25日迄京都博物館と高野山真言宗総本山金剛峯寺の主宰で京都博物館にて盛大に挙行された。

その時、筆者も会場を三度となく訪れて、多くの寺宝をつぶさに勉強させていただいた。

その時に発行された目録中、#156に、紺紙金銀字一切経(中尊寺経)5巻が展示され、4296巻の内と書かれて、これが永久5年(1117)~天冶3年(1126)頃に藤原清衡(1056~1128)の発願にて書写されたもので、“古来より、この一切経を納めたところが平泉の中尊寺と考えられてきたので、これを「中尊寺経」と呼び、発願者の名をとって「清衡経」とも呼んでいると説明されている。

そこで、中尊寺経の由来や説明、その考古学的価値を述べたあとで、“これら(4296巻)は、16世紀に豊臣秀次によって高野山再興に努めた木食応其(もくじきおうご)(1536年~1608)に与えられて今に至ったと伝えられている”とまるで人ごとのように片づけている。

歴史書によると豊臣秀吉と木食は親密な関係があったことは知られてはいるが、その秀吉によって追われて高野山に蟄居、その後、切腹させられた秀次が、何の故あって秀吉にかわって「宝物」を高野山に貢ぐことになるのだろう?

これは誰が考えても、こんな大きな「嘘」を、日本を代表する真言宗の本山、高野山が云うべきことではない。

「東光太平記」の著者で、昭和40年(1968)に権大僧正の位で中尊寺の貫主となった今東光氏本人が表した「毒舌日本史」を読むと、秀次が中尊寺に出向いて、そこにあった紺紙金銀経をごっそりと盗み出し、後に高野山に運んだとハッキリと著述している。

寛永5年4月17日興山寺(高野山)第3世文殊院応昌が快舜和尚に頼んで興山寺の後山に東照大権現堂を建て、これらの中尊寺経をその経蔵に納めたことは事実と古写経綜鍳の著者田中塊堂氏が認めている以上、高野山は秀次から直接収得したことは明らかと云う外ない。

田中氏の云う、承安2年3月2日付、秀衛(藤原時代末期)の贋作寄進状の存在自体がこの辺の後ろめたい高野山の事情を物語っている。

唯、筆者が不思議に感じるのは、今東光大僧正が中尊寺の代表者として、存命中に何故にこの大事件の解決を高野山と話し合はなかったかである。

しかも、今氏は昭和43年参議院選挙に当選、昭和49年まで政治家であったわけだから、中尊寺の名誉回復の為に300年に及ぶ高野山の不法行為を糺して欲しかったものである。

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立山連峰に氷河の存在確認

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ロシア・カムチャッカ半島の以南には、これまで「氷河」の存在は無いものと考えられていたが、このたび、「雪氷学会」が立山」連邦に日本初の氷河があることを確認したと云う。(毎日、4/4)

日本雪氷学会(東京都)は、立山カルディラ砂防博物館(富山県、立山町)が北アルプスの立山連峰で見つけた氷体を日本で初めての氷河と確定した。

同学会の藤井理行前会長(65)は“日本のように温暖な処で氷河の存在を確認するのは、大きな発見”と評価していると述べ、詳しい結果は5月発行の学会誌「雪氷」に掲載されるとのこと。

立山連峰は冬季の降雪量が非常に多く、夏の気温も低いため、氷河形成の条件が整っていると云われている。

表層(15~20センチ)にドリルで穴をあけ、そこえポールを挿入、その位置で以前に確認した位置からの氷体の移動距離で判定する。

この結果剣岳(標高2990M)周辺の三ノ窓雪渓や小窓雪渓、雄山(3003M)周辺の御前澤雪渓で32~7センチの動きを確認した。

このデーターは雪氷学会が検証、この度、氷河との確証を得た。

学会誌編集長の石本敬志氏(64)によると、これまでに多くの人達が各地で調査したが、確定には至らなかった。

長野と富山の境の地点にある立山に氷河の存在が認められたことで、或いは今後、各地で「氷河」の探索が始まるきっかけとなることを期待したい。

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東大寺法華堂宝物「宝冠」修理完了

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奈良東大寺法華堂(3月堂)国宝、奈良時代「不空間羂索観音立像」(ふくうけんさく)立像の化物(けぶつ)を含む宝冠が立派に修理完了したことが各新聞に掲載されていた。

この宝冠は全てが銀製で、表面には鉱金が施され、誠に緻密な技術が発揮された、我が国、奈良時代工芸の粋と称えられる物である。

宝冠の高さは約88センチで、その中心には仏像(けぶつ)の大きさは約24センチと云われている。

この宝冠には水晶や翡翠など一万個以上の宝石で装飾されている、他に類をみない立派な工芸品であり、勿論国宝に指定されている。

財団法人美術院が平成22年末から修理を始め、永い間に付着したほこりを除去、失われた部分も捕逸して修理を完了した。

来年1月にもとあった仏像の頭上に戻されて、法華堂内部は再び、一般に公開されるとのことである。

東大寺ミュージアムの梶谷亮冶館長は“ここまでキレイな状態で当時から保存されているのは、他に類を見ない、改めて神々しさを感じる”と述べているが、

この宝冠が一度盗難に遭い大問題となったことには触れていない。

実は、昭和12年の2月堂のお水取りの頃、その隣の3月堂に泥棒が侵入、3メートル以上もある仏像に梯子をかけてこの宝冠を持ち去った事件があった。

東大寺が盗難に気づいたのは3月になってからであったらしい。

これは当時の大ニュースとなり、新聞紙面をにぎ合わした。

しかし、事件の詳細はそれきり沙汰やみとなったが、盗人は、一旦古物商に持ち込んだが、その古物商が西井某氏に換金を依頼したところ、西井氏が品物が只者でないことを知り、知人の田万弁護士に相談した。

それが、当時の清水公俊管長の知るところとなり「宝物」は目出度く東大寺に戻ったとのこと。

しかし、実際の事件の展開の詳細は不明。

伝えられるところでは、この宝冠が発見され、東大寺に戻されたのは、事件発生より6年後の昭和18年の9月で、時効成立の半年前であったと云われている。

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新しい乗り物

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車輪を回転させずに、しかも自分の意のままに、行きたい方向へ”レバー“一つで行ける、全く夢の様な4輪車を今朝の「みのもんた」④のテレビで拝見した。

京大工学部準教授が工夫、3月22日に発表された(写真)この「全方向移動の4輪乗り物」、今までの乗り物のコンセプトを根底から崩すような工夫が包含されていると感じた。

先ず、これまでの思考では、乗り物を回転させるには、ハンドルで車輪自体を左か右に回さなければならないと思うのが普通だが、この全方向移動車に於いては車輪タイヤの表面に方向転換するための別の小型車輪が埋め込まれていて、運転手の簡単な操作で移動が意のままになる優れ物。

これは、見たところすぐにでも電動車椅子などに利用ができそうである。その価格は、現在の段階でも200~300万円で販売かのうだとのことで、大量生産段階にでもなれば市場性は有望と思われる。

直径40センチの車輪の周りに、車輪の回転に対して垂直方向に回転するゴム製ローラー(直径約6センチ)を32個取り付けられていて、回転のさせ方で、真横にも、斜めにも動かせられる。

真横に動かせるところを見ていて筆者が考えたのは、この装置が自動車に採用された場合、初心者ドライバーでも駐車が簡単に出来るのではと気づいた。

狭いオフィスや工場に於いても、前後左右に動くので、これからの思考次第では建設機械にも採用される可能性も夢ではないと思った。(グーグルサーチエンジン参照)

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