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日本図書館の先駆け京都の「集書院」

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1864年(元治元年)は蛤御門の変で27千所帯が家を失った程京都の住民にとって悲惨な年となった。

その意気消沈もおさまらない間に東京遷都が行われ京都は再び意気消沈した。

人材を育てることが第一との思いから、京都では全国に先駆けて学校制度の確立に立ち上がった。

明治2年、64の小学校を開校。その次には外国の事情を知る必要から英、独、仏の語学校を次々に開校、明治3年には日本で最初の府立中学校が開校している。

その頃では書籍は貴重品であり、誰もが専用の教科書を持つというわけにはゆかず、教科書を学校に備えおき、生徒は使用料金を払って借りなければならなかった。

これの貸出しを請け負ったのが平楽寺書店(村上勘兵衛)と大黒屋(今井太郎右衛門)であった。

この2人は明治5年に「集書会社」を設立貸し出し業務を始めた。

明治5年京都の学校事情を視察した福沢諭吉の勧めもあり、京都府は図書館設立を思考し始めた。

そのことが明るみにでると、多くの市民からの寄付が相次いだ。

集書会社の村上、今井はそれぞれ百両を寄付、民間からも書籍や金銭の寄付が相次いだと云われている。

明治59月、東洞院三条角に洋風でモダンな「集書院」(写真)が完成、翌年から日本で始めての公立図書館が発足した。

京都府は慶応4年(1868年)、旧来の町組を改めて64校の小学校を発足させている。(番町小学校)

集書院(図書館)の構想は我が国独特で、民間の書籍商(古書店?)から始まった貸本業がその先駆けとなったことが判る。

その後、京都府は本格的図書館の必要を感じていたところに「京都学校の記」を著した福沢諭吉が故郷の中津藩への帰路の途中京都に立ち寄り、府知事の槙村正直と会議、「書籍従覧結社」の設立を話し合った。

ところが、集書会社はその後利用者が減り始め運営が困難になったため明治15年、一旦廃止された。

しかし最初の機運は明治1531年の京都府立図書館に繋がったのである。

京都府知事の槙村と福沢との親密な関係は後に京都慶應義塾(府庁内)、京都府中学校の企画へとつながり、教育の近代化に前進を見た。

わが国に近代図書館の考えを紹介したのは福沢諭吉。福沢の著書「西洋事情」に”西洋諸国の都市には文庫有り、ビブリオテーキと云う”と、そこでロンドンやパリの図書館のことを紹介している。

琵琶湖疎水、ちんちん電車、天狗タバコ等、明治期の京都は全国に先駆けて科学や文化の面で日本の近代化に大いに貢献したことが判る。

(資料;平成2137日、京都新聞土曜版)

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「北方四島」、「尖閣諸島」帰属はアメリカの決定

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日中間でその帰属について大問題に発展している「尖閣諸島」は日本の制度では沖縄県に所属している小群島である。

戦後アメリカがこの辺一帯を占領していたが1972年の日米条約で沖縄本島にある米軍基地を除いて日本に返還された。

それ以後、日米安全保障条約が調印されて日米の互恵関係に於いて、日本はアメリカの戦略的保護下におかれ現在に至っている。

筆者が疑問に思うのは尖閣諸島の位置である。

それは南シナ海の南西部(八重島諸島)の五つの小島からなっている、しかしその南方約130~150キロメートルにこれより遥かに大きい石垣島(220.6キロ㎡)が存在している。

尖閣諸島での最大の魚釣り島でも僅か3.82キロ㎡の大きさでしかない。

これは机上の理論ととられるかも知れないが、ニューヨークのセントラル・パークの面積は3,33平方キロ、ロンドン市の面積は2.33平方キロ、東京都は2.2平方キロ以下であるから、魚釣り島の3.82平方キロは決して小さいとは言えない。

現在、その配属場所で沖縄市民が反対しているアメリカの新型ヘリのオスプレイをここに集中配備しては如何なものだろう?

ここは石垣島から130キロしか離れていないし、米軍の一部を人口の少ない大きな石垣島(沖縄本島、西表島に次いで3番目)に移動させて、日本政府がアメリカに発注(要請)して米国の建設会社が工事を請け負い、オスプレイ専用飛行場を建設すれば中国も反対できないのでは?

1972年にアメリカが日本に条約で合意の上、返還した尖閣諸島の帰属は、日米安保条約を破棄しない限り、これが日本の領土以外のものではありえないことはハッキリしていると思う。

これをアメリカが「北方領土」のケースと同じように沈黙を守って発言を控えることは、同盟国として如何にも卑怯と云わざるをえないと考えるのだが如何であろうか?

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新発見による「近江八景」の由来

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宋末、元初の僧、牧谿法常の描いた瀟湘八景(しょうしょうはっけい)に倣って室町~江戸期に於いて各地の景勝地で「八景図」が描かれたが、その中で最も有名な画題が近江八景図である。

これまででは、この八景図を考案したのは室町時代後期の関白近衛政家として辞典では紹介されていたが、此の度、京大大学院の鍛冶宏介講師(非常勤)が江戸初期、1624年(寛永元年)に儒学者菅得庵が表した「八景和歌(琵琶湖)」(伊勢神宮蔵)の中で近江八景を詠んだ和歌8首を発見、得庵が”これら「近江八景」の題材の和歌は近衛信尹(このえのぶただ)公が膳所城からの八景を眺望して紙に写し、城主に賜れた”と記録していたことを突き止めた。(京都新聞924日)

これで「八景図」の始まりは室町期ではなく、江戸初期で、その創始者が

近衛信尹(このえのぶただ、1565~1614)である可能性が濃厚であることが実証されたこととして重要な発見であると思われる。

近江八景に詳しい大津市歴史博物館の横谷賢一郎学芸員(44)は「これで信尹選定が決定的となった。信尹は近江八景を和歌で詠んで公家たちに受け入れられ、江戸中期以降、絵画化によって日本を代表する名所と広まった」と喜んでいる。

近江八景として選ばれた場所が何故に湖北地方でなく膳所や三井寺周辺に偏って描かれていたことに疑問視されていたが、これでその謎も紐どかれたように思われる。

さて近衛信尹(三藐院)であるが、彼は太政大臣前久の子で、文禄、慶長の役に随行、渡海しようとして朝廷からとがめられ薩摩に流刑となったが島津義久の知遇を得て優遇されながら和歌、連歌、書に耽りながら禅画を始めたと思われる。

三藐院が誰に参禅したかは不明だが、彼の描いた画題には禅機画が多く見られ、素人の域を超える力量が見られ、書に至っては、本阿弥光悦、松花堂昭乗と並んで「寛永の三筆」として有名である。

近衛家は京都と熊本に縁が深く、岩倉家とも近縁で、御室には近衛家の「陽明文庫」がある。

近江八景画題:比良の薄意雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山秋月

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国民新党の置き土産「金融円滑化法」の行方

金融庁は来年3月に期限を迎える金融円滑化法が予定通り実施された後の対策に頭を抱えている。

金融円滑化法は、民主党と連立政権を組んだ国民新党代表の亀井静香金融担当相(当時)が2009年に閣議決定させた後に2度の延長を重ねた末、来年3月にいよいよ廃止を予定されている法令だ。

窮乏状態にある企業の債務に対する貸出条件の一時的緩和として企業の再生を目指した、いわば温情的、弱者救済を目指したものであったが、実際はそれ以後3年半が過ぎても改善されることなく多くの債務額はさらに日本に重くのしかかっている。

円滑化法で適用を受けた案件は300万件に上ったらしいが、貸し出し条件緩和先の債務総額は40兆円を下らないと云われている。

信用情報の専門家の意見では、「円滑化法」施行で、それ以後状態が改善された支援先は殆んどゼロ。貸出条件緩和や融資残高の維持には役立たず、単なる企業の生命維持で終ったと云っても過言ではない。

将来に希望がもてる企業に対しては当初に債権放棄してでも臨むが、今後、債務の書き換えを繰り返しても回復に希望が持てない相手に対しては、この際、廃業を奨励して条件の良い間に累積債務を整理させる方針で臨むしか策がないと云うのが金融界の意見。

半年後に期限を迎えることで今になって関係者は対策に苦慮している。誰もが異口同音で叫ぶことはこの法令廃止次第で企業の大量破綻がはじまることは火を見るより明らかとの意見が大半。

この時点で大手都銀は傘下にもつ消費金融にそのまま債権を移行、取り立ての専門家たちに事後処理を任せる手法を取ると思われるが、そのような取り立て専門方を持ち合わせていない地銀では同じ銀行名を冠した「再生ファンド」を創設後、不良債権との認定を受けることの確実な融資先をこのファンドに移行させることも考えている。

40兆円と云う額は年間の政府税収の9割に相当する。

これは過去3年半、金融庁のお陰で保護され続けて無為無策のうちに積み上がったものだと思われるが、この民主・国民新党が作った「ツケ」は20134月以降の政権政党の大きな悩みの種となることは確実である。

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不況知らずの「院外処方」

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不景気知らずの職種を見付け出すことは最近では至難と思われるが、実は それはごく身近に存在している。

それは「院外薬局」、「調剤薬局」と呼ばれている薬局のこと。医師が出した処方箋に従って薬を処方、紙袋にいれて売るだけの小売店。

この種類の調剤薬局が最近いたるところで売り上げを伸ばしている。

FACTA10月号)

1995年に12662億円だった売上高が2011年に65601億円までに激増した。

店舗数53千店、この数はコンビニエントストアーの44千店を遥かに上回っている。16年間でこんなに進展を示した業種は珍しいと云わねばならない。

同誌によると、医者も製薬会社も薬卸も共に四苦八苦している時、調剤各社の業績は絶好調。

最大手のアインファーマシーズは売上高14279000万円、経常利益105億円(124月期)2位の日本調剤、3位のクオールも過去最高益を更新している。

高齢化社会の拡大で今後も発展を続けることは今のところ約束されたようなものである。ここに至ってドラッグストアーやコンビニなどの異業種も参入を目論んでいると云われる。

驚いたことに日本調剤の三津原博社長が65000万円の役員報酬を受け、それは、武田薬品の長谷川閑史社長の報酬の2倍以上だとの事。

医師の診療報酬が引き下げられて困窮する中、どうして調剤業界だけがこんなに利益をあげられるのだろうか?

医師に限らず薬品卸業界、製薬業界らすべてが業績を落としている中調剤薬局業界だけが我が世の春を迎えているかの様である。

これには「医薬分業」を期に厚生労働省の利益誘導手段として調剤業界を優遇しだした歴史がある。

90年代、薬価差益を利用して患者に必要以上の薬を投与する「薬ずけ」医療が社会問題化した時病院内の薬局なるべく院外に切り離す「医薬分業」を推し進めた。その間、患者も診察を受けた後に環境の良くないところで薬を受け取る迄長い間待たされるより院外で薬を受け取ることを望んだため次第に院外処方が増え出す環境が出来上がった。

「調剤技術基本料」と云う聞きなれない制度を知る人は少ない。それに「基準調剤加算1」も耳慣れない表現である。これらは共に院外処方にのみ許された点数加算(10点)。

その他、「調剤料金」「混合加算」「薬剤服用暦管理指導料」などの加算優遇が存在するらしい。

患者の大半は調剤薬局の処方が病院より高価だとは知らない。全般にどのくらいとは限定できないが平均3割高と思って大差はないとのこと。

卑近な例として、血圧の薬を14日分処方した場合、院内の4830円に対し院外処方では6280円と差がでる。(FACTA 10月号)

そもそも処方箋に従って薬をを袋に詰めるだけの労働作業を提供して巨額の売上を得る職業は他に例はみられない。

ここに医者や病院と調剤薬局との間に悪しき関係がないのら良いが、この点を厚労省保健局や関係する省庁は改めて公にするべきと考える。

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イエス・キリストに妻がいた?

Photo 新発見資料写真

“キリストが結婚して妻がいた”ことをほのめかす重要な「パピルスに記された4世紀の文献」(写真)が18日のニューヨーク・タイムスのウエブサイトで報道された。

かねてからセオロジアンの間で、キリストに妻がいた可能性を指摘されていたことは確かであり、それが今回発見された資料で証明されるかどうかは不明であるとしても、従来のヴァチカンの主張「イエスは未婚」と云う論拠を揺るがしかねない事件に発展する可能性を秘めている。

ビジネスカード大に8行の黒いインクで古代エジプト語(コプト語)で書かれた、この小さな資料は拡大鏡で読まなければならない程小さい。

しかし、そこには“イエスは彼等に云った、我が妻。。。。。”、“彼女は私の弟子になることが出来る”と書かれていると18日、ローマの国際コプティック学会に於いてハーヴァード大学のカレン・キング教授によって発表された。

この「断片」の所有者には謎が多く、名前を公にしない約束でキング博士によって“コプティック”及び“パピルス”国際学会の少数のグループに限って発表された。

キング博士によるとこの断片についてはこれからさらに研究の余地があるとしても、自分の知識の範囲に於いて「贋作」とは思えないと述べている。

さらにキング博士は、これに就いて未だ多くの疑問があるにしても、かねてより噂されていた問題「イエスは既婚者だった」とか「マリー・マグダレンが妻であった」 とか「イエスには女性の弟子がいた」と云う古代から云われ続けていた疑問に再び火をつける事態に発展する可能性を秘めていると述べている。

何よりも重大なのはヴァティカン王聴の主張である、即ち、「聖職者はイエスのように未婚者で、女性は聖職者にそぐわない」との問題に正面から反論することになる。

キング博士は、この「断片」の発表に際して、これはイエス生存の時代の数百年後のものであるが、今日まで、どのキリスト教資料にも見当たらなかった「事件」に就いての言及を示すもので重要であり、2世紀の頃から伝説的に囁かれていた“イエスは妻帯者”と云う言い伝えに直接にかかわる重大な資料ともなり得ると述べている。

2010年キング博士はイーメールで始まった所有者との接触で、この断片は現在の所有者がドイツ人の収集家から1997年に購入したパピルスの束から発見したものである事を発表した。(以上、New York times,914日記事)

                                                                                                             

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使い捨て産業の先駆者、ジレット

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安全かみそり刃の発売で一世を風靡した、キング・カンプ・ジレット(King Camp Gillette,1855-1932)の先祖は最も初期のイギリスからの移民家族であった。

かなり裕福であったと思われるジレット家に災難が降りかかった。

それは、1871年に起こったシカゴの大火である。そこでジレット一家は一旦全財産を失った。

未だ16歳の少年ジレットはコルクつきボトルを製造販売する会社のセールスマンとして働いていた。

ある時、瓶が空になるとコルクが捨てられる様子を見ていて、「使い捨て」商法が利益を生むことに着目、使い捨ての「かみそり刃」の生産を思いついたのでは想像される。

当時では、かみそりは、刃が切れなくなる度に研がなければならなかったが、彼は使い捨ての、薄い型抜きしたスティール製の刃をハンドルで挟んで使えるかみそりを考え出した。

ジレット以前に類似のかみそりは存在していたが、ジレットはそれの改良に取りかかり(1870年頃)長い時間をかけて実用化に成功した。

1901年9月、American Safety Razor Company として発足、それは、翌1902年に”Gillette Safety Razor Company”と改名された。

1903年に生産を開始、最初からジレット自身の肖像をトレードマークに使って売り出したところ、初年度では168枚の売り上げだったが、翌年には、123,648枚の売り上げ実績をあげた。

その後、行程のオートメーション化と、技術の向上、大々的な広告の結果、年々実績を積み上げて、1915年に至って、自社の工場を欧州4カ国、カナダに拡張45万のユニットと7000万枚の売り上げを達成した。

1918年アメリカが第一次世界大戦に参戦した際、ジレット製のかみそり刃は政府の費用で戦場の兵士たちに送り届けられた。

ジレットは1894年に著作「人間の漂流」(The Human Drift)を出版、その中で独特の理想、即ち、すべての企業は民衆(パブリック)所有のものとなり人々は大都市に住まい、ナイアガラ瀑布の創出するパワーで生活する理想を発表した。

1910年に出版された“世界企業”(World Corporation)は、当時、産業改革分野の著作を多く発表して時代の寵児と云われたアプトン・シンクレアー(Upton Sinclair,1878-1968) との共著として出版された。

ジレット氏は100万ドルを寄付することでルーズヴェルト大統領が“ウオールド・コーポレーション”の主宰となることを希望したが、ルーズヴェルト氏は(丁重)にその要請を辞退したと云われている。

裕福となり、世界的名声を得たジレットは1923年、ロス・アンゼルス郊外のパームスプリングスに超大豪邸を建て、移り住んだ。又、現在でも有名な豪華ホテル“Desert Inn”に常時入り浸りのような形で愛用していたと云われている。

1926年、ジレットは大金を投じてサンタ・モニカにスパニッシュ・コロニアル式のホールとともに一大牧場の経営に乗り出した。(この場所は彼の死後未亡人によって売りに出され、映画俳優のボブ・ホープが取得したと云われている。現在ではKing Gillette Ranchの名称で公開されている)

ところが、1929年に発生した世界大恐慌はジレットの人生に大打撃を与えた。彼は殆どの自社株と不動産の大半を売却したが、破産状態に落ち行ったと伝えられている。

193279日ジレットはロス・アンジェルスで他界した。享年68歳。

ジレット社は2005年、57000万ドル($57 billion)でプロクター&ギャンブル社(Procter & Gamble)に吸収合併され現在に至っている。

The man and his wonderful Shaving Deviceby Russell B, Adams, Jr. Boston, 1978,Little Brown & Co,,

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殺人飛行機「ヘル・ファイアー」の効果

アメリカが国際テロ組織アル・カイダの最高指揮者オサマ・ビン・ラディンを殺害に成功して以来、もっぱら無人機による攻撃で、アラビア半島のアル・カイダの指導者アンワル・アウラキ、ムスタファ・アブ・アルヤジト、アブヤヒヤ・アル・リビ等の重要犯罪人を「ヘルファイヤー」空対地ミサイルでもってピンポイントでかなり的確に殺害している。

「ヘルファイヤー」とは全長約15メートル、時速1600キロの高速で飛んでくる無人飛行機。

「MQー9リーパー」はヘルファイヤーを4基搭載して時速370キロ、航続距離1800キロの性能を持つと言われている」

ホワイトハウスの大統領執務室で、毎週火曜日の8時から「TERROR TUESDAY」の名のミーティングが開かれ、英米の諜報局の捜査に基き危険人物のリストが公開されてオバマ大統領を交えて標的となる人物の人選が討議されるらしい。

CIAから提出されている写真添付された書類にもとづき慎重な討議のあと、ワシントンから一万キロも離れたパキスタンの山岳地帯、イエメンの砂漠、ソマリアの街に潜むテロリスト達を個別に襲い、瞬間的に抹殺できるこのような新兵器を持つアメリカの技術は世界中の国にとっても脅威でない筈がない。

去る6月、隠れ家で殺された、アル・カイダのNo.2のアブヤヒヤ・アル・リビはパキスタン北西部の部族地域に潜伏中であった。

隠れ家の位置は事前に調べがついていて、その時ヘルファイヤーはリビの寝室だけに命中した。

このプロセスは殺害命令がワシントンからヴァージニア州のCIAに送信され、そこに備えつけられた特殊装置が標的となる人物の顔写真、直近の住所、周辺の様子を至近距離で撮影された画像で提供され攻撃開始となる。

まるでパソコンゲームのような話だが、これが現実に行われているプロセスなのである。

爆撃が成功しても、名の知れたテロリスト以外は情報を公開しないようにと云うのがオバマ大統領の指令だとのこと。

アメリカはブッシュ政権時代からパキスタン国内の戦闘に無人機を使い出したと云われ、数人の指名手配された人物殺害のために、これまで推定約2000人の一般市民が巻き添いになったと云う報告がある。

現実は標的となるテロリストの幹部を次々に殺しても、次々とそのれらの後継者が出現してくるので、アル・カイダ最高幹部が払底することはない。

現地では罪のない女性や子供の犠牲者の写真を公表してアメリカに対する憎しみが高まっていることは確かである。

911以来、アメリカ人達はアメリカを標的とするテロリスト撲滅を彼らの正義と認識して戦争を始めたが、未だ目的を果たすには程遠く、むしろ砂漠に水を注ぐ如く、効果なしの状態が続いていることに国民の苛立ちは日を重ねるに従って高まっている。

無人飛行機による遠隔地からの正確な攻撃技術を世界中に知らしめ、アメリカの防衛力を誇示するには効果を果たしたが、「テロリスト」撲滅には殆ど効果が無かったことも現実に証明された。

アメリカもそろそろこの悲劇的戦争に幕を下ろすことを考えざるを得ない時点にきていると思うが、悲しいかなアメリカにとっての「名誉ある撤退」は見つけられそうにない。

FACTA8月号を参照)

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天然ガス市場の将来

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我が国では原発を中止するか継続するかで喧々諤々、深刻な国のエネルギーの将来を左右するかのような大問題となっているが、海の向こうの      アメリカでは、既に2年以上前から「シェールガス革命」がまきおこって、同時に天然ガス生産量の増加が止まらない様相になっている。

今後は“持つものと持たざるもの”の論議は通用しない時代になっていることを我々は知るべきではないだろうか?

何故ならば、アメリカでは既にエネルギーに関して供給が需要を大幅に上回ってその価格は石油換算で1バレル(約160リットル)当たり10ドルと云う今世紀来最安値を記録するまでに暴落している。

米国では原則として自由貿易協定締結国間以外には天然ガスの輸出を認めていない為、急激な価格暴落は抑えられているとしている。

アメリカでの安いシェールガスを原料とする石油化学プラント建設ラッシュのあおりで正に関係産業の世界地図に激変が起こる前兆が見え始めたらしい。(月刊誌:選択8月号)

エチレン製造の米国と、ナフサからプロピレンやブタジェンの抽出に重きを置いていた日本との天然ガス事業だったが、ここへ来て、中東産油国に依存する日本は決定的打撃をこうむることがハッキリした事を認めざるを得ない。

何故なら、これまで百万BTU当り15ドルであったアメリカ産天然ガス価格が約七分の一の2ドルと劇的に下がったからである。

ダウ・ケミカル社は世界最大の年間150万トン生産規模エチレンプラントの建設を発表、これに続くようにエクソン・モービル、ローヤル・ダッチ・シェルとシェブロンらの大手がそれぞれプラント工場を建設する動きを見せている。

エチレンは軽量の為にコストに占める輸送費が大問題となっていたが、世界最大の消費国のアメリカ国内にプラントが出来上がれば今後は問題なくアメリカが価格競争で遥かに優位なポジションを得ることになる。

いくら中東で安いエチレンの買い付けに成功しても、そこには大きな消費市場が存在しないため、価格に於いてアメリカの敵ではなくなること必定。

さらに加えて、日本の大問題は、これまで中東に投下してきた天然ガスプラント建設費用が全く“どぶに捨てた”投資に終わると云う懸念である。

経済産業省幹部も“中東がエチレン生産能力を増加させても、中国、インドの需要増によって、エチレンの需給が均衡するシナリオはこれで崩壊した”と落胆を隠せない。(前出、選択)

日本では石油化学産業関係(例:プラスティック製造)は全体雇用数の一割にも達する重要産業部門なので、この産業分野の凋落は打撃甚大と云わなければならない。

最近起こりつつある家電産業や自動車産業等の業績不振に加えて、産業の根幹となるエネルギー事業の没落を目の前にして、この国の将来を心配しないではいられなくなった昨今である。

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フランス経済学者:ジャック・アタリのアジア観

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経済学者、思想家、オーケストラ指揮者等オールマイティー的存在のフランス人、ジャック・アタリ氏はアルジェリア出身のユダヤ系フランス人である。(Jacques Attali,b.1943)

初代欧州復興開発銀行総裁。ミッテランの側近、`81~`91まで大統領補佐官を務めた逸材の「アジア・太平洋の未来」題の寄稿文(毎日新聞)を見たので、以下にその抜粋を試みた。

アジア・太平洋地域は急速に台頭し、経済的に極めて重要な役割を担うようになっている。ところがどの国をとって見ても、アメリカを凌ぐようなスーパーパワーを保持する国は見あたらない。

まず、アジアは分断されている。経済的には技術大国の日本を韓国が追い、それに、国内に分裂危機をだかえる中国が続く。

ベトナムは発展が遅れ、インドネシアは混沌としている。

ロシアは極東で人口流出が進み、住民は中国人の割合が多くなっている。地政学的にも、アジアはバラバラで、軍事紛争の瀬戸際まで行くこともある。

経済的にも欧州のような共通市場を創出する状況からはほど遠い感がある。

アジア地域が発展するためには日本と中国の関係が良好になることが必要で、過去において独・仏間で永い間戦争があっったが、それが今日では両国がそれぞれの国内事情を乗り越えて歩み寄ったように、日・中もそのような関係を作り出す必要がある。

戦後、フランスではドイツの自動車を買わない運動も見られたが今ではそんなことは無くなった。

ソ連の解体でアメリカの「軍事産業複合体」は敵を必要としている。その主目標は中国。それには日本が中国と敵対関係にいなければならない。

アタリ氏によると今後、米国が中国とその他のアジア諸国をお互いに対立させることを望んでいるかの様な論調であることに驚きを隠せない。

まるでアメリカは戦争をし続けなければ國の繁栄が保てないと言いたげな書きっぷりである。

中国の安定と真の統一は望ましいことだが一部のエリート組織が今後の「民主主義」台頭を抑えきれるとは考えられない。

現状では中国は本当の意味での「軍事大国」からほど遠いし、これまでの中国の歴史を見て、中国全土を支配下に収めた皇帝はごく稀であったことを見てもこの国がこのまま平和で安定した状態であり続けることは無理との意見。

アタリ氏は欧州とアジアに跨る大国ロシアについて流石に異色の見解を披歴している。

彼によれば、中国がシベリアに進出したとしてもロシアはこれと言った対策を持たないし、現状を見ても、既にロシアの多くの都市はアムール川を挟んだ対岸の中国から大きな影響を受けている。

今や天然資源の豊富なカザフスタンも中国に傾斜しつつあるとの意見。

欧州は強いアジアを望んでいる、何故なら、アジアが欧州製品を購入し、彼らが発展すればする程アジアの給与水準が上がり、従って輸出競争力が弱くなることをアタリ氏は望んでいるかの様である。

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排他的経済水域面積と日本

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小国日本の「排他的経済水域」の延長が世界の超大国ロシアのそれよりも広いと言っても、誰も信用しないと筆者も思っていた。

ところが、グーグルの実情データー図録「世界の排他的経済水域面積ランキング」を見ると、アメリカ ;762万平方キロ、オーストラリアの;701万平方キロ、インドネシア ;541万平方キロ。ニュージーランド ;483万平方キロ、カナダ ;470万平方キロ、日本  447万平方キロ、旧ソ連 ;449万平方キロ、ブラジル;317万平方キロ、メキシコ ;285万平方キロの順番である。

日本第6位、旧ソ連邦が第七位と云うことで、驚いたのである。このデーターはアメリカ国務省の”Limit in the Seas-Theoretical Areal Alocations of Seabed Coastal States"(海洋産業研究資料)

なお、旧ソ連に就いては、その後独立したバルト三国、黒海、カスピ海に面している共和国の分が含まれている他、アメリカ国務省の解釈で、「北方四島」の周辺海域が含まれている。従って、現ロシアの管轄海域面積は旧ソ連の時代よりはるかに小さくなっていると思われる。

国の総面積で最大はロシア(16995800平方キロ)、2位、中国(9326410平方キロ)3位、カナダ(922970平方キロ)、その次がアメリカ(9158960平方キロ)。

因みに日本の領土面積は374744平方キロメートルである。日本には国境線はないが海岸線の延長距離は29761kmに及び、世界6番目でオーストラリアより長く、中国の約2倍もある。

海岸線の延長距離ではカナダがダントツ一位で202080km2位がノールウエーの83261km

ノールウエーとロシアの間でバレンツ海の大陸棚の境界を固定する合意文書に両国の代表が調印、旧ソ連時代から40年間の係争に終止符が打たれた。これは日本の国土の半分に相当する広さの海域をほぼ二分する境界の海域境界の設定で、ノールウエーの海岸線が一気に増えたことが判る。

ロシアは北極を巡る紛争については「北極圏の国々だけの交渉で解決させる」と云う強い主張を繰り返している。

その点、世界の最大の島と云われるグリーンランドを領有するデンマークの海岸線延長距離が7314km(世界の17位)の数字は解せないと思うのだが。

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翻訳語「美術」第二部

先日、このブログで明治時代の高級お役人「大鳥圭介」がウイーン万博後、英語の “fine art”を軽率に「美術」と翻訳したことを糾弾した。

少し理屈っぽくなって恐縮だが、筆者はそこで“museum””museum of fine arts”が英語でどのように使い分けられているかを考えて見た。

Oxford English Dictionaryによると”museum”は以下のように解説されている.

a building or an apartment dedicated to the pursuit of learning or the arts;; a study; a library-1760.

1760年の記述として、museumとは、「建物かアパートメントのことで学問の為、あるいは勉強室(研究室)或いは図書館として使用される建物」、1760年

“a building used for storing and exhibiting objects illustrative or of antiquities , natural history”

自然科学(動物、植物、鉱物等)を展示したり、古物(antiquity)や実物(実例)を貯蔵したり、展示する建物を指す。

日本では、「ミュージアム」についての解釈が「美術館」「博物館」となっていて、前者と後者の違いが曖昧である。

英語の[museum]は後者のことで、そこには「美術館」のイメージはない。

美術館は英語では“a museum of fine arts”,或いは”.a fine art museum”と表示されている。

例えば、「museum of fine arts, Boston」、ニューヨークのメトロポリタン(美術館),The Metropolitan Museum of Art”の場合とは違っている。

「メトロポリタン」の場合、厳密にいえば、「博物館」であり、実際、「メトロポリタン」ができた1866年頃の構想では、ヨーロッパ文明の物産展示、芸術品を豊富に展示するには、それらの実例に乏しかったがため、多くプラスター製の模造品(コピー)も並べられていた。

その後、ニューヨークではウエスト・サイドに“American Museum of natural History”1869年に設立された。これはれっきとした「自然博物館」である。

国語辞典(金田一京介監修)で「美術」をひくと“美を表現する芸術”と出ている。

グーグルのウイキペディアで「美術」の欄を参照すると、最初に、“この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認の為の文献や情報源を御存じの方はご提示下さい。出典を銘記し、記事の信頼性を高めるためにご協力下さい。”との前書きが目にとまった。

ここでは「美術」の語源として、“1873年(明治6年)、日本政府がウイーン万国博覧会へ参加するに当たり、出品分類についてドイツ語のkunstgewerbe およびbildende kunstの訳語として美術を採用したのが初出とされる。

或いは、西周(啓蒙家)が1872年(1878年節もあり)「美妙学説」で英語のファインアート(fine art)の訳語として採用した。-(哲学ノ一種ニ美妙学ト云アリ、是所謂美術(ハインアート)ト相通スル)「美術(西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、誌学等ヲ美術ト云フ)」

フランスでは1648年にフランス王立絵画彫刻アカデミーが、1669年に音楽アカデミー、1671年に建築アカデミーが誕生、1816年、これらを合体した「フランス芸術アケデミー」を”Academie des Beaux-Arts de L’institut de France”と呼んでいる事実があり、「Academie des Beaux –Arts=「美術学院」と翻訳しても間違いではないと思われる。

いずれにしても[Fine Art]=「美術」は本質を取り間違った稚拙な翻訳であることには間違いはない。

文化省の公式な見解を知りたいと思う次第である。



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日清戦争当時の男女別人口分布

Photo

昨年80歳で他界した美術評論家瀬木慎一氏の遺作、江戸・明治・大正・昭和、「美術番付集成」の中(106頁)で面白い記録が掲載されていたのでお目にかけることとしたい。(写真)

「皇国金満長者一覧」と銘打った番付で、初版(明治11年)を改訂して、それに全国府県別の人口一覧表を加えたものである。ここに揚げられた金満家の名前や財産金額は省いて、人口の欄のみの紹介を試みたい。

先ず、この表の特色として人口が男女別に示されていることに興味を引かれた。

また、驚いたことに府県別の人口が最も多かったのは東京府でなく、新潟県であったこと、2番目が兵庫県、3番目が愛知県で、東京府は4番目にランクされていることであった。それ以後は、5番広島県、6番千葉県、7番福岡県の次が大阪府で、8番目のランクである。

我々が小学校で学んだ全国4大都市には関係なく、その頃では未だ工業化が進んでいない頃で、都市に人口が集まっていなかったことが判然とした。

全国で唯一つ大阪府と愛知県で、女性の数が男性のそれを凌いでいた事実も興味深い。

   新潟県:男、883,565 女、881,043 ②兵庫県:男、798,180 女、

771,177

   愛知県:男、754,100 女,755,502 ④東京府:男、706,843 女、

702,916

⑤広島県:男、695,588 女、668,375 ⑥千葉県:男、644,377 女、

607,986

⑦福岡県 男、640,416 女、624,307 ⑧大阪府:男、615,877 女、

616,877

人口、100万人以上の県は、長崎県、熊本県、鹿児島県と続くが、不思議なのが京都府と神奈川県の人口である。

京都府:男、446,496 女、407,121、神奈川県:男、361,410 女、358,324と千年の都、京都と、貿易港横浜を持つ神奈川の人口の僅少さに驚く。

この著作印刷発行者 大阪東区高麗橋 西岡庄造の手になるものであり、明治維新以後、人口調査が可なり精密に行われていたことを知った次第である。

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山村でマグロの養殖

Photo 「好適環境水」とは、魚類の代謝に最低限必要な物質を含んだ水のことで、岡山理科大学の准教授、山本俊政氏のグループが僅かな濃度の電解質を真水に加えるだけで、魚にとって最低限必要な物質を含む液体を「好適環境水」と名ずけ、特許出願にまでこぎつけたもの。

岡山理科大学の研究室は海から35キロも離れているが、2005年には「カクレクマノミ」の大量繁殖に成功して一躍世間の脚光を浴びるまでになった。

ある日、一人の学生が”海水のプランクトンを真水で育てたい 。”と提案したことから「好適環境水」の試作実験が始まった。

一回目の実験ではプランクトンは育たなかったが、その原因が、容器の洗浄が不完全だったため、僅かな海水の成分が隅に付着して残っていたためであることが判った。

しかし、その失敗によって、プランクトンが超低濃度の水においても或る一定のミネラルが支配していれば、プランクトンは育ち、随って魚類が育つことが判明した。

人工海水メーカーは、如何に成分を増やし、競争相手との差別化に鎬を削るが、この実験で、そんなことが必要でないことがわかった。

反対に、今後は必要な成分は強化するが、不必要は成分は徹底して減らすこととし、今では、「究極の好適環境水」が完成したと言われる。

山本先生によると、この水で飼育した魚の方が海水養殖より短い期間で大きくなる、又、海での養殖では魚の病気や寄生虫に対応する抗生物質やワクチンが必要、しかし「好適環境水」を使用した養殖では、そのような危惧は一切無く、天然魚で問題となる水銀もホボ皆無、しかも維持費は人工海水に比較して60分の一とのこと。

従来の魚類養殖業には多くの問題があり、食べ残しエサによると環境汚染、プランクトンの異常発生による大量死滅、台風による被害等、自然環境下の養殖業の多くが採算割れで廃業に追い込まれるものが多い中、好適環境水で安全且つ経済的な養殖は近い将来「漁業革命」となる可能性を秘めていると言える。

山本先生;「私達は、場所を選ばない養殖を目指しています。好適環境水を使えば、どこでも魚を育てられるので、山村を漁村に出来、水の供給ができるところであれば、低コストプラント運営も可能「長野マグロ」や「奈良ヒラメ」も夢ではない」と意気軒高である。

今は限られた狭い水槽での実験段階だが、山本先生の究極の夢は、アメリカ西部の砂漠で広大な高級魚飼育場の実現らしい。(92日、NHK深夜便放送を聞いて、筆者)

米穀生産者(農村)に対する「減反」政策で農水省は無駄な奨励金を支払っているが、過疎の山村を高級魚の養殖場に貸し出して、職場を増やして国費の節減を考えて欲しいと考えるのだが。

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