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新発見による「近江八景」の由来

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宋末、元初の僧、牧谿法常の描いた瀟湘八景(しょうしょうはっけい)に倣って室町~江戸期に於いて各地の景勝地で「八景図」が描かれたが、その中で最も有名な画題が近江八景図である。

これまででは、この八景図を考案したのは室町時代後期の関白近衛政家として辞典では紹介されていたが、此の度、京大大学院の鍛冶宏介講師(非常勤)が江戸初期、1624年(寛永元年)に儒学者菅得庵が表した「八景和歌(琵琶湖)」(伊勢神宮蔵)の中で近江八景を詠んだ和歌8首を発見、得庵が”これら「近江八景」の題材の和歌は近衛信尹(このえのぶただ)公が膳所城からの八景を眺望して紙に写し、城主に賜れた”と記録していたことを突き止めた。(京都新聞924日)

これで「八景図」の始まりは室町期ではなく、江戸初期で、その創始者が

近衛信尹(このえのぶただ、1565~1614)である可能性が濃厚であることが実証されたこととして重要な発見であると思われる。

近江八景に詳しい大津市歴史博物館の横谷賢一郎学芸員(44)は「これで信尹選定が決定的となった。信尹は近江八景を和歌で詠んで公家たちに受け入れられ、江戸中期以降、絵画化によって日本を代表する名所と広まった」と喜んでいる。

近江八景として選ばれた場所が何故に湖北地方でなく膳所や三井寺周辺に偏って描かれていたことに疑問視されていたが、これでその謎も紐どかれたように思われる。

さて近衛信尹(三藐院)であるが、彼は太政大臣前久の子で、文禄、慶長の役に随行、渡海しようとして朝廷からとがめられ薩摩に流刑となったが島津義久の知遇を得て優遇されながら和歌、連歌、書に耽りながら禅画を始めたと思われる。

三藐院が誰に参禅したかは不明だが、彼の描いた画題には禅機画が多く見られ、素人の域を超える力量が見られ、書に至っては、本阿弥光悦、松花堂昭乗と並んで「寛永の三筆」として有名である。

近衛家は京都と熊本に縁が深く、岩倉家とも近縁で、御室には近衛家の「陽明文庫」がある。

近江八景画題:比良の薄意雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山秋月

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