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日本図書館の先駆け京都の「集書院」

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1864年(元治元年)は蛤御門の変で27千所帯が家を失った程京都の住民にとって悲惨な年となった。

その意気消沈もおさまらない間に東京遷都が行われ京都は再び意気消沈した。

人材を育てることが第一との思いから、京都では全国に先駆けて学校制度の確立に立ち上がった。

明治2年、64の小学校を開校。その次には外国の事情を知る必要から英、独、仏の語学校を次々に開校、明治3年には日本で最初の府立中学校が開校している。

その頃では書籍は貴重品であり、誰もが専用の教科書を持つというわけにはゆかず、教科書を学校に備えおき、生徒は使用料金を払って借りなければならなかった。

これの貸出しを請け負ったのが平楽寺書店(村上勘兵衛)と大黒屋(今井太郎右衛門)であった。

この2人は明治5年に「集書会社」を設立貸し出し業務を始めた。

明治5年京都の学校事情を視察した福沢諭吉の勧めもあり、京都府は図書館設立を思考し始めた。

そのことが明るみにでると、多くの市民からの寄付が相次いだ。

集書会社の村上、今井はそれぞれ百両を寄付、民間からも書籍や金銭の寄付が相次いだと云われている。

明治59月、東洞院三条角に洋風でモダンな「集書院」(写真)が完成、翌年から日本で始めての公立図書館が発足した。

京都府は慶応4年(1868年)、旧来の町組を改めて64校の小学校を発足させている。(番町小学校)

集書院(図書館)の構想は我が国独特で、民間の書籍商(古書店?)から始まった貸本業がその先駆けとなったことが判る。

その後、京都府は本格的図書館の必要を感じていたところに「京都学校の記」を著した福沢諭吉が故郷の中津藩への帰路の途中京都に立ち寄り、府知事の槙村正直と会議、「書籍従覧結社」の設立を話し合った。

ところが、集書会社はその後利用者が減り始め運営が困難になったため明治15年、一旦廃止された。

しかし最初の機運は明治1531年の京都府立図書館に繋がったのである。

京都府知事の槙村と福沢との親密な関係は後に京都慶應義塾(府庁内)、京都府中学校の企画へとつながり、教育の近代化に前進を見た。

わが国に近代図書館の考えを紹介したのは福沢諭吉。福沢の著書「西洋事情」に”西洋諸国の都市には文庫有り、ビブリオテーキと云う”と、そこでロンドンやパリの図書館のことを紹介している。

琵琶湖疎水、ちんちん電車、天狗タバコ等、明治期の京都は全国に先駆けて科学や文化の面で日本の近代化に大いに貢献したことが判る。

(資料;平成2137日、京都新聞土曜版)

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