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翻訳語「美術」第二部

先日、このブログで明治時代の高級お役人「大鳥圭介」がウイーン万博後、英語の “fine art”を軽率に「美術」と翻訳したことを糾弾した。

少し理屈っぽくなって恐縮だが、筆者はそこで“museum””museum of fine arts”が英語でどのように使い分けられているかを考えて見た。

Oxford English Dictionaryによると”museum”は以下のように解説されている.

a building or an apartment dedicated to the pursuit of learning or the arts;; a study; a library-1760.

1760年の記述として、museumとは、「建物かアパートメントのことで学問の為、あるいは勉強室(研究室)或いは図書館として使用される建物」、1760年

“a building used for storing and exhibiting objects illustrative or of antiquities , natural history”

自然科学(動物、植物、鉱物等)を展示したり、古物(antiquity)や実物(実例)を貯蔵したり、展示する建物を指す。

日本では、「ミュージアム」についての解釈が「美術館」「博物館」となっていて、前者と後者の違いが曖昧である。

英語の[museum]は後者のことで、そこには「美術館」のイメージはない。

美術館は英語では“a museum of fine arts”,或いは”.a fine art museum”と表示されている。

例えば、「museum of fine arts, Boston」、ニューヨークのメトロポリタン(美術館),The Metropolitan Museum of Art”の場合とは違っている。

「メトロポリタン」の場合、厳密にいえば、「博物館」であり、実際、「メトロポリタン」ができた1866年頃の構想では、ヨーロッパ文明の物産展示、芸術品を豊富に展示するには、それらの実例に乏しかったがため、多くプラスター製の模造品(コピー)も並べられていた。

その後、ニューヨークではウエスト・サイドに“American Museum of natural History”1869年に設立された。これはれっきとした「自然博物館」である。

国語辞典(金田一京介監修)で「美術」をひくと“美を表現する芸術”と出ている。

グーグルのウイキペディアで「美術」の欄を参照すると、最初に、“この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認の為の文献や情報源を御存じの方はご提示下さい。出典を銘記し、記事の信頼性を高めるためにご協力下さい。”との前書きが目にとまった。

ここでは「美術」の語源として、“1873年(明治6年)、日本政府がウイーン万国博覧会へ参加するに当たり、出品分類についてドイツ語のkunstgewerbe およびbildende kunstの訳語として美術を採用したのが初出とされる。

或いは、西周(啓蒙家)が1872年(1878年節もあり)「美妙学説」で英語のファインアート(fine art)の訳語として採用した。-(哲学ノ一種ニ美妙学ト云アリ、是所謂美術(ハインアート)ト相通スル)「美術(西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、誌学等ヲ美術ト云フ)」

フランスでは1648年にフランス王立絵画彫刻アカデミーが、1669年に音楽アカデミー、1671年に建築アカデミーが誕生、1816年、これらを合体した「フランス芸術アケデミー」を”Academie des Beaux-Arts de L’institut de France”と呼んでいる事実があり、「Academie des Beaux –Arts=「美術学院」と翻訳しても間違いではないと思われる。

いずれにしても[Fine Art]=「美術」は本質を取り間違った稚拙な翻訳であることには間違いはない。

文化省の公式な見解を知りたいと思う次第である。



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