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コムストック・ロード

Comstock_lode 19世紀の炭鉱夫

ヴァージニア・タウン(Virginia town)がアメリカ西部ネヴァダ州にあるのに疑問を持つのは当然だが、事の始まりは、カリフォルニア・ゴールド・ラッシュ(1849年)の10年後、の1859年、“シックス・マイル峡谷”(six-mile canyon、当時、ユタ州)にある、マウント・ダヴィッドソン(Mt. Davidson)の傾斜地で、パット・マックローリン(Pat McLaughlin)とピーター・オライリー(Peter O’Reilly)によって発掘が始まった。

この場所が後日、ヴァージニア・タウンと呼ばれるようになったのは、或る、酔っ払いで有名だった金鉱探し、ジェームス・フィニー(James Finny),通称、”オールド・ヴァージニー”(Old Virginny)の名前からきていると云われている。

或る日、ヘンリー・コムストック(Henry Comstock)がつまずいて偶然発見したと云う巨大な銀鉱石からこの採掘地がそれ以来、コムストック・ロード(Comstock Lode)と命名された。

金の発見に続いて、その辺一帯に青いネバネバの粘土層があることで採掘者を悩ませていたが、その成分を調べたところ、それが銀を含有した粘土で、1トン当たり2000ドル(当時)の価値があることが判った。

あれやこれやで、この話が急に広がり、リンカーン大統領の知るところとなった。人口過疎で憲法上無理があったが、ここに大統領命で、南北戦争(1861-65)の最中の1864年10月31日、ネヴァダ州が誕生した。

間もなく、デンヴァーから、或いは、サンフランシスコから次々と探鉱者が押し寄せて、人口が急増、それ以来、Virginia Cityが誕生した。(人口、3万)

薄汚い労働者の中から多くのインスタント・ミリオネヤーが誕生、そこここでマンションやエレヴェーター(”rising room”、当時の名称)付きの豪華なホテルが立ち始め、それに伴って輸入家具やニュー・ファッションが流行、更には鉄道までが敷設された程で、正に一夜にしてブーム・タウンが誕生した。

この地で最初に金鉱を発見したのはモルモン教徒で、それは1850年春であった。その頃は、この地はゴールド・キャニオンと呼ばれていた。

ヴァージニア・シティーでの鉱物発見の規模は10年以前の所謂”カリフォルニア・ゴールド・ラッシュを遥かに凌ぐもので、特にこの地は、最初にアメリカで「銀」が発見されたので有名である。

ⅰ860-1880年迄にコムストックから採掘された鉱物の合計は約698万トン。1877年のピーク時には、金が、1400万ドル、銀が、2100万ドルと推定されるが、その3年後の1880年にはほとんど掘り尽くされたれと云われる。その以後では、大仕掛けの採掘(地下1000メートル)が採用され、1922年頃まで続いた。

残念にも最初に一攫千金を目指した連中はその後、富を使い果たし、ご多分に漏れず不幸な人生をたどったが、これ以後、ネヴァダ州は”Silver State”の別名で呼ばれるようになった。

この「ボナンザ」によって成功を収め、富豪になった人の中に、ジョージ・ハースト(George Hearst)がいる。彼は3人で会社を興し(Hearst,Heggin,Tevis and Co.,)アメリカ第一の鉱山会社となった。

後に、新聞王と呼ばれ、ピューリッツアー(Joseph Pulizer,1847-1911)と新聞界の覇を競い合った、ウイリアム・ハースト(William Randolph Hearst)はジョージ・ハーストの息子である。

又、銀男爵(silver baron)の異名をとりカリフォルニア最初の百万長者となったアルビンザ・ヘイワード(Alvinza Hayward)もコムストックで財をなした僅かな一人として知られている。

現在では、当時の鉄道(The Virginia & Trukee Railroad)がヴァージニア・シティーからゴールド・ヒルを往復し、多くの建物群も保存されて,ネヴァダ州の歴史的文化地区として観光名所となっている。

(参考文献:History of Virginia City, Nevada and Comstock Lodeより抽出)

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