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アウンサン・スーチー氏の信用度

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1947年7月、アウンサン・スーチーが二歳の時、ミャンマー独立の中心人物、父のアウンサン将軍がイギリス軍によって暗殺されたと云う風説がある。

1960年、母、キンチーがインド大使となりインドに赴任するとき同伴(15才)し、デリー大学で2年間、その後。オックスフォード大で4年間政治、経済、哲学を学ぶ。ロンドン大のアジア・アフリカ研究所に就職、その間、一時京都大学にも在職したこともあった。

その後、マイケル・アリスを名乗るイギリス情報機関員と結婚する。

1988年のネ・ウイン独裁に対する蜂起の際に、母キンチの病気見舞いの名目で帰国、独立革命の英雄アウンサンの娘として、民主化の「希望の星」となり、90年の総選挙では彼女の率いるNLDが大勝した。

彼女は「民主化」を実現するスローガンのもと、夫のイギリス情報機関を利用、アメリカ国防長官のオルブライトと頻繁に情報交換を繰り返し、物資や資金援助を取りつけて「抵抗運動」を続行してきた。

2007年の反政府暴動の時、情勢は一変して、その後「軟禁状態」が続いていた。

アウンサン・スーチーは1947年に、当時はイギリスの殖民地であったビルマの独立のため運動を起こした中心人物の父、アウンサン将軍をイギリスに殺されながら、イギリスの情報機関員を名乗るマイケル・アリスなる人物と結婚した。

祖国の独立の為に尽力し、殉死した父親を持つ娘が、こともあろうに憎むべき敵国の情報機関員と結婚したのが事実としたならば、このことにミャンマーの国民は何と思うことだろう?

このような親不孝を平然と行い、父親を暗殺した、憎むべきイギリスで高等教育を受け、民主主義に目覚めたアウンサン・スーチーなる人物が、ノーベル平和賞を受賞し、今や世界にその名を知らない人はない程の有名人になった。

最近ではクリントン米国務長官がミャンマーを訪問、将来の国交再開を約束したり、中国に危険を感じた多くの日本企業が視察団を派遣して進出を模索していることが毎日の如く新聞紙面にのっている。

2008年11月18日の日本経済新聞、2009年6月18日の産経新聞は「中国“石油の道”」、ミャンマーの石油パイプライイン「中国が経営権」と地図入りで克明に仔細を説明している。(写真)

産経の情報では、“9月着工マラッカ海峡回避、(石油)調達に拍車か”として工事着工の予定まで報道している。

その大略はインド洋から陸揚げされた中東からの石油が、ミャンマー領土を斜めに縦断して中国の昆明に至る計画である。この計画でミャンマー軍事政権は既にこの経営権を中国に委ねる契約に同意したことになっている。

いくらアウンサン・スーチーの身柄が自由になって、総選挙に勝利しても、前政権が策定した他国との条約を破棄するようなことは不可能だと思うのだが。

この辺の事情をアウンサン・スーチー氏はアメリカや欧州連合国に説明して了承されているのだろうか?

この間、中国政府から何らの声明も、反論も聞かれないことで、尚更、アウンサン・スーチー氏が何処まで信用される人物なのかも謎と思えてならない。

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