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パナマ鉄道とアスピンウオール

Pacific_mail_steamship pacific Mail Steamship

ウイリアム・ヘンリー・アスピンウオール(William Henry Aspinwall,1807-1875)はアメリカ第26代大統領、セオドール・ルーズヴェルトと第32代大統領、フランクリン・ルーズヴェルトの曾伯父にあたる人物で、アスピンウオール帝国と云われる程の大富豪で、ニューヨークのメトロポリタン美術館の創設者の一人であった。

彼は永く海軍と郵政省とも関係を保ち、パナマ横断鉄道の創設者である。その後(1914年)に、セオドール・ルーズヴェルト大統領の時代に完成を見た「パナマ運河」の建設にも関係した。

1846年の米墨戦争後、カリフォルニアやオレゴン地方の人口の急増を見、東西大陸間のコミュニケーションの重要性が問われることとなった。

大陸横断の陸路の郵便は、大陸横断鉄道が完成した後(1870年頃)になっても天候や、その他の障害で、たまたま不測の事態が発生し、信頼性に欠けていたところ、184733日、第11代、ジェームス・ポーク大統領(James Knox Polk,1845-49)の時、新たに郵便法が制定され、グラナダ政府(Republic of New Granada,現在のパナマとの交渉で「パナマ地方」経由で郵便が西海岸迄配達されることとなった。

同年の54日、海軍省は、ニューヨークとパナマ間、それと、パナマからカリフォルニア、オレゴン地方迄を蒸気船で結ぶ郵便物配達サービス会社募集の広告を始めた。

この応募の入札に於いて、海軍省の監督のもと、蒸気船の大きさは1500トン以上、馬力は最低1000馬力、不測の事態発生時には軍艦として使用出来る装備が要求された。

この様な海軍省の厳しい制約のついた条件であったが、ニューヨークで船会社を経営していたウイリアム・アスピンウオールは、1847年11月19日、海軍省と19万9000ドルで10年間の契約の調印に応じた。

これはアスピンウオールにとって。正に博打のような投資であったが、後から考えれば、アスピンウオールには幸運の女神が微笑んだときであった。

アスピンウオール&ハウランド(Aspinwall & Howland Co.,)、は当時、主に西インド諸島との貿易を行っていたが、彼の心底には今後は東洋との貿易に力を入れたいと思っていたに違いない。

その頃は、帆船「クリッパー」の時代であり、アスピンウオールも高速船での航海を夢見ていた。

そこで、少しでも速く、中国茶や陶器をロンドンやニューヨーク迄届けられる高速船の建造に取り掛かり、当時、世界的に有名だった、ニューヨークの船大工、ジョン・グリフィス(john  W. Griffith)に依頼、後世にまで有名を馳せた、”Rainbow”と“Sea Witch”を建造させた。

アスピンウオールの”Sea Witch”はニューヨークと広東間を77日で往復する記録を立て有名になった。

彼の行った、蒸気船での郵便事業、クリッパー船の建造での輸送に周囲の関係者は誰一人として、まともに金を生む仕事とは思っていなかったことは確かである。

ところが、アスピンウオールが海軍省と蒸気船での郵便配達事業に応募を決めた2か月後の1848年1月24日、世界を驚かす「金鉱の発見」がカリフォルニアで起こった。

この一大ニュースは、その6カ月後にミズーリ州までもたらされ、8月19日になって、ようやくニューヨーク・ウイークリー・ヘラルド誌によってで発表された。

それから後、何が起こったかは、述べる迄もないことだが、彼がニューヨークで創設した”Pacific Mail Steamship Company”(1848年4月12日)は、このニュースを聞くや、急遽、「カリフォルニア」、「オレゴン」と「パナマ」の3隻の新造船の発注を行った。

彼の会社は空前の利益を生むこととなり、その状態は1925年まで続いた。

その後、アスピンウオールはパナマ地峡に700万ドルを投入、1850年から、5年の歳月をかけ、約5000人の犠牲者を出しながら、1855年1月27日「パナマ鉄道」を完成させた。

この工事には、コロンビア、アイルランド、中国からの労働者が、熱帯地帯の湿地で、マラリア、黄熱病と戦いながら過酷な労働条件のもと、完成させた鉄道であった。それは、一本のレールに一人の犠牲者と云う程の難工事であったらしい。

万延元年「遣米使節団」70数名が、1860年にアメリカの蒸気船“ポウハタン”でカリフォルニア経由でこの地を訪れ、この鉄道を利用して、東部に旅行している。(1860年4月)

半世紀後の1914年になり「パナマ運河」が完成したことは周知のとおりである。

因みに、パナマ鉄道は現在でも、パナマ運河沿いを走り続けている。          

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