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「たかが瓦、されど瓦」

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仏教が朝鮮半島よりわが国に将来されて大規模な寺院が各所に建造されるが、先ず 百済から瓦博士が瓦の焼成技術を持ち込み、その後、蘇我氏によって飛鳥寺が建立されたと言われる。

崇峻天皇元年(588)がその時で、仏寺を中心に貴族階級の邸宅に国内の各所で瓦生産が始まった。

1936年(昭和7年)京都では市電西大路線敷設に伴い、組織的な最初の発掘調査が始まり、西大路今出川周辺で大量の瓦を含んだ地層が見つかった。

戦後周辺で集中的な発掘が始まり、1965年、瓦積み基壇と思われる場所、7475年に溝状遺構が発見され、77年には鳩室(いかるがむろ)と墨書された灰釉陶磁器が出土した。

1979年(昭和54年)になり「野寺」と墨書された土師器が出土したので、その周辺が太秦「広隆寺」と同じように古い歴史を持つ「北野廃寺」跡であったとする説が浮かび上がった。

京都市北野白梅町交差点周辺には山城地方最古と言われる「野寺」(常住寺)、嶺岡寺の名で平安時代初期の884年に焼失したとされる俗称「北野廃寺」のあった場所ではと思われるようになった。

現に、ここから飛鳥、奈良時代に焼成された蓮華模様の軒瓦(写真)が出土しているのでこの周辺に広隆寺と同じように古い仏教寺院が存在したという時代考証は正しいと思わざるを得ない。

本日(113日)の京都新聞市民版「遺物はささやく」では飛鳥時代にできた軒瓦は大略三つに分けられるとしている。

「花弁の先端に切込みを入れるタイプ」、「花弁の先端に珠文状の突起が見られるタイプ」、「花弁の中心に縦方向の稜線が入るタイプ」に判別されると云う。

この記事では、以下のような興味深い観察を行っている。

即ち、北野廃寺跡と思われる周辺で見つかった瓦のタイプは「飛鳥寺」の創建瓦と類似した「切込みを入れるタイプ」がその主流をなすのに対し、広隆寺(京都)、法隆寺(奈良)、四天王寺(大阪)等周辺では「花弁珠文のタイプ」が主流で、軒瓦の系譜が異なっていることを指摘、使われた軒瓦が「飛鳥寺」、北野廃寺」が蘇我氏系であるに対し、法隆寺、四天王寺、広隆寺等は上宮王家との関係が深い関係が想定されると指摘している。

昭和38年になり岩倉瓦窯(左京区岩倉幡枝)跡が見つかり、初期の頃の瓦窯が焼かれた場所が判明した。

たかが軒瓦の模様だが、地層の判定と並行して、瓦の形状、その模様から動かし難い時代考証の研究が可能になることを考えれば、これに勝る歴史研究の材料は少ないのではないかと思われる。

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