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大英帝国の二つの「三角貿易」

Yunionnjyakku

イギリスは「三角貿易」と云う海外にある二つの地点を利用して、経済交流を盛んにして、富を築いて大英帝国の礎とした国家である。

16世紀に始まった三角貿易は、アメリカ殖民地で造船業をおこし、それをアフリカに送って奴隷を調達、船に積んで西インド諸島に送り、コーヒーや綿花を生産させて本国に持ち帰る方式が取られた。

19世紀での三角貿易はイギリスに本格的に紅茶ブームが大きな産業になった1830年迄は清国から紅茶を買って、その代価を銀貨で支払ってきていたが、清国に対する貿易差額が膨大になった時、そこにアヘンの需要があることに注目、産業革命後は、殖民地のインドに綿製品を輸出、イギリス東インド会社を媒体として、インドで栽培したアヘンを清国に輸出、茶や紅茶を快速「ティー・クリパー」に積み込んでロンドンに持ち帰った。

「世紀末までの大英帝国」{長島伸一著}によると、1838年頃からアヘンの輸入量が膨大となり。さしもの清朝政府も人民の肉体的、精神的な疲弊と、銀の逆流出に依る財政危機を前に、アヘンの輸入を禁止せざるを得なくなった。

そこで「アヘン戦争」が勃発したのであるが、戦争に破れた後では、清国へのアヘンの流入は、「アロー事件」後、第二次アヘン戦争へと繋がり、ここに清国は完全な殖民地化への道を歩まざるを得なくなった。

これら過去の二つの「三角貿易」の功罪について、当時の財界人の読んだ「エコノミスト」もこれ以上沈黙を守ることは出来ず、「アヘン貿易と比べれば奴隷貿易は情け深いものであった。我々はアフリカ人の肉体を破壊するようなことはしなかった。彼等を生かしておくことが我々の利益であったからである・・・・、しかしアへン販売者達は、不幸な罪びとたちの道徳的本姓を堕落させ、退化させ、破滅させた、・・・・・・そこではイギリスの殺人者と清国の自殺者とが互いにその神殿に供物をささげることを競っている」(マルクス「アヘン貿易の歴史」、1858年9月20日付、ニューヨーク・デイリ^トリビューン)より再引用、“世紀末の大英帝国”p。184

奴隷貿易、アヘン貿易、武器輸出等3者は決してあってはならない重大犯罪をからむ貿易手段だが、それに加えて、「プルトニューム」に関係する、核爆弾、原発等も暫時、ヒューマニティーの見地から廃絶に進む機運が生まれて来ることを望みたい。

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