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新東京駅駅舎とレンガについて

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今では都心からJRの高崎線まで1時間あまりで到達する。

高崎の少し手前に深谷と云う駅がある。駅舎を出て振り返るとその駅舎の立派さに驚きを覚えない人は少ないだろう。

それは赤レンガ造りの洋風建築、その場所柄にそぐわないと云う感じを持つ。

それが東京駅をそっくりモデルにして造られたことは誰にでも判る、田舎にしては立派すぎる駅に驚きを感じる。

深谷は明治の事業家渋沢栄一の生地である。駅舎の横に渋沢の銅像が立っているのも無理からぬこと。

周知の通り、渋沢は16銀行や77銀行など、俗称、ナンバー銀行の大半や、日本興業銀行、東京海上、東京電力、東京ガス、日本郵船、帝国ホテル等々、日本を代表する一流企業500社あまりの設立に関与したことでも知られている日本資本主義の祖と呼ばれるに相応しい人物である。

前大戦で戦火の犠牲になった東京駅舎が長い改装工事を終え本日、目出度くお披露目することとなった。

今回の工事で40万枚に及ぶ煉瓦作りに苦労したと云う。補修に要したレンガの枚数が40万枚なら、大正6年(1914年)新築当時に要した枚数はこれ以上であったことが判る。

渋沢は、1840年(天保11年)に武蔵の国榛澤郡血洗島村で当家の長男として生まれた。渋沢家は豪農で、当然のことながら周辺に広い土地や田畠があったと思われる。

日本政府は明治8年(1886年)首都を大々的に欧米式の近代都市に仕立て上げる構想で、ドイツ人建築家ウイルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデを招聘し、東京の近代化の意見を聞いたところ、彼らは都市整備には大量のレンガが必要との意見を具申したと云われている。

ここからは筆者の想像であるが、当時では、国産のレンガは無かったが、この製造技術はそんなに複雑なものではなかったと思われる。

何の理由かは知らないが、日本で最初のレンガ工場「日本煉瓦製造」は渋沢の生地の深谷でその産声を揚げた。

琵琶湖疎水の完成は明治23年であっったが、その頃では既にレンガは入手できたにかかわらず輸送の関係で、レンガ工場は工事現場の近くの天智天皇御陵近くで焼かれた。(御陵地下鉄駅横にレンガ工場の碑あり)

深谷は東京都心からキロ数でどのくらい離れているかは知らないが、何故東京近代化にとって最も必要なレンガを都心から遠く離れた深谷で造られたかに疑問を感じずにはいられない。

「日本煉瓦製造株式会社」で製造されたレンガは最初利根川を利用して運ばれていたが、輸送力の向上のため18957月、日本鉄道の深谷駅から工場まで、42キロの引き込み線が造られた。(1975年まで存在)

日本煉瓦製造のレンガを使用して出来上がったその当時の「近代建築」の名の一部を列挙すると;

東京駅、中央本線万世橋高架橋、司法省、日本銀行旧館、赤坂離宮、東京大学等である。

勿論、その他に数え切れないほどの煉瓦建建築物がある。

今朝(10月号1日)のテレビで東京駅補修に約40万枚のレンガを特注して要した材料費と運送費がいかほどのものであったかを知りたいものである。

当時の「日本煉瓦製造」が専売の形で東京近代化事業に供給したレンガの枚数と費用は恐らく天文学的な金額であったと想像する。

筆者の疑問は「政財界の癒着」は既に維新の頃から存在していたと云うことにある。

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