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千手千眼観音の秀作例

Photo 葛井寺蔵木彫千手観音坐像(8世紀)

日本の仏教は西から渡ってきたものであるが、信仰の対象である「仏」の造形(絵画、彫刻)表現は日本独特のものがある。

京都の太秦(うずまさ)の広隆寺と同じように、西国三十三ヵ所、第五番の札所、大阪の藤井寺市にある葛井寺(ふじいてら)も百済の王族の後裔である葛井氏の興したところと云われている。

その源流は7世紀の中頃、神亀2年(725)聖武天皇の発願で始まり、寺の伝承では本尊は、神亀2年(725)行基開眼となっている。

葛井寺の本尊の千手観音坐像(写真)を見る限り純粋の日本人の仏師の手に依る秀作中の秀作と言われてはばからない立派な仏教彫刻と見受ける。

ナノテクの粋と言っても良い緻細な技術の結晶ともいうべき、この千手観音像は国宝に指定されている天平時代・8世紀、脱乾漆で像高131.3センチ。

寺では毎月の18日に本尊を開帳して多くの参拝者を引きよせている。

写真で見る限り人を圧するような姿を想像するが、高さは一メートル強の坐像である。

お顔には涼やかな中に凛とした気品が感じられ、周りを圧する崇高さも備えている誠に稀有な文化財の一つとして奨励できる秀作である。

日経新聞2010年3月14日の「美の美」欄に紹介され、筆者も最近、お寺を訪れ、再度確認したところであるが、「千手」とはゆかないまでも、数え切れないほどの御手を小さい場所に埋め込む技術はまさに驚異的で、これだけで日本の伝来工芸の粋を実見した感じがする。

これらの御手は桐材を芯に使用した木芯乾漆造りと聞き、さすがにここにも軽量化と高温多湿の国土をも考慮した苦心の程が判る。

藤井寺市は大阪から奈良に至る道筋にあり、奈良時代にはすでに多くの人々が奈良の都を目指して行き交う要衝に位置していたと思われる。

前述の日経新聞の記者の意見によると、「この本尊と東大寺の法華堂の日光・月光菩薩の顔や、梵天、帝釈天の肢体が似通っているとの指摘は古くからあったと云う。実は葛井氏からは、造東大寺司の要職にあった高級官僚や、奈良時代を代表する学僧の慶俊、慈訓らが出ており東大寺との関係も深かった」と指摘している。

いずれにしても、これは恐らく我が国最古の木彫千手観音と断定されるべき作例と見受ける。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

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