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翻訳語「美術」の功罪

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明治6年(1873年)日本政府はウイーン万国博に始めて出品を果たしたが、その際、このイヴェントに同行、出席を果たした高級役人、大鳥圭介(18331911)がドイツ語”kunstgewerbe"或いは”fine art"を「美術」と翻訳、それ以後、日本の教育に取り返しのつかない支障を生む事態をきたすこととなった。

「美術」が翻訳語であること自体、人文科学に関係するもの以外に知る人は案外少ないと思うが、この大鳥圭介なる人物、後日、学習院院長、工部大学校長を務めた経験の持主と言えども、国の情緒教育、歴史教育に大きな影響を及ぼす大事な「日本語」を誰に相談することなく軽率に採用することは正に暴挙と云わなければならない。

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世紀はどちらかと言えば理想主義の時代であった。”理想の美”と云うものが”リアルの美”と短絡的にとられる傾向にあり、"real beauty"(写実美)と思われた時代でもあったことは事実である。

ここで最大の問題は、美術の語源となったドイツ語、または英語にも「美」を表す文字は何処にも見当たらないことである。物を見て美しいと思うのは、それは「主観」でしかなく、普遍性のあるものではない。

このような間違った観念を植え付け、"Fine Art"=”美術”の観念を日本人の心に植え付けた罪は深いものがあると思う。

大鳥圭介は幕臣で一時は、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争において朝廷方に弓をひき、榎本武揚、土方才蔵らと五稜郭に立てこもり、最後には捉えられているが、その後、榎本と同様、新政府にかけられて出世した明治の逸材の一人であった。

緒方洪庵の適塾で蘭学と西洋医学を学び、また、アメリカ帰りの中浜万次郎に英語を学んでいる。

専門は工学だが,兵学にも長け、オールマイティーの逸材であったことは確かである。多くの著作もあり、出版について活字までも発明している。(大鳥活字)

参考書;星亮一「大鳥圭介」中央新書、20114

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