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日米はアジア全体の安全を考慮する義務を負っている!

Photo フィッリピン・スービック海軍基地全景

アメリカは明らかに沖縄に軍事基地を持ち、日米安保条約の範囲内で、それを如何に利用するかは、アメリカサイドの意思で決まることを当然と考え、住民との折衝は日本政府の義務と考えていることは明らかである。

政府は沖縄対策に3000億円規模で沖縄県と折衝していると聞く。

沖縄県民の考えを代弁しているのが仲井真弘多知事なのだが、今回アメリカ軍が新型ヘリ「オスプレイ」配備に真っ向から反対、島の安全の為に住民の意見を代弁して任務を忠実に実行している。

その反対にもかかわらず、アメリカ側の予定通りオスプレイは沖縄に配備された。

話は少し飛ぶが、1884年、その頃、フィリッピンの宗主国であったスペインがスービック湾にあるスービック地区を海軍基地としていたが、1898年の米西戦争でアメリカが占領、それ以後そこはアメリカの海軍基地となった。

第二次戦争中日本軍がそこを占領したが、1945年の戦争終結で再びアメリカ軍が取り戻した。

1947314日、アメリカとフリッピンは19919月迄スービック海軍基地の使用を規定した軍事基地協定を定めた。

この基地は1975年のベトナム戦争時には重要な出撃基地の一つとして沖縄とともに重要な役目を果たしたと言われている。

アメリカとフィリッピンのスービック基地の使用期限延長交渉中の19914月、ピナトウオ山が活動を始め、6月に大噴火をおこしたとき、その近くにあったアメリカのクラーク空軍基地が多大な損害を受け、兵員の大半とその家族の非難場所としてスービック海軍基地があてられた。

火山灰の堆積の重さで建物が倒壊し死者が出るなどの被害を受け、アメリカはクラーク空軍基地の放棄を決定した。

 その一方で、アメリカはスービック海軍基地については、さらに10年間の使用期限延長を申し出たが、フリッピン上院はその申し出でを拒否、同基地は19911126日にフィリッピンに返還された。

その後、この場所はフィリッピンのスービック経済特別区として使用され現在に至っていると思われる。

何故アメリカはクラーク空軍基地を放棄したのか不明であるが、筆者の考えるところ、アメリカが駐留軍全体を一時スービック海軍基地に避難させ、クラーク空軍基地に代わる第二の空軍基地をスービック海軍基地周辺に建設する予定で考えていたのではないか?

クラーク空軍基地を放棄することはアメリカの決定でなされた。しかしスービック海軍基地はそれからの交渉で、10年間の使用延長についてはアメリカは楽天的に考えていたところ、フィリッピン政府にあっさりと断られたことで、それ以来アメリカ駐留軍基地は、フィリッピンからなくなった。

それ以後(1991年)、アメリカの防衛線は沖縄一本に絞られたわけであり、日米安保条約を遂行するためのアメリカ軍の任務は悲壮な状態にあるのではと考える。

日本と中国の間で尖閣諸島問題がギクシャクしているが、フィリッピンも南シナ海で領有権問題で中国と対立していると聞く。

我が国を含め、東南アジア諸国すべてが中国の武力攻勢に思案投げ首の状態の中、経済大国の日本が、フィリッピンに働きかけ、経済的に援助を行ってでも、アメリ軍基地を再びフィリッピンの何処かに造成させて、沖縄住民の精神的負担を軽くするように働きかけを行っては如何かと思う次第である。

誰が考えても中国の軍事介入を防ぐことこそ、アジアの平和を保てる惟一の手立てと考える。

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