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イタリアでの一大発見?

Caravaggio

時価に換算して8600億ドルとも云われる、イタリア・バローク(17世紀)の巨匠としてランクされている、「カラヴァッジオ」(Michelangelo Merisi de Caravaggio,1571-1710)の作品と推定される、100枚以上のデッサンと数枚の作品が新たに発見されたと云うニュースに学会は揺れている。

モーリジオ・B・クルス(Maurizio B,Curuz) とアンドリアナ・C・フェドリゴリ(Andriana C,Fedrigolli)の両氏は、イタリア・ミランのスフォルツァー城(Sforza Castle)に長く収蔵されていた、カラヴァッジオが、11才の頃から師事した、ルネッサンス画家、シモネ・ペテルザニ(Simone Peterzano)の作品の中から、これらのカラヴァッジオ独特の手法の特徴を顕著に示す100枚以上のデッサンと数枚の優秀な作品が発見されたとラ・リパブリカ・デイリー誌が述べている。

このニュースによる発表がどの程度の信憑性があるこは不明だが、専門家によるとこれらの多くの習作画の中には既にカラヴァッジオの真作として広く知られている有名な作品の一部を切り取ったとしか思われない部分が描かれているとのことで物議を醸している、もし、近い将来この一群の作品がカラヴァッジオの真作と証明されたなら、恐らくその価値は8億6000万ドルを下らないと期待されてい

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カラヴァッジオの晩年は、謎めいていて未だはっきりとは判っていないし、画家の死亡の原因追究に多くの専門家が懸命になっている。

アンドリュー・グラハム・ディクソン(Andrew Graham-Dixson美術史家)が、

”A Life Sacred and Profane “のタイトルで、カラヴァッジオの複雑な人生に関して、彼が性的に錯倒した人物で、死ぬまでに多くの不嫡子をもうけたことを指摘している。

カラヴァジオはテニスの最中に喧嘩となり殺人を犯したと云われたり、借金でのトラブルで人を殺したとの主張もあるが”、アマゾンが7月1日発表した2冊、700ページに及ぶ評論に依ると、グラハムーディクソン氏は、前述の“神聖で冒涜な人生”で、殺人は、嫉妬と愛に苦しんだカラヴァッジオの短気な性格によるとのことを発表している。

この殺人は、1606年、ラヴィニア(Lavinia)と云う名のポン引きをしていた、ラヌチオ・トマシニの妻を巡っての喧嘩中に起こったと、グラハム・ディクソン氏は最近ローマで発見された古文書を参考に記述しているとの事。

カラヴァッジオは当局の追及を避けるためマルタ島に逃亡、そこでマルタ騎士団に参加したと云われているが、画家の死んだのは、ナポリからローマに向かっている途中、タスカニーのポルト・エコールであった。(16010年、享年38才。)

“カラヴァッジオの存命中、特に、1584年から88年の間に、何も習作の類を残さなかったことが不思議だと”とクルス氏。

これらの作品が今まで長きにわって秘蔵されていた訳ではなかったが、誰もこれらの作品が学会で発表しなかったことは不思議だと、関係者。

この発見をもたらしたのは、永い間、北イタリーの数々の教会や有名コレクッションを調査し、その中から、1378点にも及ぶペテルザノと、その工房の作品を調査していた研究の結果であった。

すべての新発見の作品はe-bookでアマゾン社によって7月6日に”protest written and signed by the young Caravaggio”のタイトルで発表されるとのこと。

蛇足だが、筆者の経験では、カラヴァッジオが今の様に有名になり、騒がれ出したのは第二次戦争後のことだと記憶している。

カンサス市のネルソン・ギャラリーにある聖ヨハネ像は特に秀作で、カラヴァッジオの特徴であった“光と影”が見事に表現された作品でこの技法は、その後、北ヨーロッパの画家、レンブラントやルーベンスに多大な影響を及ぼした。

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