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司馬遼太郎の「北方四島」観

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最近読んだ書物の中に、故司馬遼太郎の「ロシアについて」(文春文庫)がある、司馬氏は“北方の原形”と云う副題をつけてロシアの成り立ち、国民性等をエッセイ風に分析して、最後の章で「北方四島」について自らの考え方を披歴している。

司馬氏も筆者と同じく、ソ連邦が千島(クリル諸島)を占領した理由は、ヤルタ会談でアメリカ大統領、フランクリン・ルーズヴェルトの要請にもとずくものと述べている。

司馬氏は米ソで話し合われた「ヤルタ協定」では、外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。(現状とは、ソ連傘下であり続けること)が第一項にあり、第三項目に“千島列島が、ソ連に引き渡されること。”と謳われていると述べている。

“これによって、”いわゆる日本の「北方四島」は失われた。”と司馬氏は書いている。

司馬氏は、続けて「勝者」と「敗者」を定義ずけて、“・・・事実、ソ連は千島のすべての島をとりあげ、日本側がそこはいわゆる千島でなく固有領土だとする四つの島まで取り上げた。”しかし、これは“三人の勝利者の分け前談義なので、情け容赦があろうはずがない。”

従って、ヤルタでは千島問題とは別に、千島列島より遥かに広大な外蒙古を、そのままソ連の支配下に置くことも話し合われて、決着をみたことも日本の政治家は知るべきである。

しかも、そこにはやがて勝者となる筈の中華民国の代表、蒋介石も招かれないまま「三者」で決められたことに後の中国が反対を唱えていないことも我々は知るべきである。

司馬氏は、もしソ連(現ロシア)が日本の四島返還要求に何らかの考慮を示したならば、モンゴル高原(千島列島と比較にならない程広大)の問題について“外蒙古を中国に返せ”と云う要求が中国から出ることは確実と述べている。

司馬遼太郎の論理は間違っているとは思わない。

戦後の最終処理問題を話し合う場には、当然日本はいないが、彼等は(米英ソ)何故そこに蒋介石を呼ばなかったかが、司馬氏の論説から読めることを筆者は初めて知らされた。

蒋介石はその後の「ポツダム宣言」の場にも呼ばれなかった、これは紛れもなくスターリンが関係していたと思わざるを得ない。

即ち、「外蒙古問題」である。

最後に、日本は戦後65年間、「北方四島」に無駄な時間と国民の税金を費やしたことがハッキリと判った。

日本の政治家たちは、今後は、もっと目を見開いて、世界の情勢分析を行い、狭い自国の利益だけを追い求めることは、いい加減に止めにして欲しいと願う次第である。

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これ以上「黙っていられない!」

手遅れになった病人に「何故こんな状態になるまでに医者に相談しなかったの?」と云っても、なってしまったことは 今更取り返しは付かないのが現在に日本国である。

戦後65年も過ぎるまで、他国によって強制的に押しつけられた憲法を「平和憲法」と称して反省もせず、「非武装中立」を唱え、何の憂いも感じずに国政を司ってきた政治家達、左派も右派もすべて同罪だと云わねばならない。

平和憲法と云へば、それは、戦争の放棄をアメリカに云わされたがために、その様な憲法が出来上がっただけのことで、そこには自主性は何処にもみあたらない。

韓国、中国は生まれてきた子供に「日本憎し」の教育を施した。生まれて15年も経てば立派な反日国民が出来上がる。

我が国の教育は、そのまる反対で、日教組によって洗脳された若い先生たちが、「前の戦争では、日本の軍隊がアジアの人々を苦しめ、悪いことを数々行いました」従って、「我々はそのような苦しみを経験させたことに心から謝らなければなりません」と云うようなシナリオを子供達に植え付けた。

それに加えて、「正しい歴史」を教えていないことにも問題がある。

最近の「竹島」、「尖閣諸島」はふって湧いた事件でないことはハッキリしている。

竹島は、なにの抵抗も受けずに韓国が実行支配してしまったが、日本政府はこれに反抗する実行力がないことを確認するかのように、中国が漁民をつかって、尖閣に揺さぶりをかけている。

上記2件とも、内政に不満を持つ国民の心を「反日」にすり替えようとする政策だと云うことはハッキリとわかる。

しかし、これも我が国の政治家たちが65年の間に国防について真面目になって施策をしていれば決して起こらなかったことである。

同じ敗戦国であったドイツは今では中東に迄軍隊を派遣して世界平和に貢献しようとしているではないか?

軍備はしてもそれは使用できないのでは何の為の軍備なのだろう?

何故「自衛隊」を「軍隊」と呼ばせないのかも判らない。

このあたりで謝罪外交とはサヨナラして、一日もはやく普通の独立国家にもどる機運が醸成されることを望みたい。

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Tiffany & Co.

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オードリー・ヘップバーン主演「ティファニーで朝食を 」が上映され、再び、ニューヨークのティファニーが世界の脚光を浴びた。

淡い綺麗な青の箱をプレゼントされれば、女性なら中身を見ないでも喜ぶと云われるが、ティファニーの歴史はそんなに古くはない。

モダーンデザイン・オックスフォード辞典(Oxford Dictionary of Modern Design)によると、ルイス・c・ティファニー(Louis Comfort Tiffany,1848-1943)は宝石、銀細工の職人であった、チャールス・ティファニー( Charles Tiffany)の息子で、若い頃からウイリアム・モリスや、ジョン・ラスキンの書物を読んで、ヨーロッパ、イギリスのアート・ヌーボーの装飾工芸に興味をもった。

ジョン・ラ・ファージ(John La Farge,1835-1910)と共にアメリカ芸術家協会を結成(1877年)同時に、ステインド・グラスの工房を作り、インテリアーデザイナーとして身を立てる決意をする。

1878年、ティファニーは自分で会社を興し、それを、Louis C. Tiffany & Associated  Artistsと名付ける。

18821883年にかけて第21代大統領チャスター・アーサーの要求で、ホワイト・ハウスの室内装飾を請け負う。

その頃から、布や紙のデザインを始め、装飾ガラス(後に”ティファニーグラス”の名で呼ばれる)の製作をロング・アイランドで開始、この多くの作品を世に出す。この中で、特に「ランプシェード」が大流行し、1893年のシカゴ万博で特別賞、その後のパリ万博(1900年)ではグランプリを受賞される。

20世紀になり、ティファニーの名声は世界的なものとなり、ニューヨーク5番街57丁目には結婚指輪を求める客で賑わうようになった。

銀製品と宝石の高級店として、国内は勿論、殆ど世界中の大都会に出店された。

今では、"Tiffany & Co."の名称を使用し、小売りに関する限り一切値引きなしと、現金売りのみの商売を続けている。(クレジットカード?)

"Blue Book"で知られているメールオーダーのカタログは1845年から始まり、今も継続されている。

ニューヨーク・ヤンキーズのロゴとなった有名な紀章もティファニー製である。(1909年)

199091年代には流石のティファニーも苦境となり店舗の売却まで噂に上った。

2008128日、日本のソフトバンクとティファニーは共同で10台限定で携帯電話機を作った、一台に総計20カラット(4.0g)400個のダイアモンドが散りばめられたこの機械の単価1億円であったらしいが、果たして何台売れたのかは不明。

1980年代に入り、ティファニーは香水の販売を始め、1989年度から男性用の香水も売られている。

ティファニーと云えば豪華で、高価の印象が武器で、この姿勢を貫き、2世紀にわたって繁栄を続けられたのはアメリカの社会が豊かであったからだと思われる。

マリリン・モンローの映画、「紳士はブロンドがお好き」(Gentlemen Prefer Blondes,1953)が放映され、ティファニーは確固たる世界ブランドとなった。(この映画を記憶している方々はかなりの老齢であろう)

   

写真:ティファニー・ランプとティファニーストアー(N.Y.)

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女児が築いたサンリオ王国

「サンリオ」(Sanrio Co.,Ltd.)は主にプレゼント用品の企画、販売、グリーティング・カード製造販売、映画、音楽の制作販売を事業とする企業である。

山梨県の職員だった辻信太郎氏が、同県の物産である絹製品を販売する同県の外郭団体だった山梨シルクセンターを会社化(1960年)、社名をそのまま引き継いで、創業したが、失敗して、その後小物雑貨の販売に転じた。

この会社が最初に成功したのは「花柄つきゴム草履」であった。”キレイでカワイイ”と若い女性が放つ「奇声」こそ、この会社の創始者が察知した閃きであったと思われる。

1962年、”イチゴ”のデザインを入れた雑貨を出し、子供たちの間で人気になり、それをキッカケとして、その後キャラクター商品の開発を始める。

1965年、水森亜土デザインのキャラクター「亜土ネコミータン」を使用した陶磁器を発売し、たちまち人気商品となる。この辺で、辻信太郎氏の頭の中にはアメリカのディズニーやイギリスのべアトリックス・ポターのキャラクター事業が閃いていたのではと思われる。この会社の本社は東京都品川区で、創業時で資本金100万円であったが、現在ではその1000倍の100億円、東証1部上場企業となっている。

創業者の辻信太郎氏(1927年生まれ)は現在でも現役である。会社の2012年度の総売上額:750億円、従業員数:770名とのことで、誠に理想的な会社の典型のように見える。

サンリオの数多の企業の内、出色は映画事業で、その中に「キタキツネ物語」、「くるみ割り人形」、「おしん」がある。中でも「おしん」は世界の大ヒットであることは誰もが認めるところである。

定期刊行物として、「いちご新聞」「詩とメルヘン」「なかよし・ぶっく」、「あそびの国」等々。

サンリオはその他、音楽事業にも進出、松戸シネマサンシャインも同社の事業の一端をになっている。

山梨の王になるという思いで山梨王ーサンリオとも云われているが、創業者;辻信太郎氏は50有余年、会社に関係して事業を今日の規模にまで盛り上げた功績はは多としたい。

三菱、三井、住友系の銀行と、日本生命保険等が大株主として名を連ねている事実をみると、当会社の歴史変遷が見えてくる、

創業者と二代目の持株総計が39%のみなので、資産の殆どは第三者に移行済みであることがわかる。

しかし、この事は会社の事業が社会性を認められた証左であり、むやみに家業を守るために保守的になる、わが国の前時代的経営者よりは好感がもてる。

スヌーピーやミッキーマウスのような所謂キャラクターを登録済み商品として事業を展開するビジネスはアメリカの独占だと思われていたが、サンリオはそれを日本で踏襲したユニークな存在である。

女児や若い女性の”カワイイ”と云う心理を有効に利用することで成功を果たしたところ、誠にユニークな会社と言える。

※上村淳一郎「サンリオの奇跡ー世界制覇を夢見る男達」1979年、PHP研究所

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避雷針と落雷の関係の謎

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今年はことのほか全国的に暑い夏にみんなが喘いでいる。世界中で異常気象現象が起こり、渇水や、増水による氾濫が起きている。

筆者の住んでいる京都地方でも洪水や落雷が多く報告されている。突然の激しい降雨と雷を恐れて木の下に逃げ込んだご婦人が落雷で亡くなると云う痛ましい事故が報告されたのは10日程前であった。

落雷の被害を少なくするため、アメリカ人、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin,1706-1790)は今から250年程以前にlightning rod(避雷針)を世界で最初に考えた。(特許は未申請のまま)フランクリンは息子と一緒に凧をあげて勇敢にも雷に立ちむかて実験したことも有名な話である。

(筆者は日本語の「避雷針」は意味を取り違えているように思っている。それは雷を避けるのではなく、呼び寄せるのであるから「集雷針」ではないだろうか?)

落雷は大海原や、運動場、ゴルフ場のような広場に起こる。先日の被害も広場の木に落雷していることを考えれば、そのような場所にこそ「避雷針」を設置して被害を少なくする対策がなされるべきだと思う。広場の中で最も高い樹木の上に避雷針を設置するだけで安全が保たれると考えるのだが間違いだろうか?

車の中にいれば安全と云うのも不思議な気もするが、不思議なのは電柱にはあまり落雷の被害は聞かないが、変電所のようなところは危険だと聞いている。

そこでこの謎を解くためグーグル検索を試みたのだが、そこで発見した説明に以下のような記述を認めたので以下に述べておくこととする。

“避雷針は先端を尖らせた棒状の導体であり、保護対象とする建築物などの先端部分に設置する。落雷時にはこの部分に稲妻を呼び込み、接地に導くことによって、当該建築物などの被害を防ぐ。避雷針によって形成される保護範囲、落雷を極めて生じにくくする範囲を「保護範囲」と云う。”とあり、次に、

“避雷針によって形成される「防護範囲」に落雷が生じにくくなることは確かだが、それが避雷針が積極的に雷を導く「導雷針」であるためなのか、その発明以来云われてきた、大地に蓄積された電荷を少しずつ空中に放出し電位差を緩和、落雷を生じにくくする、すなわち「避雷針」であるてめなのか、或いはその両方であるのか、それとも全く別の理由によるものなのか、2011年現在でも定かではない。”

大阪大学の河崎研究室とNHK2010年に世界で初めて落雷の詳細な動画撮影に成功したらしいが、それでも「雷」と「落雷」の関係は未だ確実に説明出来るには及んでいないことが判る。

フランクリンの最初の避雷針(1730年頃)から、既に280年以上がたっても未だにこのような人間の命にかかわるような天然現象が多くの謎とともに残されているとは全く不思議である。

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関西広域で小水力発電所、2万ケ処

「関西広域小水力利用推進協議会」について京都新聞、毎日新聞両誌が最近特別に取り上げている。

再生エネルギーの中でも水力発電は太陽光や風力よりも稼働時間が長く、中でも1000キロワット未満規模の小水力は環境負荷が小さい。

この点、ドイツなどでは研究が古くから進んでいるが、日本ではこの方面の研究が他の先進国に比較して大幅に出遅れている。

これ迄、全国にある半官半民のような電力会社に任せきりにしていた国民にも何らかの責任がある。

日本では小水力発電を目的に水量と勾配で試算すれば関西地区だけでも2万ヶ所程で効率にのる水力発電が可能であると云われる。

例えば、一ヶ所平均300キロワットとすれば関西地区だけで原発6基分の電力再生が可能であると云われる。(同推進協議会談)

現在日本には17ヶ所で54基の原発があるが、その殆どが休止状態にある。

関西24県に福井と三重県を加えた地域で、小水力発電の普及を目指す市民有志が91日、13時から15時、「小水力、さー関西で!」の電力発電に関する講演会(セミナー)を京都市南区龍谷大アバンティー響都ホールで開催する。

ここでは、中国地方で200ヶ所以上を建設した小水力発電技術者の沖武宏氏が地域貢献について講演、その後3時半から設立総会を開く。

この様な運動は既に、富山、山梨、長野では県単位での協議会が発足済み、さらに九州や四国、関東にも広がりを見せている。

例えば、関西地区に於いて小水力利用発電で原発6基分の電力が得られると考えて、北海道、東北、中部、中国、九州四国の5地区で同じように各6基分の電力が小規模水力発電で得られると考えるならば、それだけで総計原発36基分の電力が賄える計算になる。

これは、大雑把に考えて全国54基がフル稼働した発電量の66%に当たる。

小水力発電の適地が殆ど過疎地に多く散在することが判明しているので、小水力発電を推進すれば、過疎地対策にも貢献できる。

関西広域で取り組むのは、全国協議会理事のフォトジャナリスト、古谷桂信さん(兵庫県伊丹市)、滋賀県立大学教授の黒田末寿さん、元国交省近畿地方整備局河川部長で淀川水系流域委員会委員長も務めた宮本博司さん(京都市下京区)他数名。

現在近畿地方2府四県の各知事に顧問就任を要請、各市町村も含めて自治体からの会員も募っている。

電力会社にとって必ずしも歓待できる運動ではないことは判るが、将来の国を真面目に考えるまでもなく、昨年の東日本大震災以降で盛り上がった自然発電推進の気運の狼煙を消すことなく勇気をふるって進めてほしい。

わが国ではその他、地熱発電、風力発電、太陽光発電、波動発電等公害フリーの発電方法が考えられ、危険が危惧される原発利用から一日もはやく脱却したいものである

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「ネオジム磁石」の発明者、佐川真人

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2012年度の日本国際賞は磁石開発会社「インターメタリックス」(京都市)の佐川真人社長(68)と、慢性脊髄性白血病の治療薬イマチニブの開発に貢献した米国の3人に贈られることになった。(写真左、佐川氏)

佐川氏は世界最高性能の永久磁石「ネオジム磁石」を開発した。この磁石を用いたモーターは小型軽量で消費電力が大幅に少なく、ハイブリッド車や電気自動車に使われるなど省エネに貢献することがわかっている。

本日の(825日)京都新聞では佐川氏の今までの苦労話が紹介されている。筆者は京都に将来性のある優秀なヴェンチャービジネスが誕生したことを喜ぶものである。

このネオジム磁石、1グラムで1キロの重さの鉄を持ち上げる世界で最強の磁石。これの発明者が佐川氏で、どん底のサラリーマン生活10年後(1982年)の努力の結晶であった。

「研究者になりたい」と云う夢を抱いて神戸大学工学部、東北大学大学院で金属の基礎研究を学んだ。

そののち、富士通に入社、ここで初めて永久磁石に生涯を賭ける気持ちを起こしたと云う。

当時、主流だったサマリュウムーコバルト系の磁石は脆く、そこで強度不足を補う研究開発を委嘱された。

この研究の過程で、”自分の性格は明確な目標さえ決まれば底力を発揮できるもの”と確信した。

この研究をさらに発展させるべく住友特殊金属(現日立金属)に転職、82年に至ってネオジムと鉄、ホウソを組み合わせ、「ネオジム磁石」を発見した。

その時の気持ちを”出世ができるとかより、これで社会に貢献できる”と、”自分の存在価値を確認出来たことを喜んだ”。

企業務めではできない新たな挑戦を求めて、1988年に退社、インターメタリックス(京都市西京区)を設立した。

それ以来、海外企業の研究コンサルタントとして世界を飛び回って会社を軌道に乗せ、2004年から再び、ネオジム磁石の研究に没頭した。

ここで問題になったことは、レアアースの中でも特に希少な「ジスプロシュウム」を使わないでできるネオジム磁石の実現であった。

”この超希少レアメタル「ジスプロシュウム」を減らせばハイブリッド車や風力発電を安価で増産できる、これは地球環境やエネルギー問題解決に欠かせない”と自覚した。

「ネオプロシュウム」の使用をゼロにするアイディアーも、既に頭の中にあると云う。

佐川氏”アイディアーを生むため、考える時間を長くとるようにしています。これには、年齢は関係はない”。

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軽率な韓国大統領

周囲の見境もなく感情の赴くままに泣き叫ぶシーンは、朝鮮人特有の葬式の場面の描写としてテレビ報道でみたことがある。

感情を表にだすことは正直で、それ自体悪いことではないが、場所もわきまえず感情をむき出しにして喚き散らすことは良くない。

何故ならそれは人間としての理性がなく、けだものとあまり違わない所作だからである。

韓国大統領のイ・ミョンパクが先日、突然竹島(独島)を訪れて民間の手で非公式に造成された「独島韓国領」の碑文を手で指しながら報道陣に撮影させたシーンがテレビで流された。

この行動は日本側から見れば甚だ挑発的で看過できないものに映った。

これを見ていて感じたことは、本人のイ・ミョンパク氏、自分の大統領の身分を忘れて、感情に流されて冷静さを失ったのではと思われる、いやしくも一国の大統領の取るべき行動でない、軽率で無教育な人間に見えたことは悲しい!

日韓併合がなされた頃から少なからぬ日本人が韓国、朝鮮人の凶弾に倒れている。

その最も有名な事件が、1909年(明治42年)満州のハルピン駅頭での伊藤博文暗殺事件である。

犯人は韓国民族運動家安重根であった。安はその場でロシアの官憲に逮捕されたが、伊藤は死の直前、付き添っていた人に、犯人が韓国人だと知らされたが、伊藤は「俺を打ったりして馬鹿な奴だ」とつぶやいたと云われている。

今回の韓国大統領の竹島訪問も誠に理性心を欠いた、絵に描いたような馬鹿げた行動で、それを自ら世界中のテレビ報道で流した事実を自らどのように感じているのだろう?

韓国では、今年の年末迄に大統領としての任期が切れ、再選挙が控えていると聞く。

また、先日、実兄が多額の収賄容疑で検察に逮捕されると云う、再選を果たすには不利な立場に追い込まれた為、自分の人気奪回のため竹島訪問を思い立ったのではと思われる。

筆者は今回の韓国大統領のとった行動が果して本人が意図したような結果を生むかどうかの方に興味をもっている。

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「カラスウリ」の実と花

Photo Photo_2 上:実、下:花

カラスウリが花を咲かせることは今まで知らなかったが、今朝のNHKラジオ深夜便を聞いていて、カラスウリの花が今日(8/24)の誕生日の花とのことでそれを知ることになった。早速、グーグルで調べると、

“夏の夜に、花弁の縁が糸状に長く伸びる花を咲かせます。この複雑な花弁は、蕾の時にはきれいに折りたたまれているのですが、時が訪れると一糸乱れずに展開していき、短時間で完全に開ききります。「糸」の一本一本がみるみる伸びていく様子は不思議で、よくからまったりしないものだと感心させられます。開花が始まるのは夜で、翌朝にはしおれてしまう一日花です。”

それで自然の巧みな創造の神秘を改めて知らされた思いになった。

赤い種が木にぶら下がっている様子は誰でも知っていると思うのだが、それが花を咲かせると、全く違った姿になる自然の魔法は素晴らしいものと感じた。

この花にちなんでいろいろの花言葉が知られる。「良い便り」、「誠実」、「男ぎらい」、「温故知新」等、あまりラシクないものが目立つのに驚いた。

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「古物営業法」は悪法!

大正12年6月14日東京美術倶楽部に於いて、若狭酒井家所蔵品の入札競売が執り行われた。

大正6年の赤星家入札が未曾有の売り上げで評判になったが、安政年間京所司代を務めた、酒井忠義の収集になる酒井家の大入札会も歴史に残る程の成績を残した。

酒井忠道氏他界に及んで、当主、忠伯が財産の分配にあたり、三井物産の重役、益田孝氏に相談の上、その売却が東京美術倶楽部に於いて、大阪の戸田弥七他、当時の代表格の東西の道具商を札元にして挙行された。

この決定は誠に当を得た決定であった。即ち、この入札が行われて、3ヶ月未満に「東京大震災」(9月1日)がおこっていることからも理解できる。

予想に違わずこの入札会は人気を呼び、多くの万単位の売価を生んだ。(総売上高約70万円)。

その中にあって、伝光長筆「吉備大臣入唐絵巻」が白眉を飾った。この落札価格は188,900円で世話方の戸田が落札したことが知られる。(高橋義雄著“近世道具移動史”)

震災後の景気沈滞で、この鎌倉時代の貴重な絵巻物にはなかなか買い手が付かず、戸田家の蔵に眠っていたところ、ボストン美術館の東洋美術部課長、富田幸次郎氏の目にとまり、富田氏の努力で同館にて購入されることとなった。

このような国にとって貴重な美術品が国の知らない間に外国に買われていくことを重視した政府は、1936年(昭和11年)俄かに文化財規制法を定め、重要美術品、国宝の規定を決めて、これらの国による管理体制をしいた。

重要美術品の指定基準は、戦後改訂され「国宝」と「重要文化財」となったが。それでは国宝や重要文化財に未指定の物件はどのように扱われるのかと云えば、これが依然として心もとない状態として放置されている。

政府は国民の善意を信じて、文面で「高価な古物を輸出する場合は、所属官庁に申請する義務」を課しているが、これが守られているかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

少なくとも「我が国の文化財行政」がことごとく後手にまわっていることを指摘したい。

国宝を含む、指定文化財は許可なく外国に売却はできないが、「指定漏れ」の重要な由緒や価値を持つ物品の管理が今後の問題として残る。

文科省が輸出申請に基づき、優先権を定めて国家予算で正当な価格で買い取る態度を表明するならば、今後は文化財の海外流出を防ぐことは可能となる。

日本では古物の売買には「古物売買鑑札」が必要で、公の競売は登録済場所に於いて許可証所持者間で行われ部外者の出入りは出来ない閉鎖的制度をとっている。

このような閉鎖的な風習を改め、欧米のように誰でも参加できる開かれたオークション市場とすれば前述のような“闇から闇に”行われる取引が消滅するのではと思考する。

古物営業の取締が未だに警察所管となっていることこそ問題で、今後は、何でもお上が取り締まる「行政」の因習こそ1日も早く改めるべきである。

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愛媛県今治「工房織座」

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四国には昔から面白い特産品が多い、中でも最も有名なのが「讃岐うどん」だが「今治のタオル」も名前だけは聞いて知っていた。

休業状態で眠っていた旧式の織機を利用して新しい産業に挑戦、見事に立ち直り、ファッションの業界に打って出る逞しい「工房織座」の模様が京都新聞の「8/22の記事」に見られた。(写真)

経済産業省の「JAPANブランド育成支援事業」に採択され、タオル生地製造の技術を生かし、全く違った方向“ファッション”業界に新しい生きる道を開拓した武田正和は、宮崎タオルに40年近く勤務、工場長まで出世したが、先代社長の死後、工場閉鎖となり一時武田さんは失職した。

その失意を独立→新地開拓の意欲に変え、旧式の織機の持つ稚拙な特徴を反対に「特色」として利用することを思い立ち、自宅の庭に「工房織座」を設立した。

そこで旧式織機の利点を生かし、世界で初めて実現したのは、なんともユーモラスな「たてよこよろけもじり織」、即ち、縦糸と横糸の双方が波状に“よろけ”て蛇行することで、平面なのに3次元の凹凸があるように見える独特の織り方⇒縦糸が横糸を縛る形で絡む「もじり織り」を考案、縁ち取りのないマフラーを開発、そこから特徴のある、ポンチョなど新鮮味のあふれる新しいファッションをつくりだした。

特殊な撚りをかけた糸で編むネック・オーマーにもなるニット・キャップも「工房織座」の特製。武田さんは“創造の幅は無限大”に広がると意気軒高。

要するに、武田氏の成功は、筆者の考えるところ、時代とともに変遷する志向やディマンドに付いていくには、現実を、少し目線を変えて考えると意外な可能性が見つかることを示唆している。

工場のそばにログハウスの店舗を構え、販売はネットでも応じられるシステムで、長女の武田英里子がデザイナー集団スプレッドと組んで展開する「ITO」ブランドの商品は数量限定で東京、大阪等にも卸している。

作戦は、常に品不足気味でやる方が値段も下がらず長続きすると云う哲学。この辺にこの工房の成功の秘密があり、これは低価格の外国商品を迎え撃つ日本の地場産業に大きなヒントとなるように思われる。

8月よりブロクにコメントを受け付けるように仕様を変更しました。文面右下の「コメント」をクリックしてください。 ショウチャン

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マリア・ルス号事件

Hannsenn

明治政府は明治5年7月始めて国際的紛争処理問題に直面した。これが世に云う「マリア・ルス号」である。

これは結局、日本単独では裁けずにロシアの仲介で国際裁判にまで発展したが、日本政府の努力で多くの清国人が奴隷としてアメリカ大陸に連れ去られるところを未然に防いだ美談である。

1872年(明治5年)7月9日、中国の澳門から南米ペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス(Maria Luz)号が横浜港に修理の目的で寄港した。調べたところ、同船内には清国人苦人、231名が乗船していることが判明した。停泊中に一人のが逃亡をはかりイギリス船に救助されたことで、いぶかしく思った取調官がこの船を奴隷船と判定、イギリス船長からの要請を受けてこれらの苦人の救助のためマリア・ルス号の出港を禁じる命令をだした。

明治改元後まだ日も浅く、国内法も国際法も未整備であり政府としても正直なところ、マリア・ルス号船長、リカルド・ヘレイロに出港禁止を命じたが船長が強引に出港してしまえば黙って見送るしか方法が無いのではとも考えられたが、幸いにも海軍省が当時日本が保有していた最強の軍艦「東」(蒸気軍艦、1350トン)を品川から横浜に回航させ3本マストの帆船を艦砲の射程距離内に停泊監視にあたらせた。

当時の清国は全くの不法国家に落ちぶれていて、欧米人達の思いのままになる国家でなく、地域であった。

それにアメリカでは南北戦争後、大陸横断鉄道がほぼ完成していたが、未だ国家をあげての建設ラッシュにあり、安い賃金で働く苦人労働力は、いくらあっても足りない状態と考えられていた。

リンカーン大統領(共和党)の就任後、奴隷制度の廃止が叫ばれる時代にあって契約で安い賃金で働く苦人はことの他重宝がられていた、また、当時、黄禍論が叫ばれ、東洋人は消耗品に近い扱いを受けていたことは事実である。

裁判の過程で、その後判明したことだが、マリア・ルス号では、日本に到着するまでに既に3名の清国人の投身自殺者をだしていた。

福島種臣外務大臣は神奈川県副知事の大江卓に人道的手段として、マリア・ルス号に乗船している清国人の解放に努力するよう命じた。

リカルド・ヘレイロ船長の抵抗を排除して、略一カ月後、清国人全員を下船さえることに成功した。船長は訴追され、神奈川県庁内の特別裁判所において、大江卓氏を裁判長として7月27日、裁きが下り、清国人全員の釈放を条件としてマリア・ルス号に出港許可をだした。

船長は「移民契約書」を盾に、乗船者を船に戻すように要求、イギリス人を雇い、日本国内における娼妓の人身売買の例を持ち出して抵抗したが、結局日本政府は人道的見地からそれら要求を却下、9月13日清国人全員を本国に送還させた。

清国政府は日本のこの友情的行為に謝意を表明した。

未だ国際法が精緻に行われていなかった事、当時では船泊上での「治外法権」の認識が我が国において解釈の域に及んでいなかったどうかも判りにくが、結果は全ての清国人がつつがなく本国送還になった事実であった。

ところが、ペルー政府はその翌年、1873年海軍大臣を派遣、マリア・ルス問題に対する謝罪と損害賠償を日本政府に要求した。

この両国間の紛争解決には、第三国のロシアが国際仲裁裁判の仲介役となり(皇帝アレキサンダー2世)、1875年(明治8年)6月、日本のマリア・ルス号に関する裁判上の判定と措置は国際法に照らして妥当であると云う判決で、ペルーの訴えが退けられた。

我が国が現在、中国政府との間に抱えている所謂「尖閣諸島」問題にかんがみ、何事も“人の道”に背かないよう心がけ、冷静になって国家間の紛争を話し合える時がくることを願うのみである。

マリア・ルス号事件の詳細は:武田八洲満著「マリア・ルス事件」有隣新書参照。

8月より、ブログのコメントを受け付けております。ショウチャン

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千日紅と百日紅

Photo 上:千日紅、下、百日紅

NHKの深夜便放送を聞いていて今日、8月20日の誕生日の花が“センニチコウ”(千日紅)であると聞かされた。百日紅がサルスベリだと云うことは知っていたが、千日紅は聞いたことが無かったので、WIKIPEDIAで調べて見た。

「センニチコウ(千日紅、学名Gompherena globosa)、は、ヒユ科の春撒き一年草。園芸植物として栽培されている。」

花は7月から9月にかけて咲き」、直径約2-3センチ、松カサをつぶしたようなかたち。近縁種のきばなセンニチコウは大柄で花付きが少ない。

近年「ストロベリー・フィールズ」の名で、鮮やかな朱色が出ることで人気種となった。

夏の暑さや、乾燥にも強いことを利用、押し花としても大変人気があると云う。

色は、紅、白、紫、朱、樺色と豊富。

ところで、サルスベリ(百日紅)であるが、これは中国南部原産で、大木となる。この種も夏に花をつけ、名前の通り、百日にもわたって咲いている大変美しい種類である。

Photo_2

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京大発EV製造ヴェンチャー企業「GLM]

M25 トミーカイラZZ

京都大發ベンチャーのグリーンロードモーターズ(GLM,京都市左京区)は、開発}を進めていたEV(電気自動車)スポーツカーの生産を今週にも始めると云う報道を京都新聞(8/18)で知った。

これに、部品から組み立てまで府内にある企業が協力、倒産で夢と消えた「幻の名車、トミーカイラZZ」で最近はやりのEVで復活させるべく努力している、暫く聞いたことのないような夢のある情報に筆者は注目したい。

京都では昔から夢を追って企業を興し、成功した、所謂“ベンチャー企業”が多い。その筆頭が島津製作所、戦後では、堀場製作所やワコールが有名である。

若者が夢を抱くことは当然で、それを貫徹して大成してこそ“男冥利”と言えるが、はじめから、失敗やメンツーを気にして一生を終える多くの所謂「常識人」よりは尊敬されるべきである。

ZZ」は二人乗りのオープンカー、カって、トミタ夢工場(北区)が計206台を販売したが、同社が2003年に倒産後、姿を消していたものをモデルに、GLMは美しい車体デザインを保ちながら、座席の後部にモーターとリチュウムイオンバッテリーを搭載、EV化を目指す。

軽いボディーでも構造と強度に優れたものとし衝突事故にも配慮している。特殊金属の溶接技術に強い、かって、水陸両用車を製造した経験を持つ小坂金属工業(舞鶴市)が生産を担当、すべて手作りで組み上げる予定。

GMLはこの本格生産のため、資本金を一億五千万円に増資、元ソニー会長、出井伸之氏、京都大学元副学長、龍谷大学特任教授、松重和実らを顧問に迎え、これに、㈱ニチコンも出資に応じた。

10月に生産を開始、来春に新車発表後受注の拡大を目指す予定となっている。

小間裕康社長“京都企業の部品を集めれば100%京都産のEV基幹システムが出来る、部品調達・供給網の整った京都からの幻のスポーツカーを提供したい”と述べている。

グリーンロードモターズが何故「GLM」なのか判らないが、全身のトミーカイラーとは、1968年に成立された、旧トミタ夢工場のこと。(その名称は富田義一氏と解良喜久雄氏の名前から由来しているらしい)

2009年以降は社名ERコーポレーション、社長・樋江井尊吉氏(資本金5000万)で車の製造・販売を行っている。前身は50年以前から㈱トミタオートの名称でヨーロッパ車中心の輸入販売会社を営んでいたとのこと。

同社の倒産後どのようにして、GLMが「トミカイラ」車を継承したかは不明である。

とにかく、新生の「GLM」の成功を祈念したい。

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デヴィルス・タワー

Devils_tpwer1 "Devil's Tower"

旧約聖書に出てくる”バヴェルの搭”の話は、人類が神に挑戦するために建てようと試みた、天までとどくような建造物を神の怒りによって壊されたとされているもの。

北アメリカ、ワイオミング州、Lakotaには、”Devils Tower”(写真)が草原地帯の真ん中に超然と天に向かって立っている。その姿こそ、「天に挑戦」する様に思える。

先住民はこれを"Maiho Thipila"と呼んでいる。意味は"Bear Lodge"(熊のロッジ”、又は、"Brown Buffalo Horn"(茶色いバッファローの角)との意味だそうだ。

火成岩の自然突起でできたと思われるこの巨大な岩石の山は、Crook CountySundanceBlack Hillの中間にあり、地面からの高さ386m、(標高1558m)、全くの平原地帯に忽然と立っている光景は旅行者を驚かせるに充分な観光資源と思われる。

Devil`s Towerはアメリカで最初にナショナル・モニュメント(国の天然記念物)に指定された(1906年)。

毎年ここを訪れる旅行者は約40万人、そのうちの1割(4000人)がここでロック・クライミングに挑戦するとのことである。

ここは大昔から先住民(アラパホ、クロー、シャイアン、キオワ、ラコタとシューショーン)が畏怖し、崇めていた山で、それぞれの民族の言葉で名称が違っていたが、"Devil`s Tower"の名前は、1875年にこの地を訪れたリチャード・アーヴィング・ドッジ中佐が、その場にいた通訳の説明「Bad God`s Tower] (悪い神の搭)の英訳からつけられたと云う。

こんな驚異的な自然突起物が鳥取県の砂丘の真ん中に見られたら、鳥取県は砂丘と、大山に加えて日本一の観光地となること疑いなしと、一昨年ここを訪れた筆者はふと思った。

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パナマ鉄道とアスピンウオール

Pacific_mail_steamship pacific Mail Steamship

ウイリアム・ヘンリー・アスピンウオール(William Henry Aspinwall,1807-1875)はアメリカ第26代大統領、セオドール・ルーズヴェルトと第32代大統領、フランクリン・ルーズヴェルトの曾伯父にあたる人物で、アスピンウオール帝国と云われる程の大富豪で、ニューヨークのメトロポリタン美術館の創設者の一人であった。

彼は永く海軍と郵政省とも関係を保ち、パナマ横断鉄道の創設者である。その後(1914年)に、セオドール・ルーズヴェルト大統領の時代に完成を見た「パナマ運河」の建設にも関係した。

1846年の米墨戦争後、カリフォルニアやオレゴン地方の人口の急増を見、東西大陸間のコミュニケーションの重要性が問われることとなった。

大陸横断の陸路の郵便は、大陸横断鉄道が完成した後(1870年頃)になっても天候や、その他の障害で、たまたま不測の事態が発生し、信頼性に欠けていたところ、184733日、第11代、ジェームス・ポーク大統領(James Knox Polk,1845-49)の時、新たに郵便法が制定され、グラナダ政府(Republic of New Granada,現在のパナマとの交渉で「パナマ地方」経由で郵便が西海岸迄配達されることとなった。

同年の54日、海軍省は、ニューヨークとパナマ間、それと、パナマからカリフォルニア、オレゴン地方迄を蒸気船で結ぶ郵便物配達サービス会社募集の広告を始めた。

この応募の入札に於いて、海軍省の監督のもと、蒸気船の大きさは1500トン以上、馬力は最低1000馬力、不測の事態発生時には軍艦として使用出来る装備が要求された。

この様な海軍省の厳しい制約のついた条件であったが、ニューヨークで船会社を経営していたウイリアム・アスピンウオールは、1847年11月19日、海軍省と19万9000ドルで10年間の契約の調印に応じた。

これはアスピンウオールにとって。正に博打のような投資であったが、後から考えれば、アスピンウオールには幸運の女神が微笑んだときであった。

アスピンウオール&ハウランド(Aspinwall & Howland Co.,)、は当時、主に西インド諸島との貿易を行っていたが、彼の心底には今後は東洋との貿易に力を入れたいと思っていたに違いない。

その頃は、帆船「クリッパー」の時代であり、アスピンウオールも高速船での航海を夢見ていた。

そこで、少しでも速く、中国茶や陶器をロンドンやニューヨーク迄届けられる高速船の建造に取り掛かり、当時、世界的に有名だった、ニューヨークの船大工、ジョン・グリフィス(john  W. Griffith)に依頼、後世にまで有名を馳せた、”Rainbow”と“Sea Witch”を建造させた。

アスピンウオールの”Sea Witch”はニューヨークと広東間を77日で往復する記録を立て有名になった。

彼の行った、蒸気船での郵便事業、クリッパー船の建造での輸送に周囲の関係者は誰一人として、まともに金を生む仕事とは思っていなかったことは確かである。

ところが、アスピンウオールが海軍省と蒸気船での郵便配達事業に応募を決めた2か月後の1848年1月24日、世界を驚かす「金鉱の発見」がカリフォルニアで起こった。

この一大ニュースは、その6カ月後にミズーリ州までもたらされ、8月19日になって、ようやくニューヨーク・ウイークリー・ヘラルド誌によってで発表された。

それから後、何が起こったかは、述べる迄もないことだが、彼がニューヨークで創設した”Pacific Mail Steamship Company”(1848年4月12日)は、このニュースを聞くや、急遽、「カリフォルニア」、「オレゴン」と「パナマ」の3隻の新造船の発注を行った。

彼の会社は空前の利益を生むこととなり、その状態は1925年まで続いた。

その後、アスピンウオールはパナマ地峡に700万ドルを投入、1850年から、5年の歳月をかけ、約5000人の犠牲者を出しながら、1855年1月27日「パナマ鉄道」を完成させた。

この工事には、コロンビア、アイルランド、中国からの労働者が、熱帯地帯の湿地で、マラリア、黄熱病と戦いながら過酷な労働条件のもと、完成させた鉄道であった。それは、一本のレールに一人の犠牲者と云う程の難工事であったらしい。

万延元年「遣米使節団」70数名が、1860年にアメリカの蒸気船“ポウハタン”でカリフォルニア経由でこの地を訪れ、この鉄道を利用して、東部に旅行している。(1860年4月)

半世紀後の1914年になり「パナマ運河」が完成したことは周知のとおりである。

因みに、パナマ鉄道は現在でも、パナマ運河沿いを走り続けている。          

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翻訳語「美術」の功罪

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明治6年(1873年)日本政府はウイーン万国博に始めて出品を果たしたが、その際、このイヴェントに同行、出席を果たした高級役人、大鳥圭介(18331911)がドイツ語”kunstgewerbe"或いは”fine art"を「美術」と翻訳、それ以後、日本の教育に取り返しのつかない支障を生む事態をきたすこととなった。

「美術」が翻訳語であること自体、人文科学に関係するもの以外に知る人は案外少ないと思うが、この大鳥圭介なる人物、後日、学習院院長、工部大学校長を務めた経験の持主と言えども、国の情緒教育、歴史教育に大きな影響を及ぼす大事な「日本語」を誰に相談することなく軽率に採用することは正に暴挙と云わなければならない。

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世紀はどちらかと言えば理想主義の時代であった。”理想の美”と云うものが”リアルの美”と短絡的にとられる傾向にあり、"real beauty"(写実美)と思われた時代でもあったことは事実である。

ここで最大の問題は、美術の語源となったドイツ語、または英語にも「美」を表す文字は何処にも見当たらないことである。物を見て美しいと思うのは、それは「主観」でしかなく、普遍性のあるものではない。

このような間違った観念を植え付け、"Fine Art"=”美術”の観念を日本人の心に植え付けた罪は深いものがあると思う。

大鳥圭介は幕臣で一時は、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争において朝廷方に弓をひき、榎本武揚、土方才蔵らと五稜郭に立てこもり、最後には捉えられているが、その後、榎本と同様、新政府にかけられて出世した明治の逸材の一人であった。

緒方洪庵の適塾で蘭学と西洋医学を学び、また、アメリカ帰りの中浜万次郎に英語を学んでいる。

専門は工学だが,兵学にも長け、オールマイティーの逸材であったことは確かである。多くの著作もあり、出版について活字までも発明している。(大鳥活字)

参考書;星亮一「大鳥圭介」中央新書、20114

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パチンコ業界のゴルフ・リゾート買収

最近大手パチンコ会社のゴルフ場運営進出が目を引いている。

「平和」が最近、PGMとアコーディアを手中にして、これで同社の保有コースは300箇所近くになり、パチンコ・ゲーム大手のセガサミーホールディングスも、今年2月、宮崎の複合リゾート施設「フェニックス・シーガイヤー・リゾート」の買収を発表している。

全国的にゴルフ場は冬の時代と言われるご時世、何故パチンコ関係会社がゴルフ場買収に走るのか?

シーガイヤーは、2001年に破綻、その後、米投資会社が165億円余で取得、この度、セガサミーが引き受けたが、この買収、トップの即断で決まったと云う。

セガサミーの里見会長、兼ねてよりカジノ進出に興味を示していたといわれるが、今回のシーガイヤー買収にもその思いがあったのかも?既に同社は韓国のカジノ会社との合弁会社設立に合意しているとのこと。

パチンコ業界、総合的に考えて現在、ひとつの転換期にあると言われる。

かっては30兆円といわれた年間売り上げが、今では20兆円を下回るとのこと。、2003年の全国店舗数から、10年で23%減の12000店舗の現状、パチンコ台の販売台数、2003年に550万台の売り上げが、2010年には380万台に減少の現象。

「選択6月号」では、パチンコ商売の特異性はその利益率。

「平和」約37%、「セガサミー」約49%とのこと。この数字は製造業としては驚異的で、パチンコ台製造業の粗利益は実に50%を優に超えると言われる。2011年度売上高、平和951億円、セガサミー3955億円とのこと。

殆ど独占的な業界体質なので、パチンコ機械一台約30万円は永く維持されていて殆ど値下げはない売り手市場。カルテルの容疑ありとの噂にもびくともしないのは、政治絡みに加えて、警察との有効的関係なきにしもあらずと云う噂。

パチンコ店にしても、これ程固い現金商売は他に見られないし、売り上げ把握も税務署泣かせのあいまいな商売。

平和の石原社長弁”ゴルフもパチンコも同じ時間消費レジャー”、当たらずと言えども遠からずの弁。

筆者の見るところ、この業界、有り余る程の資金の行きどころをレジャー産業の王者「複合型ゴルフリゾート」に絞ったのでは?

これは、見方によっては、大型不動産の買収の新手ともとれる。

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クルド人自治区のオイル・ブーム

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クルド人の独立は、これがもし実現されたなら、今世紀の最初の大事件となることだろう。

先月筆者はクルド人は独自の国家を持たない世界最大の民族集団だと書いた。クルド人は中東では、アラブ人、トルコ人、イラン人についで人口の多い集団であるが、未だ国家として認められていない。

イラク崩壊からサダム・フセインが処刑されたのちでも、イラクは深刻な内戦状態の中にある。20世紀終盤、クルド人の独立運動が起きたが、イラン、イラク共、クルド人弾圧政策を始め、その独立を阻止、徹底的に弾圧する政策を取り続けてきた。

イラク大統領、サダム・フセインは科学兵器まで使用、クルド人の大量殺戮まで行った。

しかし、ここにきて環境が一変した、それは、クルド人自治区内で膨大な石油が発見されたからである。フセインの死後、この地方の治安が大幅に改善されたことで、外国からの企業の進出が見られるようになり、クルド人自治区が近い将来、中東屈指の商業都市アラブ首長国連邦の首都「ドバイ」のような大都市が生まれ変わるとの噂である。

クルド人自治政府大統領バルザニ氏は4月にホワイトハウスを訪れ、オバマ、バイデン正副大統領と対談し、5月にトルコを訪れた際には、まるで国賓並みの歓待を受けたと言われる。タルバニイラク大統領もクルド人であることから、今後はイラクとも関係改善が進むものと思われる。

クルド自治区の中心都市アルビルでは多くの商業施設が立ち並び、フランス大手スーパー「カルフーン」も出店している。

自治政府によると、インフラなどへの総投資額は、外国資本も含めて7月現在34億ドル(2660億円)で、6年まえの約8倍、進出した外国企業数は昨年末時で1781社、その4割はトルコからで、イラン、レバノン、欧米諸国、韓国などと続く。首都アルビルは英国経済誌に、中東で第5位の優良投資先と推奨している。

ヘリシュ・ムハラム投資庁長官は「地元企業と同等の権利を保証していることが外国企業の大きな魅力となっている」と述べている。世界銀行に依ると、この自治区の12年度経済成長率を126%と推定、将来性に期待を寄せている。

わが国のマスコミ論調では平均して、”イラクは未だ危険”と云う感覚が見られるが、クルド自治区はイラク領内ではあるが、既に「独立国家」だと云う感覚で、政府も古い先入観をかなぐり捨てて、事に対処する勇気を持って欲しい。

(資料:813日、毎日新聞)

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世界を駆け巡る「冷凍船隊」

Salica_frigo 「冷凍船」

世界中の離れ島にCAS(cell alive system)冷凍施設を設置、定期的に冷凍船を派遣、海産物や農作物を回収、日本に持ち帰って市場に提供することで円高を利用、輸入を増やして、今問題になっているT.P.P.交渉を乗り切る手だては如何なものだろう。

2年程以前にブログで紹介したが、1997年(株)アビーに依って開発されたCAS冷凍設備を取り入れることで、日本海の小さな離れ島、島根県隠岐海土町(アマ町)が蘇った話は忘れることが出来ない「朗報」だった。

農林水産物処理加工施設「CAS冷凍センター」ができ、本土から遠く離れているため、以前では都会の卸市場に鮮度の良い状態の漁獲物が提供できなかったが、この施設を取り込むことで、どんな遠くの所でも出荷が出来、また、通信販売などの事業展開も可能となった。

離島ゆえに強いられてきた卸などの経済的問題の解決に冷凍の新しい技術が有効に生かされた卑近な例で、もしこの手段を広く、世界の同じような地理的条件を持つ、これ迄には顧みられなかった不毛の離れ島の経済復興に利用できたなら、環太平洋での経済復興に役立つことは十分考えられると思考する。

Cell Alive System(CAS冷凍)は筆者の知る限り、従来の冷凍技術による食品の冷凍融解に伴う味の劣化を防ぐことを可能にした、新しい技術で、細胞蘇生システムとも呼ばれているもの。

出産の場合での「臍の緒」や「乳歯」の永久保冷保存も可能だといわれる程、進んだ技術と驚いているのだが、最近までは不可能と思われていた生クリームの冷凍を可能にしたことで一挙に世界が注目したと言われている。

CASの技術は今では業務用に留まらず、家庭用の冷蔵冷凍庫にも取り入れられて、三菱電機の「瞬冷凍」や(株)フィールテクノロジーの「氷感庫」として市場に出ていると聞いている。

アメリカやカナダでは主に魚介類の保存を目的として、上記のような設備を装備した[ factory ship] があることは判っているが、筆者の知る限りこれれの船は漁獲しあものを冷凍にして運ぶのが任務で、CAS冷凍法のようなものとは違っている。

CAS冷凍では、水を瞬時に凍らせることで氷晶化を防ぎ、細胞膜を無傷に保って、水分の氷結晶化を抑えることが大切で、これで保冷物の劣化を防ぐことができる。

将来はCAS冷凍法に限らず、魚介類や農作物の新鮮味を失わない技術設備を備えた輸送船隊を編成して、世界七つの海を駆け回って食品輸入に力をいれる貿易活動は世界に誇る日本の造船技術の出番を促し、低迷している国内産業に刺激を与える妙手にはならないものだろうか?

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家電量販業界戦国時代の将来

Photo_3 テレビやエアコンなどの家電製品販売業界に嵐が吹き荒れている。

テレビなどは04年のアテネ、08年の北京でのオリンピック年にはテレビが売れたのだが、今年のロンドン五輪ではその期待が完全に外れたらしく売場に以前のような活気が見られないと、業界トップのヤマダ電機でさえ、20113月期の売上高2兆1532億円を今年は15%減となると厳しい予想をしている。

ヤマダ電機は生き残りをかけてベスト電器(業界8位)を買収したが、業界5位のビッグカメラが同7位のコジマの買収を決定、愈々”家電戦国時代”の情勢を呈している。

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12日の毎日新聞によると、00年前半にはパソコン、同年後半には薄型テレビが売れて業界を牽引したが、昨年7月、再び、地上デジタル放送の開始で薄型テレビが飛ぶように売れた。しかし、それは需要の前だをしでしかなかったとは専門家の弁。

家電量販業界の2010年の売上高85千億円が現在では7兆円規模との試算もある程。

元々が安売り競争の業界、今は何処でも、社員給与水準を低くして、徹底したコスト削減で利益を出すと言った激しい競争の世界、もしこれまでのような特需景気が訪れないとすれば、ヤマダ電機会長、山田昇氏が云う、シェアー拡大で家電メーカーとの価格削減交渉を進め、メーカーから販売奨励金を受ける戦略に徹して競争を勝ち抜く方法しか残されていないと云うことである。

正に食うか食われるかの業界だが、今のところ、山田・ベストがトップ、続いてビッグ・コジマ、エディオン,ケーズホールディング、以上が上位4グループ。それにヨドバシカメラ、上新電機等が名を連ねる。

上記6社が売り上高を競っているのだが、業界では適性規模は3ー4グループとのことなので、まだこれ以後23社がずり落ちると見られている。

業界が一番恐れている存在は「ネット通販」で、その中にあって、最大の大敵が”アマゾン”。最近では家電量販店で実物を確認してから、ネット上で比較して安い商品を購入するパターンが多いらしい。

Amazon

は書籍専門だが、2011年のアマゾン(日本事業部)家電部門売上高6500億円。この売上高はネット通販を行っている家電業界トップの上新電機の売上高450億円をはるかに上回る数字である。

アマゾンは最初、書籍専門の会社で、ネット通販でジャンルを増やして大きくなった上に無店舗形式である。不動産に膨大な資本をかけた上に、多勢の従業員をかかえて生きるか死ぬかの商戦を展開しなければ残れない家電販売業界に勝ち目はあるのだろうか?

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韓国の「竹島」占拠について

韓国はもと欧米諸国から「Hermit Kingdom」(隠者帝国)と呼ばれていた時代があった。それは頑なに外国の干渉を嫌い、孤立する傾向の強い国民性を持つ人種の国であったからその様な名称がつけられたのである。

つい最近まで、韓国では外国語の使用が禁止されていて、すべてがハングル文字のみが使用されていたことを記憶している。

100年程前、{日韓併合}がおこなわれ、韓国は日本の一部となったのであり、それは殖民地ではなかった。

併合が行われて間もなく鉄道の敷設がなされ、発電所が建設され、日本並みの学校制度で、それまでは殆どが文盲であった人民は読み書きが出来るようになった。

日本の韓国で行った施政と、イギリスがインドでおこなった教育施政を比較すれば、如何に日本の対韓国政策が穏健であったことが判る。

韓国では、日本の敗戦で朝鮮民族が日本の殖民地政策から解放されたと誇張して語るきらいがあるが、それより、朝鮮半島が何故38度線で二分されたのかを問い正すべきではないか?

1945815日を韓国は日本の圧政から解放された記念日として祝砲をあげるが、それがそんなに目出度い日なのだろうか?

対岸から見ていると、その日こそ朝鮮民族にとって最も忌むべき日の始まりではなかったのか?

日本をまるで天敵のように忌み嫌う姿勢は「空威張り」としか映らないし、大人げない北の国と少しも変わりが無い、子供っぽい、”infantile aggression”(小児性攻撃)でしかない。

815日に李韓国大統領自身で「竹島」を公式訪問するとのことだが、あんな小さな島を取得することで韓国は何を得ようとしているのだろう?

韓国が竹島を日本から奪う事より、もっと大切なものを将来きっと、韓国が失うと悟るべきだと筆者は思う次第

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ソ連の参戦は奇襲ではなかった!

日ソ不可侵条約を信じて、戦争終結の交渉をスターリンに依頼することが真剣に天皇の御前で討議されたことは事実で、近衛文麿が勅使としてロシアに赴き和平の仲介を依頼する案まで俎上に上る程日本は追い詰められていた。

ソ連の参戦がヤルタにて話しあわれたことは事実で、筆者も以前に、これについてブログにも述べたが、ソ連に和平の仲介を託す愚策によって終戦工作がもたつく内に、原爆を二度も本土に投下され、多くの国民の命が失われ、その上、ソ連の侵攻で「北方領土」を失い、多数の兵士をシベリアに連れ去られた大失態の責任は誰にあるのだろう?

長崎原爆投下記念日に際し、多くの新聞報道は、昭和2024日から11日まで米英ソ首脳がクリミア半島ヤルタに集まり、南樺太返還、千島列島引き渡しなどを条件に、ドイツ降伏三ヶ月後にソ連対日参戦が米ソ代表間で決まったと云われている。

ヤルタ協定が完全な密約であった為、「日本側は全く知らず、なおソ連に希望的観測をつないでいた」(防衛研究所戦史室「戦史叢書」)と言うのが定説であった。

当時(1945220日頃)、ストックホルム駐在、小野寺信陸軍武官が亡命ポーランド政府参謀本部から得た”ソ連が対日参戦に踏み切る意向を固めた”との情報が公電で日本の参謀本部に届きながら、日本軍の中枢がこれを抹殺した疑いが濃厚と言う事実がハッキリした。

何故、ソ連の参戦のニュースが軍によって握りつぶれされたのか?小野寺武官のヤルタ密約電受信を証言した堀栄三氏、実はその四か月前、台湾沖航空戦戦果を訂正する電報を打ちながら、これも当時の参謀本部作戦課の手で握り潰されていた。

これは昭和19年(1944)10月の台湾沖航空戦の大本営発表戦果「敵空母11隻撃沈、8隻撃破」が実は米軍巡洋艦2隻大破であったこと。

堀栄三氏の長男、元夫氏は、父、栄三氏に同行、戦後の昭和33年夏、元大本営作戦課の参謀であった瀬島龍三氏が父の前で“その情報を握り潰したのは私”だったと告白したことを述べている。

戦果を誇張して発表することはどこの国にも有りがちなことだが、「ソ連がドイツ降伏から三ヶ月以内に日本攻撃を開始するヤルタでの密約」情報を上層部に上げずに参謀本部で握り潰すがごときはその事の重大性から正に許し難いことである。

“未だに日本外交が停滞している大きな原因は、エリートで有る筈の外務官僚の能力が低下し、良心が麻痺しているからだ。これは日本外交を立て直すためにも良いケース・スタディーになる。”とは元外務省主任分析官、佐藤優氏の談。(産経8/8)

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中国の億万長者

中国人民共和国=中共、中国の13億1500万(2012年)、その内共産党員は8300万人で非共産党員の総人口に占める割合は92%である。

8.2%の共産党員が国家の権力を掌握して、9割の国民の自由を奪いながら国を自由に操っていることになる。

これを会社組織の理論からすれば、どんな案件も株主総会にもかからないで否決されてしまう。

全人代の代表、人民大学の紀宝成学長はこのほど、中国における富裕層と貧困家庭の格差は約40倍と発表した。(グーグル調べ、12年3/8)

同学長はこの説明に種々の理由をあげているが、同じ国民間で所得の格差が40倍なんて文明国は世界広しといえども極めて珍しいと云わなければならないが、人民大学の学長が、その事実を何の悪びれもなく公表することも珍しいと云わねばならない。

そのような経済格差の存在を放置すれば、民間の待遇改善を唱える人があって当然だが、それを表沙汰にしないように国家をあげて努力しているのが中国の現状なのである。

先日の北京共同の報じるところでは、中国の民間調査機関、胡潤研究院は8月1日に、中国で資産が一千万元(約1200万円)以上の富豪が2011年末に前年比6.2%増(人数にして約6万人増)の102万人と、調査を始めてから初めて100万人を突破したと発表。

その平均年齢は39才と比較的に若く、その内、女性が40%を占めたと云うことも驚きだが、億万長者は1300万人に一人であるとのことである。

これらの人達の年間消費額は176万元(約2200万円)、その内訳は旅行、平均3回(海外観光)、飲酒癖70%、喫煙者46%、ゴルフ、水泳、ヨガを趣味として、海外逗留先はアメリカ、カナダ、英国に子供を留学させているのが一般的とされる。米国への移民希望者も多い。

最近では中国経済減速の影響で、平均消費額は前年比9%減少、将来の経済発展に自信があると答えた富豪は昨年54%であったが、今年は28%に約半減。

同研究院は株価の低迷や住宅市場の引き締め策の影響もあって、富豪の増加ペースも鈍化していると述べている。富豪の内訳は、企業主50%、20%株主、15%が不動産関係との事。

地域別、北京、179000人、広州、上海の順だが、102万人のうちの32万人は2級都市と云われる地方都市。

胡潤研究院が何の目的をもってこのような発表をし、政府もこれに反対もしない理由は何かを筆者は尋ねたい。

このような人民間の明らかな貧富の格差がある事実を政府は恥としないのならこれも大きな問題である。

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天然資源と北米大陸の将来

脱化石燃料政策を大々的に掲げたアメリカ・オバマ政権であったが、太陽光発電企業の相次ぐ倒産で「新エネルギー産業開拓」が迷走して、エネルギー産業の将来への展望が危ぶまれていたが、今日まで生産性の目途が立たずに放置されていた、地中の岩盤に含まれる天然ガス「シェールガス」(shale gas)抽出技術の確立で様相が一変した。(8月3日、産経)

これはアメリカにとっては朗報で、19世紀半ばに起こったeldorado(黄金郷)の再現に近い石油ブームと云っても言い過ぎではない。

アメリカ・カナダ地方の地底に眠る無限に近い資源を経済的に採掘する技術の確立で、液化天然ガス(LNG)のほか、石油など液体化石燃料の純輸出国に早晩転じるとの分析が盛んになされている。

北アメリカ地方は20世紀の初め頃から自然環境保護の思想にもとずき、広範な地域が国立公園等に指定され、むやみに荒野を開拓することに制約が敷かれた。

科学的調査では、これらの自然保護の網のかかった多くの地域にも無限に近い石炭や地下資源が眠っていることが判明しているが、最近発見された北ダコタ州、テキサス州での油田地帯はそのような条例の規制を受けていない地域である。

将来、エネルギーの自給が盤石となるとアメリカ企業の国際競争力が上昇、製造業の復活が加速しているほか、制限されているエネルギー輸出の拡大を求める声が盛んにあんりつつある。

米国では天然ガスは略自給、石油は半分弱を輸入に頼っているらしいが、米金融大手シティーグループは最近、2010年以降はLNGなどの純輸出額が純輸入額を上回るとの試算を発表している。

とりわけシェールガス開発の拡大でLNG採掘量が急増中で米エネルギー省情報局も「2020年には純輸出国に転じる」との予測を正式に発表したと云われる。

ピーターソン国際経済研究所によると、シェールガス開発は10~15年にわたってアメリカ国内総生産(GDP)を年1%押し上げると云う予測である。

「脱化石燃料」を掲げたオバマ政権もここにきて「国産エネルギー生産の増強」に舵を切りなをした感がある。

国内でのシェールガスや海洋油田開発は石油の中東依存を引き下げる機運は“オバマ政権のエネルギー安全保障の中核にな”ると    米電力業界関係者の弁。

中東への原油依存リスクは今やどの先進国でも避けたいところ、これからはアメリカへの石油依存度は高まることが予測され、北アメリカ大陸(特に、カナダ、米国)の将来に明るい光が見えてきたと思われる。

その反面、これまで1世紀以上、石油輸出の恩恵で繁栄を続けていた中東諸国の運命は今後、如何に展開するのだろうか、一抹の不安を感じざるを得ない。

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インド洋の要衝「ディエゴ・ガルシア」

インド洋は世界で三番目の大きな海域で、東にマラッカ海峡、西にスエズ運河があり、マダガスカル海峡、喜望峰を通じて大西洋にも通じている広大な海原である。

極東の島国の日本からは遠く離れているため、日本人の感心が薄かった地域には違いないが、今世紀に入り、インド洋の戦略的重要性が問題になりつつある。

これの直接の火種は、云わずと知れた中国の台頭である。この海域を「真珠の首飾り」と呼ばれる理由は、マダカスカル島とインドとの間に無数ともいえる多くの島が存在し、最近になって中国がインド封じ込めの目的で、スリランカ以西、アラビア海までに散らばっている多くの小島を連携する軍事シーレーンを構築、西側の脅威となることを危惧するアメリカを中心とした西側諸国が、この海域の略中心にある小島“ディエゴ・ガルシア”をもってこれ以上の中国の進出を阻止、監視する体制を固め始めた。(選択8月号)

BP(ブリティッシュ・ペトロリアム社)版「世界エネルルギー統計概観」に依るとDiego Garcia島は人間の足をかたどったようなサンゴ礁でできた島で、イギリス領である。

赤道の南、アフリカ東海岸より3300キロ、インド南端から2200キロ、オーストラリア北端のダーウインから6400キロ離れた位置にある。

西洋諸国の間では、インド洋を制する国は世界を制覇するとまで云われているが、永い間大英帝国の支配下にあったが戦後の時代の趨勢で、1968年以降この島をアメリカが軍事基地の目的でイギリスから半世紀の期限で借り受け、アメリカが海・空軍基地を置いている。

このリースの期限は2016年で切れるが、両国は既に、これを2036年迄延長することで同意している。

リンドン・ジョンソン大統領は、冷戦の脅威が増すなか、対ソ連のこの地域への進出を封じる目的で、イギリス労働党ウイルソン首相の要請で同島の租借を決めた。

イギリスは目的達成のため1968年、2000人の島民のモーリシシャスとセイシェルへの移住を強行している。(これについて、島民は今もこのイギリスの暴挙に抵抗を示している)

半世紀近くが経過した現在では、米、中、印の三大国間を中心に、この周辺海域の防衛が真剣に討議されているらしい。

前掲「選択8月号」によると、ホワイトハウスの国家保障会議(NSC)が年内に発表する国家安全保障報告12年度版で、アメリカ政府は国の国益、目標、軍事態勢を明確にせよと督促していると述べ、インドと中国の覇権争いを煽りたててはいけないとブレーキをかけると同時に、中国が早晩インド洋に海軍を展開させる事態を予想して準備を整える必要性を強調する。

ホルムズ海峡、アラビア海、アフリカ大陸の北角を西に、ベンガル湾及びマラッカ海峡を東に臨むインドは、その間に広大な排他的経済水域254万平方マイル、その領海は世界の1割に相当する広さと云われる。

今後インド経済の拡大は中国の後を追いつつ、2025年までには、米、中に次ぐ世界第3の石油消費国に成長すると予想されている。

インドは現在石油の70%、天然ガスの50%を輸入に依存していると云われ、。そのエネルギーの源の半分以上をインド洋の西の地域に頼らざるを得ないとすれば、インド洋の安全こそ国の死活問題として考えざるを得ないことは当然。

最近の中国の動向を見て最初に警鐘を打ち鳴らしたのは他ならぬアメリカであった。

パキスタン(インドの宿敵)の中国への接近と、戦略技術の委譲は明らかな事実であり、昨年の5月にはパキスタンのギラニ首相の中国訪問、中国のパキスタン領内のグアダールの港湾建設、パキスタン→中国間の高速道路、鉄道の建設協定の進捗状況から、今後のパキスタン情勢はアメリカにとってこれ以上見逃す訳に行かない状態に至っている。

アメリカのインド洋戦略はオーストラリアとの関係強化を軸として着々と進んでいる。ダーウインの他、豪州の西南部、パースに近い、スターリング海軍基地、インド洋上、豪州領のココス諸島へのアメリカ海兵隊の特殊作戦部隊の派遣状況に関する報道から推察して、最近のアメリカの動静は今までになく積極性を帯びている。

アメリカと豪州連携のインド洋、チモール海、南シナ海を東部防衛線とすれば、マラッカ、スンダ、ロンボク海峡を西部防衛線と思考し、空母2隻ほか、鑑船155隻を保有するインド海軍を補佐しながら真正面から中国に対抗するべく米、印、豪の三国の作戦が動き出そうとしている。

筆者はDiego Garciaの詳細とその戦略的重要性を調べるべく、アメリカのサーチ・エンジン”Ask.Com”を検索したが、小さい岩礁の存在にも関わらず実に28枚にも及ぶ記事に遭遇、西側諸国が如何にこの島々を重要視しているかを知ることとなった。

この周辺での中国の動向には慎重な姿勢を見せながらもアメリカを中心とした西側諸国は、この要衝「ディエゴ・ガルシア」を中近東への前線基地として中国の接近を許さない姿勢をとり続けることであろう。(参照:Diego Garcia, Wikipedia ,free  encyclopedia)

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アメリカ沖縄軍事基地

アメリカは40年前沖縄を日本に返還したが、軍隊の沖縄駐留はそのまま継続する条件の上でのことであった。

ジョンソン政権当時の国坊長官、は内閣を代表しアメリカを訪問した、岸伸介元首相に対して、米軍の沖縄駐留の条件として、第一に米軍駐留について日本政府はそれを支援することに加えて、日本の軍事的な協力をも要請したうえで日米安保条約が成立した事実が、昨日公開された日米外交文書で明らかになった。

鳩山由紀夫氏が首相在任中に「沖縄海兵隊の存在が日本の防衛に如何に重要かを今になって判った」との意味の間の抜けた声明をだし、物笑いになったことは記憶に新しい。

佐藤栄作首相が沖縄返還の対米交渉を本格化させる直前の1967年1月、沖縄駐在の米高官が日本の外務省幹部に「日本の防衛と云うことなら沖縄はいらない。沖縄の基地を必用とするのは極東の安全のため」と言い切ったことが8月1日の京都新聞記事にあった。

多くの日本人はこれまで「沖縄米軍の存在」が日本の防衛のためだと思っていたが、アメリカ側からすれば、それは日本の防衛ではなく、主たる眼目は「極東の防衛」であることが今回明らかになった。これを裏返して考えれば日本だけの防衛には沖縄は要らないと云う論理である。

これを更に拡張解釈するならば、アメリカにとって、沖縄と日本列島は、アメリカ極東防衛には欠かせない「最前基地」とみなしているとも考えられ、ことさら日本は今後、自衛手段を考えない限り日本は外敵の侵略に曝されることも考えられる。

この時(1967年)のアメリカ高官とは沖縄で強い権限を持った高等弁務官のジェームズ・マーティン米公使。

67年、1月22日付の外務省極秘文書によると、この発言は、東郷文彦・外務省北米局長との会談で述べられたものとのこと。

マーティン氏は、「自由な基地使用が確保されなければいつでも全面返還した方がいいと思っている」と述べ、米軍の戦闘作戦行動を日米安保条約の事前協議の対象外として、沖縄が軍事基地の役割をなさないのならばその存在価値を認めないとでも言いたげな発言ともとられる。

沖縄の返還交渉において、日本側が、国内世論を理由に米軍基地の確保が困難(本土並み)と主張したことに対し、アメリカはそれならばアッサリと引き揚げると返答したことも今回明らかになった。

実際のところ、69年の佐藤・ニクソン会談で日本はジェームス・マーティン駐沖縄米公使提唱の「自由な基地の使用・・・」条件を日本側が容認させられた形での合意がなされ上、72年の沖縄返還が実現したことが今になってハッキリした。

その間、日本だけが沖縄の「本土並み返還」を国民向けに叫んでいたことになり、今更、これは許される、許されない、の問題では済まない、いわば国家的詐称事件と云わざるを得ない。

アメリカは、永い間フィリッピンと云う重い荷物を背負って50年以上苦しんだ、従って、沖縄諸島についても、なるべく国家負担を減らすべく返還に応じたが、国防の見地から必要と思われる軍事基地については他国の干渉を受けない条件で将来にわたって維持したいと考えたとして間違いはない。

一方、日本政府は沖縄が占領を解かれて、返還され、今後はアメリカ軍票でなく日本円が通用する本土並みの領土として復帰したことで喜んだ。お陰で佐藤首相はノーベル平和賞を授かったのであるから、すべて目出度し、目出度し、アメリカの人気も上昇した。

それに引き換え、ソ連邦は日本固有の「北方4島」を返還しない。これは国際法違反だと云って政治家連中が世論をあおったことも考えて見れば見当違いも甚だしい。

沖縄米軍基地が日本の思い通りにならないことがハッキリとした以上、日本政府はこれまでのデマカセの嘘を並べることは止めて、アメリカと現実的な国防手段を相談すべきである。

                                                                                                                                                                

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