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リンドバーグ太平洋を飛ぶ

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ジョン・カーティス・ペリー(John Curtis Perry)”Facing West”,(1994年)日本語版名「西へ!」、北太平洋国際関係史研究会訳、PHP研究所発行で最近知ったことであるが、昭和初期に大西洋単独飛行を試みて世界を驚かせた、チャールス・リンドバーグ(Charles Lindbergh)が、昭和6年の春に今度は、アメリカ東海岸から北周りで日本を訪れている。

そのルートとは、カナダの北端の海岸線に沿ってアラスカに至り、カムチャッカから千島列島に沿って南下、根室、東京、福岡を通って南京に至る長旅であった。彼はフロートの付いた水上飛行機を使用、寝袋やボート、食糧を準備した周到なフライトをしている事が判る。

常に何時でも着地、或いは着水が出来るように海岸線や、島つたいの観測飛行であったことが判る。そのことで太平洋を直線で飛ぶより北周りで、可なりの距離をセーブしたことになる。

未だ旅客飛行便の始まっていない頃、アメリカは既にベテラン・パイロットを使ってアジアに向けての試験飛行を試みていることは、流石と云わなければならない。

アメリカは19世紀後半頃から、既にロシアのシベリア鉄道及び、その頃、始まった電信とで、西から世界一周する交易を模索中であったが、クリミヤ戦争、アメリカ南北戦争に続いて起こった日清、日露戦争、第一次世界戦争、ロシア革命等の関係で夢半ばで立ち消えとなってしまった。

フロンティアーの消滅を契機として、アメリカ合衆国は、大西洋と太平洋を結ぶ大陸となり、パナマ運河の開通(1916年)で、これまで裏庭であった太平洋を一気に自国のフロント・ヤードにしてしまったことが判る。

その後に何が起こったかは説明の必要はないが、一つ意識しなければならない事は、ルーズヴェルトは日露戦争の日本の快挙を取り上げ、“アジアにおける英国“と持ち上げながら、1907-1909年に、アメリカの最新鋭艦隊を世界一周に送り出し、自国の実力を誇示しながら、それを微妙な言い回しで”white Fleet”と称した。

(此の名称は云わずと知れた、日露戦争直後から、ドイツのウイルヘルム二世が唱えて世界中に広がった「黄禍論」(Yellow Peril)に対する皮肉った名称であろう)

19世紀の後半から20世紀初頭には、スエズ運河の開通と、アメリカ大陸横断鉄道の開通が同時に起こり(1869年)その後、間もなくして、パナマ運河の開通によって、世界の交易に要する時間が多いに短縮された。

その後、間もなく1世紀が経とうとしている、この間の人類文化の進展は驚くべきものがあったが、地球の温暖化が急激に進み、最近では北極海の航行が可能になろうとしている。これに依って、世界にどんな変化が起ころうとしているかに一番関心を持っているのはロシアである。

本年の9月にウラジオストックで、ロシア主催で行われる、太平洋経済協力会議(APEC)には世界の目が集まることになるのは当然だが、最近では日本に替わって世界中を脅かす存在となった黄色人種の強国「中国」と[white Fleet]連合との軋轢は再び始まると考えるのは筆者一人ではなかろう。   

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