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「ミッド・ウエイ」

Gambia_2 Midway_island_1970 軍艦:ガンビアとミッド・ウエイ島

ハワイのホノルルから約11マイル北西の太平洋上にミッドウウェイ島がある。

此の島は全体でも、6キロ㎡の小さな島であるが、アメリカにとっては戦略上重要な処であることは第二次世界戦争中に証明された。

1859年(ペリー来航の6年後)、ガンビア号でホノルルを出港したブルックス 艦長(N.C.Brooks,onBambia)により発見された。

最初は、middlebrookIslandsと呼ばれていたが、後日、それはbrooks島に改名された。

1867年になり、スワード国務長官(William H.Seward,1801-1872)の努力で議会の承認後(Guano acts of 1856),アメリカの領地に編入された。

スワードは南北戦争中(ⅰ860-1865年)リンカーンの国務長官を務め、リンカーンの暗殺事件当日(1865年4月15日)スワードも暴漢に襲われ重傷を負った。

アメリカはロシア帝国よりアラスカを高額の760万ドルで購入したが、同年、ミッドウウェイを全く無償で取得した。

これに依って、ハワイ王国に無言の圧力をかけ、間もなくハワイはアメリカに併合された。(1899年)

ミッドウエイを取得後、議会の決定で、5万ドルを費やして岩礁を切り開き大型の船舶の通路を安全なものとしている。

このような小さな岩礁に大金を投入して、“ミッドウエイ”と命名したアメリカの意図は何処にあったのかを考えるとき、「フロンティアーの終焉」を宣言した頃から、既に“アメリカは西に向かって進む”計画を鮮明にしていたことが判る。

太平洋に海底カーブルが敷かれることとなり、その際、派遣された技師によると、この島は人間が生活するには不向きであると報告している。

そこで、アメリカ政府は此の島に多くの植物を運び、「東島」には間もなく「緑」が茂るようになったと報告されている。

その後、グアム島とハワイ島から専門家が派遣されて、本格的な植物栽培が始まったと云われている。

1921年には9000トンの土が運ばれ、岩礁だった島は人間が住める島に姿を変えた。

カバの木や、ココナッツ、松などの種類が植樹され、ほぼ100年後の現在、全島は緑で覆われる美しい状態になったが、土と一緒に、白アリ、アブラムシ等が輸入され自然の脅威となっていることは事実らしい。

日本から次第に多くの漁師や、美しい熱帯の鳥類の羽根を求めて日本人がしげしげ訪れる様子を見た、テオドール・ルーズヴェルトは、海兵隊を派遣して、この島の保護に努めるとともに、地下水の確保と、永久的な軍事施設を構築した。

1935年にはパン・アメリカ航空会社の“チャイナ・クリッパー”の就航を見るに至り、ミッドウエイはアジア向けの中間空港としての役割を果たすことになった。

第二次大戦では日米の間で、「ミッドウエイ海戦」の戦場となり、ここで4隻の日本海軍の貴重な空母が撃沈される事件がおこった。

これ以後、日本はアメリカに太平洋上の制空権、制海権を奪われ、敗戦の道を進まざるを得なくなったのであった。

“Didway”とは中間点の意味だが、奇しくも、この島が、日米の決戦場となるとは今となっては、それは「歴史のいたずら」と思えてならない。

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