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ソ連の参戦は奇襲ではなかった!

日ソ不可侵条約を信じて、戦争終結の交渉をスターリンに依頼することが真剣に天皇の御前で討議されたことは事実で、近衛文麿が勅使としてロシアに赴き和平の仲介を依頼する案まで俎上に上る程日本は追い詰められていた。

ソ連の参戦がヤルタにて話しあわれたことは事実で、筆者も以前に、これについてブログにも述べたが、ソ連に和平の仲介を託す愚策によって終戦工作がもたつく内に、原爆を二度も本土に投下され、多くの国民の命が失われ、その上、ソ連の侵攻で「北方領土」を失い、多数の兵士をシベリアに連れ去られた大失態の責任は誰にあるのだろう?

長崎原爆投下記念日に際し、多くの新聞報道は、昭和2024日から11日まで米英ソ首脳がクリミア半島ヤルタに集まり、南樺太返還、千島列島引き渡しなどを条件に、ドイツ降伏三ヶ月後にソ連対日参戦が米ソ代表間で決まったと云われている。

ヤルタ協定が完全な密約であった為、「日本側は全く知らず、なおソ連に希望的観測をつないでいた」(防衛研究所戦史室「戦史叢書」)と言うのが定説であった。

当時(1945220日頃)、ストックホルム駐在、小野寺信陸軍武官が亡命ポーランド政府参謀本部から得た”ソ連が対日参戦に踏み切る意向を固めた”との情報が公電で日本の参謀本部に届きながら、日本軍の中枢がこれを抹殺した疑いが濃厚と言う事実がハッキリした。

何故、ソ連の参戦のニュースが軍によって握りつぶれされたのか?小野寺武官のヤルタ密約電受信を証言した堀栄三氏、実はその四か月前、台湾沖航空戦戦果を訂正する電報を打ちながら、これも当時の参謀本部作戦課の手で握り潰されていた。

これは昭和19年(1944)10月の台湾沖航空戦の大本営発表戦果「敵空母11隻撃沈、8隻撃破」が実は米軍巡洋艦2隻大破であったこと。

堀栄三氏の長男、元夫氏は、父、栄三氏に同行、戦後の昭和33年夏、元大本営作戦課の参謀であった瀬島龍三氏が父の前で“その情報を握り潰したのは私”だったと告白したことを述べている。

戦果を誇張して発表することはどこの国にも有りがちなことだが、「ソ連がドイツ降伏から三ヶ月以内に日本攻撃を開始するヤルタでの密約」情報を上層部に上げずに参謀本部で握り潰すがごときはその事の重大性から正に許し難いことである。

“未だに日本外交が停滞している大きな原因は、エリートで有る筈の外務官僚の能力が低下し、良心が麻痺しているからだ。これは日本外交を立て直すためにも良いケース・スタディーになる。”とは元外務省主任分析官、佐藤優氏の談。(産経8/8)

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