« 女児が築いたサンリオ王国 | トップページ | これ以上「黙っていられない!」 »

Tiffany & Co.

Tiffany_lamp1 220pxtiffanyfifthave2007

オードリー・ヘップバーン主演「ティファニーで朝食を 」が上映され、再び、ニューヨークのティファニーが世界の脚光を浴びた。

淡い綺麗な青の箱をプレゼントされれば、女性なら中身を見ないでも喜ぶと云われるが、ティファニーの歴史はそんなに古くはない。

モダーンデザイン・オックスフォード辞典(Oxford Dictionary of Modern Design)によると、ルイス・c・ティファニー(Louis Comfort Tiffany,1848-1943)は宝石、銀細工の職人であった、チャールス・ティファニー( Charles Tiffany)の息子で、若い頃からウイリアム・モリスや、ジョン・ラスキンの書物を読んで、ヨーロッパ、イギリスのアート・ヌーボーの装飾工芸に興味をもった。

ジョン・ラ・ファージ(John La Farge,1835-1910)と共にアメリカ芸術家協会を結成(1877年)同時に、ステインド・グラスの工房を作り、インテリアーデザイナーとして身を立てる決意をする。

1878年、ティファニーは自分で会社を興し、それを、Louis C. Tiffany & Associated  Artistsと名付ける。

18821883年にかけて第21代大統領チャスター・アーサーの要求で、ホワイト・ハウスの室内装飾を請け負う。

その頃から、布や紙のデザインを始め、装飾ガラス(後に”ティファニーグラス”の名で呼ばれる)の製作をロング・アイランドで開始、この多くの作品を世に出す。この中で、特に「ランプシェード」が大流行し、1893年のシカゴ万博で特別賞、その後のパリ万博(1900年)ではグランプリを受賞される。

20世紀になり、ティファニーの名声は世界的なものとなり、ニューヨーク5番街57丁目には結婚指輪を求める客で賑わうようになった。

銀製品と宝石の高級店として、国内は勿論、殆ど世界中の大都会に出店された。

今では、"Tiffany & Co."の名称を使用し、小売りに関する限り一切値引きなしと、現金売りのみの商売を続けている。(クレジットカード?)

"Blue Book"で知られているメールオーダーのカタログは1845年から始まり、今も継続されている。

ニューヨーク・ヤンキーズのロゴとなった有名な紀章もティファニー製である。(1909年)

199091年代には流石のティファニーも苦境となり店舗の売却まで噂に上った。

2008128日、日本のソフトバンクとティファニーは共同で10台限定で携帯電話機を作った、一台に総計20カラット(4.0g)400個のダイアモンドが散りばめられたこの機械の単価1億円であったらしいが、果たして何台売れたのかは不明。

1980年代に入り、ティファニーは香水の販売を始め、1989年度から男性用の香水も売られている。

ティファニーと云えば豪華で、高価の印象が武器で、この姿勢を貫き、2世紀にわたって繁栄を続けられたのはアメリカの社会が豊かであったからだと思われる。

マリリン・モンローの映画、「紳士はブロンドがお好き」(Gentlemen Prefer Blondes,1953)が放映され、ティファニーは確固たる世界ブランドとなった。(この映画を記憶している方々はかなりの老齢であろう)

   

写真:ティファニー・ランプとティファニーストアー(N.Y.)

|

« 女児が築いたサンリオ王国 | トップページ | これ以上「黙っていられない!」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/304622/46852800

この記事へのトラックバック一覧です: Tiffany & Co.:

« 女児が築いたサンリオ王国 | トップページ | これ以上「黙っていられない!」 »