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明治維新関係の重要資料大量出現?

Img_0880 西郷隆盛書簡

広島県にある、或る、宗教団体の美術館「海の見える美術館」が購入して20年もの間、そのまま保管されていた岩倉具視書簡集が発見されて関係者の注目を集めている。

これは、2009年3月7日、日経新聞が「岩倉具視宛書簡大量発見」の見出しで発表されてから関係者の注目が集まっている。

明治政府の最高指導者の一人、岩倉具視(ⅰ825-83年)に宛でて、西郷や大久保、伊藤らの明治の元勳と呼ばれる有名人らが送った書簡や、見書、それに、岩倉自身の草稿類が美術館で購入され、その後20年程未整理で保存されていたものが、ようやく研究され出したとのこと。

三沢純熊本大準教授、藤井譲冶京大教授、佐々木克奈良大学教授らの立ち会いでその存在が判明したと云う。

是までに明治維新当時の文書類は出尽くしたと考えられていただけに、これら千数百点もの新資料の発見は見逃せない出来事である。

文芸春秋社発行の永井路子氏の「岩倉具視」が2008年3月に発行になって筆者も興味をもって通読したが、永井氏の著書の発刊後、丁度一年も経つかたたないかの時期に、具視にかかわる文書が出現したことになる。

その古文書の内容や如何に?

永井氏にしてもさぞかし興味をもってその結果を見守っていられることと思う次第である。

前述の三沢準教授らが昨年から3年計画で調査を開始し、その見聞によると全部で1700の書簡類の略8割が全くの新出史料とのこと、歴史家にとって、さぞや興味津々なのではないだろうか?

上記書簡類は具視が明治元年(1868)から同15年(1883)迄、東京で受理したと見られるが、その内、伊藤博文よりのもの68通、岩倉自身の草稿128通、三条実美のもの420通と報道されており、すでに知られている大久保利通の手紙の原本とされる129通が確認されたと云われている。

西郷隆盛(吉之助)と署名された書簡(写真)も今まで未知のもので、彼が戊辰戦争について報告したもの、政府に追加の貨幣鋳造を求めている文書も見受けられ、明治初年頃の貴重な文献が揃っていると思われる。

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稀代のギャング、グズマン

140pxel_chapoguzman1 Joaquin Guzuman

217日付、毎日の記事に米麻薬取締局(DEA)とシカゴ犯罪委員会が14日、メキシコの麻薬シンディケート、シナロア・カルテルの首謀者であるホアキン・グズマン(Joaquin Guzman Loera)58)、通称エルチャアポ(ちび)をシカゴの凶悪犯指名手配リストのトップに指定したと云うニュース。

この記事では、アメリカでの「凶悪犯」指定は1920年代 (禁酒法時代)に暗黒街の帝王と呼ばれたギャング、アル・カポネ(Alphonse Gabriel Capone,1899-1947)以来と云うことだそうで、むしろ、グズマンがカポネより遥かに凶暴で、大胆との噂らしい。

1月に1500から2000キロのコカインを供給、今や彼の犯罪は世界規模に拡大していると伝えられている。

グズマンの推定資産は10億ドル(約935億円)と云われ、米フォーブス誌の長者番付63位と伝えられている。

米政府は、11年に拘束の上殺害したウサマビン・ラディンの次の標的と見なし、逮捕に乗り出している。

アメリカ政府はグズマンの情報提供者に500万ドルの賞金を約束していると報じられている。メキシコ政府も彼の情報に対して3000万ペソをかけて彼の行方を追っている。

彼の出生は1954年とも、57年とも言われているがハッキリとは知られていない、貧しい家庭の出身で二人の妹がいる。子供の頃はオレンジを道で売って生活を立てていたらしい。   

グズマンは今では、メキシコの17から31州に基点を持ち、中国、タイや、インドからの供給源も増やしている。

1993年に一度、ガテマラで逮捕され、メキシコに護送され収監されたが、巧みに賄賂を使って20011月には出獄を果たした。

スーパー犯罪者グズマンは何時迄娑婆で豪勢な生活を楽しめるものか、“稀代のお尋ね者グズマンの生涯"の話はハリウッド映画にはウッテツケのサブジェクトだと思われる。

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ロシア・アメリカからの天然資源獲得のチャンスを生かせ

Tennnenn

安倍信三総裁がアメリカから帰国して「聖域なきTPP交渉」について、無条件での全ての産品に対する関税ゼロでなく、国家間で“センシティヴ”な項目については別個の交渉にゆだねることで大まかの日米間同意ができたことを報告した。

どの国でも、所謂「アキレス腱」をもっていることは当然で、アメリカで言えば、それは機械類、特に自動車であり、日本にとっては、それが農産物品と言うことである。

数カ月前に発足したばかりの自民党であるが、何が幸いしたのか、日本の貨幣価値が下がり、久しぶりに株価が上昇しだした。ドイツなどからは、日本が意図的に操作しているらしいと非難を始めているが、我々はその辺のこととなると判らないと云う以外にない。

しかし、所謂「円安」に転じ始めた途端に、輸入燃料が高騰を初めて、消費者を直撃、間もなく電気、ガス料金が値上げになりそうな気配である。

反面、世界情勢を見渡すと、ユーロ諸国が異常な不況に苦しむ状況にある中で、天然ガス、石油の輸出が国の生命を分ける程、それらに頼っていたロシアが、これまでの重要な顧客であったユーロ圏への輸出が、今後、激減する気配から日本にその分を期待する姿勢を見せはじめていることは我々にとって明るいニュースである。

数日前、森前首相とプーチン大統領が「北方四島」のことで、あたかも親密に、笑みを見せて話し合っている様子がテレビ画面にでていたが。ロシアにとっては、始めから「北方領土」の話は論外で、プーチンの目指すのは天然資源の輸出でしかないと思えてならない。

一方、アメリカであるが、「シェールガス」の増産で、国内消費量を上まわる量産を見込んでいるとの情報もある。これについて、今のところ戦略的に輸出制限をかけている節が見受けられる。

これまで、日本だけが天然ガス、原油を高く買わされているとの噂も聞かれるが、この機会を上手に捉えて、ロシア、アメリカの二大国を相手に熾烈な競争をさせるほどの商談を持ちかけ、一挙に将来に亘って、天然資源の恒常的獲得ルート実現に自民党は運命を賭してよいのでと考える。

いずれにしても日本の弱みは資源の不足である。このことを捉えて、アメリカは日本を究極にまで追い込んで、第二次大戦に誘い込んだことは周知の事実である。

「天然資源」を今後、政情不安定な遠方に求めることをせず、ユーラシア大陸の覇者ロシア、環太平洋圏の最も信頼できるアメリカと同等のスタンスに立って、輸入交渉を始めるチャンスは今をおいてないと筆者は考える。

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雪をエネルギーに変える一考察

毎年、冬になると北国では「雪害」、即ち、雪下ろしの為に何処も大変である。

しかしこの現象は今に始まったことではないが、何の目新しい対策もなく各地方都市」では特別の予算を組んで対策に苦労している。

言う迄もなく、雨は流れてしまうが、雪は気温が高くならなければ地表に残る。

これを天然のエネルギーとして考えれば如何なものかと考える。

雪を保存するには昔から「氷室」と言う設備が存在する。現代では電気を用いて人工で氷を作ることが出来るが、19世紀以前では世界各地で氷室の利用は盛んであったと聞いている。

言う迄もなく「雪」自体は原価ゼロと考えて良い、問題は輸送費と保管存料である。

ほっておけば、やがて春になり、夏になり、高地から溶けて流れて海に消えてゆく。

最近では温泉の湯を循環させてホット・ハウス(ビニール・ハウス)で植物生産が考えられているが、氷室はその反対で、出来た農産物を冷温で保存して、タイミングよく市場にだして年間を通じての物流出来る産業に活用されうる設備となる。

氷室内の湿度は平均摂氏90度、温度調整を考えれば電力費不要の大型冷蔵庫となる。

幹線道路に面した段々畑のようなところの斜面、或いはスキー場のような傾斜地を利用、地面に野球場程の面積の土地を掘り下げて外壁をコンクリートで固めて補強、冷温保存に適した食物を入れ、オートメーションで材料を出し入れ、全国各地にトラック輸送を考えれば、雪国の雪対策の一助として役立つと考える。

或いは、堆積した雪を貨物輸送で雪保存倉庫に溜め置き冷蔵庫として利用することも不可能でないと思うのだが如何だろう?

溜めた雪から溶け出す水を特殊フィルターを通して「自然水」として商品化することも不可能ではなく、天からの授かりものを利用して生活の糧にできれば言うことはない。

埼玉県の秩父山地に、栃木県日光市にある氷室のことが、何時だったか週刊誌に紹介されていた記憶があるが、一度、調査して、それらの地を訪れて見学したいと思っている。

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「モナ・リザ」は永遠の謎

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レオナルド・ダヴィンチの残した有名な肖像画、俗称「モナリサ」のモデルとなった女性の名前については、古くからイタリアでは”ラ・ジオコンダ(La Gioconda)と 呼ばれていた。

しかし、16世紀のイタリアの画家、歴史家のジョルジオ・ヴァサリ(Giorgio Vasari)1550年にその著書、イタリア画家列伝で、その絵をデル・ジオコンド(Del Giocondo)と呼んでいたことは判っていたが、その記述が画家の死後、既に31年も経過していたことから確証を得られないまま、これまで学者の論争の的になっていた。

“「モナ・リザ」のモデル判明”と云う、記事を昨年の朝日新聞で見た。

それは、ハイデルグ大学の研究で2005年の時点で、そのモデルの女性の名前がリザ・デル・ジオコンド(Lisa del Giocondo)と判明と発表した。

ハイデルベルク大学付属図書館にて所蔵されるキケロ(Cicero)の図書「縁者友人宛書簡集」(1577年)の中に、この本の所有者であった、アゴスティーノ・ヴェスプッチ(Agostino Vespucci)による書き込みがみつかり、1503年10月の項に、レオナルドが・デル・ジオコンドの「肖像」と、聖アンナ像制作中と言う記述があった。

ヴァサリの云う「モナ・リザ」は当時のフローレンスの富豪商人フランチェスコ・デル・ジオコンドの2人目の妻リザ・ゲルディーニの肖像であることが、これで、その製作時期とともに疑問の余地なく判明した。

伝えられる処によると、ダヴィンチは実際、この絵に特別の愛着を持ち続けて、常に身辺から離さなかったと聞いている。

1503年に、ミランからフローレンスに戻って、3年以上の歳月を費やして仕上げた絵を、注文主のジェオコンダ家に納めないで所持していたことも不思議である。

これと同じように不可解なのは、この世界的に有名になった絵のモデルが誰であろうと、レオナルドが死ぬまで手放さないと言ってながら、1516年にフランス王、フランシス1世の招きで城を訪れ、簡単にそれを手放したと云われていることである。

現実「モナ・リザ」がルーブルの所蔵になっている理由は、その時からのことであることは事実である。

しかし、歴史家はその辺のこととなると口をつぐんで何も言わないのは何故かを知りたいと思っている

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年号入りの邸宅

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ヒストリック・ハウス(Historic House)と呼ばれる家屋はアメリカには数々あると言えども、壁に年号の印のがある邸宅は世界ひろしと言えどもあまりお目にかかれないのではないだろうか?

ここに紹介するブリック・ハウスはスコットランド風のデザインをあしらって、真ん中に1754年と刻まれている珍しい18世紀の邸宅として保存されている。(写真)これはそのスタイルから見て、典型的なクエーカー教関係の家であることが判る。

これを建てたのは、ジョン・ディッキンソン(John Dickinson,1732-1808)、彼は政治家で、フィラデルフィアーで法律を学び、ロンドンに留学、帰国後、弁護士としてデラウエアー植民地議会議員となり、印紙税に反対を唱えて独立運動を指揮、独立宣言起草者の一員としてアメリカ・フォウンディング、ファーザー(Founding Fathers)の一人に数えられている人物である。

この邸宅は、ジョン&マリー・ヂッキンソン・ハウス(John & Mary Dickinsons House)

と呼ばれているもので、ニュージャーシー州、セーラム・カウンティーに今も残っている。

詳細な説明は省略するが、我が国のように木造でなく、レンガや石造の建物は驚くほど永く実際に使われ、保存できることが羨ましい。

参考;The Founding of American Civilization,(The middle Colonies,) by Wertenbaker,1938,pp.239 研究社発行、「英米史辞典」,p198

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毛沢東の亡霊に怯える日本

チャイナリスクの回避が叫ばれている。

アメリカのオバマ政権は一昨年より目ざとくこれに注目、毎年二桁の人件費増が続いている中国での製造業の将来を見越して自国産業の呼び戻し(リ・ショアリング)の号令をかけたことは、既にこのブログで紹介した通りである。

しかし、日本では未だ公に政府がこの問題に取り掛かる姿勢を見せていないことは、何かに怯えているのではと思わざるを得ない。

そのこととは別に、「三つの矢」のスローガンを掲げて、アベノミックスと称して、国内の斜陽産業(シャープ、及びルネサス)の救済のため、莫大な資金を投じようとしている。

昨年からのJAL救済が如何に人を喰ったような手法で国民の税金を無駄にしたか、また今回の、目先のつまらない国のメンツの為、将来性に乏しい会社を国有化しようとしているのは何故なのだろう。

中国経済の崩壊が進む中、欧米の投資資金は最近になり、中国に向いていた投資比率を他のアジア諸国へシュフトしていると云われる中、お人よしの日本だけが対中投資を活発化して中国を支えているように感じる。

今回の反日テロで「日本人や日本企業に対する放火・暴動・略奪の限りを尽くしたしっぺ返し」で日本を追い出しにかかった中国に何の未練をもつのか不思議でならない。「中国で商売したくても、成立した商談ですら破棄されてしまうような不遜な態度にはどんな企業も我慢がならないだろう。

イオンなどの大企業でも中国から他のアジア諸国へのシフトを鮮明にしており、「今、中国に進出するのはただのバカ」と思わざるを得ない。

進出審査にもワイロを要求するようなモラル・ゼロの国家に付き合う意味がどこにあるのだろう?

最近しばしば発生している極端な空気汚染や水質汚染で生命の危険にさらされている上、まともに公平な商談すらできない国家の体裁も整っていない共産国家、中国に、これ以上の深入りは意味がないのではと感じる。この国は市場が大きいから儲かると考えるのは危険過ぎる。

殺されたくないのなら、中国は避けるべきと、とっくに愛想をつかしたアメリカのスタンスは間違っていない。

このままだと、未だに中国に留まって足が抜けないでいる日本企業を「人質」として、日本に対して高飛車な外交を展開してくることは火を見るより明らかだと筆者には映る。

中国から撤退できないで困っている日本企業を速やかに救出と考えるのだが、如何なものか?

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エブラハム・リンカーンとヴィニー・リーム

84pxvinnie_ream3 Vinnie Ream

エブラハム・リンカーン、米国第16代大統領は,アメリカ中興の祖と称えられ、彼の非業の最期の記憶とともにアメリカ全国民の記憶から忘れ去られない人物である。

これは我が国では、あまり広くは知られていない話であるが、リンカーンはある日、突然、見知らぬ少女から、“あなたの姿を彫刻にしたいので、モデルになって欲しい”と云う願いに快く応じ、見知らぬ、勇気ある17歳の少女を毎日、15分間に限ってホワイトハウスに招いて彼女のモデルになった話は、アメリカでは有名である。

その少女の名はヴェニー・リーム(正確には,Lavinia Ellen Ream,俗名、Vinnie,1847-1914)の父親、ロバート・リームはウィスコンシン属州の測量技師をしていた。彼女の兄、ロバートは南軍の兵士であった。

ヴィニー・リームは、ミズーリ州のコロンビア・カレッジ卒業後、1861年、家族と共にワシントン・DCに移り住み、南北戦争が始まるとともに、戦争犠牲者の残した手紙類の、当時唯一の女性整理係として働いていた。

1864年になり、以上、述べたいきさつで、リンカーンはヴィニー・リームの作品のモデルとして、5カ月の間、毎朝、ホワイトハウスに彼女を招き入れた。

計らずも、ヴィニーの仕事はリンカーンが暗殺された、1865年4月14日まで続いた!

このことによって、ヴィニーはリンカーンの死の1年後、国会の決議でリンカーンの長身大の肖像をキャピタルの中に造る注文を受注することになった。これはヴィニー23歳の出来ごとである。

このことは生前、リンカーンは大統領の身分が、国家にとって如何に重要であるかを意識していなかったとも考えられ、彼が大統領として、アメリカ史上,最初の犠牲者となったことも、このようなリンカーンのあけっ広げな性格のなせる技とも考えられる。

その後、ヴィニー・リームは世界中から注目される彫刻家となった

彼女はその後、ヨーロッパに旅立ち、美術を修学して、一時、ローマに住んだこともあった。

彼女のヨーロッパ旅行中には、音楽家、フランツ・リストとの親交もあり、リストの肖像も制作している。

帰国後、彼女はワシントン市、235ペンシルヴァニア・アヴェニューにスタディオを設け、当時の有名人、ジョージ・アームストロング・カスター将軍、南軍司令官:ローバート・リー将軍、ウイリアム・テクムッシュ・シャーマン将軍らの肖像も制作している。

1878年、(30歳)ヴィニーはアメリカ陸軍の技師、リチャード・ホクシー(Richard Hoxie)と結婚している。

彼女の生まれながらの性格上、社会からねたまれることもしばしばで、特に、音楽家:リストや、シャーマン将軍とのあらぬ噂等も世間を騒がしたと伝えられている。

参考資料:

Overlooked by History,Lincoln’s teenage Sculptor,American History,

Aug.2007/pp.74

関係文献:

Vinnie Ream, An American Sculptor, by Edward Cooper,2004

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「ボーイング787」問題

Photo ボーイング787

アメリカが世界に誇るボーイング航空機製造会社の新鋭旅客機「ボーイング787」は当初から電気飛行機と呼ばれるごとく、電気の塊で、それを敢て宣伝材料の謳い文句として考えられてきたが、設計に手間どり、2007年に予定されていた、テスト・フライトが、2009年にまで引き延ばされ、ずれ込んでいた問題の多い機種であった。

この機種には、日本企業群がかなりの部分で携わっている関係から、期待も多く、全日空やJALが早くから発注、完成が期待されていた。

漸く完成機が配備され飛行が始まった。ところが再度に亘るトラブルを起こした結果、米連邦航空局は飛行中止を指示、トラブルの主な原因が日本製のバッテリーにあるとして、製造元のGSユアサに急遽立ち入り調査にやってきて、そのまま工場所在地の京都に居座って事故究明に賢明になっていると聞く。

GS ユアサは、フランスの軍需メーカー「タレス」の注文でボーイング社に製品を納入した、謂わば下請け会社である。ならば、ユアサの製品は京都にはなく、調査の対象は「タレス」社でないのだろうか?

「タレス」はボーイング社からの注文を受けて、ボーイング社が望んでいるB787のシステム全体を考慮して、GSユアサの製品がこれに最適と考え、受注に応じたことは論議の余地はないと考える。

ユアサ側で航空機向けの売上高は僅か数億円とのことで、こんな些細な事情で自社の名前が世界的に報道されることを快く思っていないことは明らかである。

ボーイング社は未だに、B787機のトラブルの原因が、バッテリーにあるのか、システム全体の設計ミスによるものか、がはっきりするまで飛行出来ない為に被害を受けるのは、これを発注した飛行機運用会社である。

この状態が長引けば大きな訴訟問題に発展するにとどまらず、アメリカの主幹産業にヒビが入り重大な国際問題に至るのではと危惧する。

少なくとも、受注を受け、顧客の仕様に従って生産、検査に通ったGSユアサ製品に関しては、京都ではなく、ボーイング社のある、アメリカ、シアトルの倉庫にて納品済みバッテリー検査すればことが足りるのではと筆者は考える。

少なくとも、ボーイング社」と{タレス社」は、機種787型のトータル設計を誤った事実を、下請けの子会社に”なすりつける”ような卑劣なことをせず、潔く自分たちの「非」を認めるべきである。

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泉園子と「泉屋クッキーズ」

京都では久しく見ることがなかった「泉屋のクッキーズ」を友達から頂いて、その会社の歴史を何とはなしに調べてみる気になり、グーグルで検索、出てきた事実に少々驚いたのでブログで紹介したい。

終戦後、未だあまり本格的な洋菓子が見れれなかった頃「泉屋のクッキーズ」は新鮮味のあるオシャレな味であった。

泉屋が泉家から由来する名前であることは知っていたが、その創始者の名前までは知るところではなかったが、グーグルで調べて、泉園子がその人であることが判った。

泉園子、明治25年(1892)京都生まれ、平安女学院卒業である。平安女学院は1875年大阪居留地6番にあった「エディーの学校」が前身で、校名をはじめ、照暗女学校(St.Agnes School)と云い,寄宿制の女子教育機関であったらしい。

園子は、明治261月、四条教会でGordon M, Laffayetteから洗礼を受けたクリスチャンであった。四条教会は山本覚馬が設立に尽力した、京都では由緒のある教会である。(山本覚馬は新島八重の実の兄で、京都において同志社の創立にあたって新島襄を助けた人物である。)

園子は、泉伊助と結婚後、聖公会に転じ、明治43年(1910Foss H, Jamesより「堅信」を受領し、聖公会の正規の教会員と認知されるほどの熱心な信じであった。

園子は二男、泉英男が病弱であったため、転地療養を兼ね、一時、和歌山に移り住んだが、そこで知り合いになったアメリカ人の宣教師から「子供のオヤツは、おかーさんが作るもの」との啓示をうけ、それで心を打たれて、早速、その宣教師の指導で菓子作りを始めたのが、泉屋クッキーズの始まりとなった。(注;「京のおんな人脈」(200)、京都新聞)

大正12年(1923)、京都に移り住み、京都大学教授、新村出博士や、知人の勧めなどもあって、泉屋を開業した。

昭和11年(1936)、夫、伊助が死去、園子は迷わず、稼業を子供に譲り、自分はその後。身体障害者や脳性まひの子供の為に役立つため、社会奉仕事業に専念する決心をした。夫の死後、園子は同じ事業を起こすならば、東京だと思い、早速に泉屋東京店を開設した。その後、約10年で敗戦となり、原料不足に苦心しながらも「子供達への愛情」を優先して、衛星と経済を考えながら、均一の商品を手ずくりで販売するポリシーを守り続けた。

戦後は、東京に移り住み、身体障害者団体に奉仕し、クッキーの無料提供、身体障害者用の慾情を作る基金集め、日本キリスト教婦人矯風会を助けて、昭和41年(1966)、財団法人「脳性麻痺児を守る会」理事長、世界連邦建設同盟副会長、国連東京婦人会副会長など歴任。

昭和48年(1973)、園子は韓国へ桜苗木贈呈のため旅行中、急逝した。享年81歳。

波乱に満ちた人生であったが、日本女性の地位向上のため、子供教育を重視、また、キリスト教布教に充実した女の人生を意義深く貫いた女性として永く記憶にとどめたい人物。

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東北地方の将来像を示せ!

Photo ロンドン

東日本大震災(2011311)からまもなく2年が過ぎようとしている。

毎日新聞、2011412日の「余録」欄に、17世紀に起こったロンドンの大火の際、当時の天文学者、建築家のレンがロンドン市の復興に貢献、現在の近代都市ロンドンが甦ったと書いている。(クリストファー・レン、16321723

166692日に、ロンドンに火災がおき、6日間も燃え続けた。その間、教会87、家屋13000程が燃え尽き、商業地区(シティー)の殆どが消滅と言われている。

その時、綿密な復興計画が検討され、先ず、その後は、木造建築物は禁止とされると同時に、広い道路と水道網、危険で不潔であったロンドンを近代都市に一変させたと言われている。

192391日の関東大震災の折、アメリカ歴史家ビアードが後藤新平に贈ったとされる「進言」について、「余録欄」は、「貴下が計画を実行すれば、日本国民は先見と不撓の勇気故に貴下を記憶するだろう云々」と述べ、後藤に「雄大な計画」を貫くように鼓舞したが、現実、結果は当時の議会の反対で大幅に縮小されてしまったことは誠に残念である。

今回も震災から2年を過ぎても、未だに何万人という人々が仮住まいの状態にあることは残念だが、ここで、ハッキリと我々が考えるべきことは、「復旧」か、「復興」かである。

17世紀に、レンが考えたのは「復興計画」であった。今回は東北の地が原発から出たセシュームに汚染されてしまったと云う特殊な事情があったが、この地方をそのままの復旧でなく、将来に亘って「21世紀らしい」復興につなげてほしいものだと考える。

民主党から自民党に政権が移行したが、この際、政治に望みたいことは、平成の後藤新平となるべき人材を見出して、今度こそは、未来に悔いを残さない、確固たる「広大なビィジョン」のもと、復旧ではなく、将来の東北の更なる発展に繋がる大復興を目指して、慎重な計画で「事」に臨むように政治に希望したい。

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アメリカ最初のオイル・ラッシュ

Img_0820 石油の噴出現場(1896年),

アメリカでは奇跡的な発見がしばしば見られたが、その最も有名なのが、西部カリフォルニアでの金鉱の発見が1848年に起こったことだが、その丁度、10年後の1858年、今度は、東部ペンシルヴァニア州、ティッツヴィル(Titusville,Pa)で石油の発見があり、今度は東部で一大ブームとなった。

太古の昔から地面に染み出てくる揮発性の黒い液体が発火性であることは知られていた。

19世紀になりペンシルヴァニアとニューヨーク両州の周辺で、地表に染み出て来る黒い油を多くの当時の化学者たちが、これを抽出し、ケロシン油として鯨油やローソク等にとって代わる「明かり」の原料材料が出現した。

しかし、その段階では地表に現れる油をすくい取り,使用する方法でしかなかった。

サムエル・マーティン・キアー(Samuel Martin Kier)が最初に原油を精製して、ランプ用油(ケロシン)を作る工場をピッツバーグにおいて始めた。

ペンシルヴァニア・ロック・オイル会社に働いていた、元機関士のエドウイン・ローレンス・ドレーク(Edwin L.Drake,1819~1880)が機関車の蒸気エンジンを利用を思いつき、地面を掘削する機械に改良したことにより、地表に堅固なプラットフォームを作り、上屋を建てて、3メートルのドリルをつなぎ合わせて直角に掘り下げる掘削法を考え出した。

最初は一日当たり1メートル程度しか掘れず、仕事が遅々として進まなかったが、ドリルが地下、20メートル以上に達した(1858年、8月21日)、それが岩層を貫き油が地表に噴出した。

期待していた以上の大量の油の出現に対し、それをどのようにして収集して容器に蓄えることは当初から考慮されていなかった為、最初ではバス・タブを使ったらしいが、余りにも大量に噴き出す油の容器としてワイン樽(バレル)が最も手っ取り早いものとして使われだした。

湧きだす石油を抽出し、それを無駄なく収容するために、鉄パイプの中にドリルを入れて掘削することで無駄なく石油の収納が可能になった。因みにこの方法は現在でも採用されている。

この時から、抽出された石油の入れ物にワイン酒の木製の樽(バレル=barrel)が使われ、その容量(42ガロン=約158.9リットル)が1バレルと呼ばれることとなった。

これを契機として、近辺の通称“オイル・クリーク”(Oil Creek)に大小の採掘用のヤグラが林立することとなった。

ドレイクの油井は一日当たり、平均25バレルを生産したと云われているが、1872年頃になると、周辺を合わせた収穫量は略日量15万9千バレルに達したと記録されている。

1848年の金鉱発見時には“エルドラド”(Eldorado)と呼ばれたが、1858年の石油ブームでは、これをペンシルヴァニアの“オイルドラド”(Oildorado)と呼ばれた。

この石油ブームで多くの百万長者が生まれることとなったが、ドレークは自分が考案した採掘法に関する特許申請をしなかった為、一攫千金のチャンスを失ったばかりか、その後、相場に手を染め、不幸な晩年を送る運命をたどった。

彼は1880年11月9日、61歳でこの世を去った。

1853年(嘉永6年)、アメリカ東インド艦隊、ペリー提督が江戸湾沖に来航した目的は「捕鯨」であった。その後、5年後にアメリカにオイルドラドが始まり「鯨油」と「ローソク」の時代が終焉を迎えることになった。

参考書:The great oildorado by Hildegarde Dolson,ランドム・ハウス出版、1959年

    American History, “Oil Rashu”Oct.2012,pp.34

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Day of Infamy

The_day_of_infamy 9.11事件、ニューヨーク・タムズ誌のページ

ここに掲げた写真は、2001911日イスラム原理主義者がアメリカ民間航空機2機をハイジャックしてニューヨーク市のワールド・トレード・センターに体当たりを行った時の生々しい写真を掲載、報道したタイム誌の二枚ぬき頁を複写したものである。

この所謂「9.11事件」を記録したタイム社の使ったキャッチ・フレーズがここに見られるが、これは正に70年前の194112月、日本海軍が突如としてアメリカの太平洋上の要衝の真珠湾を攻撃して、アメリカ太平洋艦隊に大きな損害をあたえ、加えて、4000人を超える死傷者を出した”Pearl Harbor Attack”の日に当時のアメリカ大統領、エレノア・ルーズヴェルトが発した表現とまったく同じであることに気が付いた。

今日では、「真珠湾攻撃」はアメリカにとっては奇襲でも何でもなかったことがハッキリとしているが、大統領は敢えて“屈辱の日”(Day of Infamy)と云う表現をした。

日本海軍がハワイを攻撃することがハッキリと判っており、それまでの日本海軍の太平洋上の行動が逐一ワシントンには伝えられていたに関わらず、それを隠して、当時のハワイ方面司令長官キンメル提督に一切知らさなかったことは何と恐ろしいことだと筆者には感じられる。

キンメル提督は日本の攻撃機が上空に飛来して爆撃を開始するまで知らなかったことを、司令官の「怠慢」として更迭され降格の罪に問われたことは事実である。

Remember Pearl Harbor”(真珠湾を忘れるな!)を叫んでアメリカ中が奮起して、対日戦争が始まった。このやり方がアメリカが戦争を起こす際の常套的手段であることは、アラモやキューバのハヴァナでも証明済である。

しかし、9.11事件に、ニューヨーク・タイムス誌が同じフレーズを敢えて使ったことは、一体何を云わんとしているのだろうと筆者が不審に感じたので、このブログで取り上げ、識者の注意を喚起したいと思った次第である。

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母親が子を思う心が中国を変える?

最近、中国本土から香港に外国産の粉ミルクを求めて押し寄せる母親が増え、香港市民が粉ミルクを買えなくなる事態が起きている。

これは国産製品の安全を国民が疑い出した証左であり、何事にも偽りの宣伝を続けてきた中国共産党には最も強烈なカウンター・パンチになるような捨て置き難い現象だと思われる。

以前に、毒入り餃子問題で日中間にやりとりがあり、そのあたりから中国食品の安全性に疑問が持たれ始めた。

今回の外国産の粉ミルクの中国人による買い占めは、マカオやオーストラリアでも起こっており、香港政府はこれの転売目的で本土に商品を持ちかえる「運び屋」への規制の強化に乗り出したと云われている。

この事実はアジアだけにとどまらず、英国ほかヨーロッパの各地で起こっており、中国人観光客の立ち寄る世界中の都市で発生していることを各国メディアが取り上げ、報道していることで”Made in China”の劣悪さを国民が自覚している事実を示したことで、中国政府としても黙っていられない状況に発展したことになる。

2008年に行われた北京オリンピックの期間中、政府は周辺の生産工場の操業や交通を強権発動して禁止させていたことを知ったが、空気汚染は、すでにその頃に始まっていたことの証拠であると思われる。

今春から始まり、全国に広がった「スモッグ」による景色は異様であった。

中国全土に広がっている空気汚染公害の状況は映像によって世界中に報道され、これも中国共産党の稚拙な行政の結果として全人類が知るところとなった。

それに加えて、水を中心とする自然環境汚染、野菜や食肉の衛生面での疑問は、今や拭いようもない事実として世界に知れわたりになるに従って、今後の観光産業にも少なからぬ影響が出て来ることは疑問の余地はない。

これまで、中国共産党の発表するGDPや、諸々の国内経済指数に関しての信頼度も、これで疑わしいことがハッキリとしたと云われても反論できなくなることとなった。

「中国人の心」、が今後、何に頼って生きてゆけば良いかに疑問を持ちはじめたのではないだろうか?

これで、中国共産党が国民に事実を隠ぺいして押し通してきた内部事情が、一挙に白日のもとにさらされるきっかけを作ったのは、実は「母親の子に対する愛情」であったと云うことになる。

経済規模が世界一となることを目指していた中国政府が、今後どのように変化するかを見守らなければならない。

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神戸物産の温泉熱農場

㈱神戸物産と云えば、兵庫県加古郡稲美町に本部を置く「業務スーパー」で知られる、冷凍、生鮮章句良品販売で一般消費者にも馴染みのある会社だが、この春、北海道の温泉を利用して大規模、野菜のハウス栽培を計画中である。(日経産業新聞2月4日)

これは自社所有地で湧きだした温泉を大型ビニールハウス内で循環させ、温度調整を行って、野菜農場とする新手の産業。

同社は、北海道と同じように、高温の温泉水が豊富な大分県でも同じような事業を計画している。

北海道南西部の大沼国定公園周辺2ヶ所で温泉を掘削し、約50度の泉源を一本掘り当てた。

ハウスは一棟の長さが50メートルでこの春から順次建設予定とのこと。

当初は100棟で葉物や果采類を水耕栽培する計画。

土地代、温泉掘削費用を除く当初の投資額は、約1億2000万円を見込んでいる。

当地での掘削は7か所で、許可取得済みとのこと。北海道全体で600棟の大規模ハウスで野菜の栽培を計画中。

大分県でも同じような事業も計画中で、標高を生かして、キャベツ、白菜などを作ることを考えているとか。

沼田昭二最高経営責任者は、円安で今後ますます高騰するであろう燃料代金の節減を兼ね、理想的農業の経営をめざしている。

高温の水が出る所や、高温蒸気の採取が見込める場所は国内には無数にある。

特に温泉水が高温の場合、温泉浴場で利用する「途中」で一旦、ハウス農場用のパイプを経過させても充分に上記のような農場経営が行えるところは多いと考える。(例:草津温泉)

地熱発電、自然の高温蒸気利用の野菜栽培は将来有望ではないだろうか?

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リチャード3世の遺骨発見!

Photo                       リチャード3世

25日付京都新聞「英、大調査」として英国レスター大の考古学調査チームが中部レスターで発見された成人男性の遺骨をDNA鑑定、それが15世紀のイングランド王、リチャード3世と確認できたと発表したことを報じている。

リチャード三世(RICHARD III,1452-1485)は、エドワード四世( 1442-83)の弟。エドワード4世がだらしない人物で、好色漢で、人妻や未亡人を手当たり次第に誘惑、しまいには、一族の宿敵とされていた、ランカスター家の女子を妻に迎えたことで家族に不和が生じた。

リチャードの上の兄、ジョージは、エドワードに逆らったとして、反逆罪で捕らえられ、ロンドン塔で獄死している。

兄のエドワード4世が41才の若さで急死、続いて息子のエドワード5世が13才で王位を継承したが、僅か2ヶ月で退位、その弟、リチャードと共に、叔父、グロスター公、リチャードによってロンドン塔に幽閉され王位を剥奪されてしまったと伝承されている。

このグロスター公こそが今回遺骨で回収されたリチャード3世である。

シェクスピアーの戯曲「リチャード 3世」では、自分の甥2人を殺して王位を簒奪した醜い人物として描かれている。

背が低く、背骨が湾曲して、常に足を引きずって、性格が残忍、且、陰湿であったことが強調されているが、事実の程は判らない。

しかし、話しとして、リチャード3世によって抹殺されたと云われるエドワード5世とヨーク公リチャードの若い2人の遺体は200年後の1674年、ロンドン塔内で見つかったとの報告があることは確かである。

問題のリチャード3世は即位後、2年(1485年)、テューダー家を相手にした「ボズワースの戦い」で戦死した。

リチャード3世を破ったヘンリー7世は、ランカスター家の血を引くものとして即位を宣言、エドワード4世の娘を妃とした。

このヘンリー7世を継いだのが、有名なヘンリー8世、その娘がエリザベス1世である。

前述のようにシェクスピアー戯曲で有名なリチャード3世であったが、その埋葬場所は謎であった。

遺骨は駐車場の地下から発掘されたが、BBC放送によると、英政府は確認を受け、レスター大聖堂に埋葬し直す方針と云う。

遺骨は歴史資料が伝える通り、背骨が曲がっていた。

その背骨に矢が刺さり、頭蓋には刀によると見られる損傷があり、戦闘で死亡したことも確認された。

レスター大の考古学チームはこの遺骨をDNA鑑定を行い、リチャード3世の姉の子孫である、カナダに住む家具職人(名前は伏せられている)を探し出して調べたところ、今回発見されたものと合致したと発表した。

遺伝子判定が如何に正確なものかは知らないが、これが正しいものであれば、今回の発掘結果はイギリス歴史上非常に重大な発見と看做されるべきである。

こんな事件が日本で起こればどんな反響を呼ぶか?又、宮内庁がどのような対応を行うか知りたいものである。

(参考書:英米史辞典(研究社)、「イギリス史重要人物101」新書館、「ヨーロッパ王室がよくわかる本」PHP文庫等)

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TPPに関しての意見

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に加入するか、しないかで、長い間、国内で論議が続いている。

もし、日本がこれに加入して最も漁夫の利を得られると思われる分野は自動車であると考える。

日本は1978年に自動車にかかる輸入税をゼロにしたに関わらず、アメリカは2.5%、EUは10%、韓国は8%の輸入税を課している。

日本人の一部の富裕層はEUから10%のタックスが加算された高価な自動車を喜んで購入している。

反対に、我が国は、農業保護の名目で、米に778%、小麦に252%と云う論外とも思われる輸入税を課して、国民に、一俵(60キロ)1万5000円と云う高価な米を買わせている。

それによって保護を受ける農家(小規模)は、1俵当り2万5000円で作ってそれを1万5000円で売らされている。

この農業保護の名目は、農業存続の名目で、農地に対する固定資産税、相続税の減免だそうだ。

小規模農業の改造の為に、膨大な国費が費やされている。10アール当りの工事費120万から150万かかるとされ、その8分の7(88%)が補助金=国民負担(税金)と云うこと。

それによって何が起こったかと云えば、生産性の向上による米価の下落ではなくて、農家の資産価値の上昇と、不労所得と余暇の増加くらいであることが判明している。

一俵当たり1万円の赤字を出しても続ける価値(意義)が一般国民側から何の利益があるのだろう?

政府は国民に有形、無形の負担をかけながら「農業保護」の名目で不当に高い米を食べることを強要している。

「米」は日本人の主食と云うが、「主食」と「副食」の観念は日本固有のもので、今の若者は既に「雑食」人種になっていることに気づくべきと考える。

日本には米が余っている。そのため生産調整の為に農家に減反を要請している。農家に「減反」をさせるために無駄な補助金を出して故意に国費を浪費しなければならない理由が何処にあるのだろう?

昭和35年と平成12年(52年間)までに一人当たりの米の消量は丁度半分と云う数字が出ている(グーグル・ウイキペディア調べ)。

米農家は工夫を凝らして米以外の農産物生産に工夫すべきだし、老齢化や働き手の無くなった農家には所有農地に限って、第3者に無税で転売する機会を提供しては如何かと考える。

TPPをめぐり、JA(農業協同組合)グループが大々的に“脆弱な農業を守れ”と云い、“TPP参加が決まれば、日本の農業は壊滅する。海外からの安い農産物に日本の農産物は勝てない”と躍起になって叫んでいるが、これは真っ赤なウソ。彼らが恐れるのは自分たちが職を失うことにあり、それを後押しするのは、農業関係に票田を持つ自民党中心の政治家連中である。

週刊誌「ダイヤモンド」2月9日号で「日本農業の真の実力」特集を組んでいる。

そこでは「コシヒカリ」クラスの日本米には充分に国際競争力があり、その他、大玉リンゴ、北海道のナガイモ、ネギ、ホウレンソウ、イチゴ、カリフラワー、ナス等に関しては外国産に品質、価格面で、何らひけを取らないと云う。

同誌によると、半世紀のうちに農家の数は6分の1になったが、全国生産額は、一人当たりの生産効率はこの間、劇的に向上を見せている。

農地の大規模化が僅かながら進むうち、多くの品目のうち、国内産と輸入品との内外格差は縮小に向かっている。

特にコメでは国産品とアメリカ、中国からの輸入米の価格差は、年々近接傾向にあるとのこと。

ここで減反を止め(補助金中止)、品種改良をさらに行えば、輸出したとしても価格競争力を充分保てると山下一仁・キャノングローバル戦略研究所研究主幹が述べている。

我が国の農業生産額に占める輸出比率は諸外国に比べて可なり低い。

農業国で知られるカナダ、フランスのみならず、台湾、韓国に比較しても日本だけが極端に低い。

ダイヤモンド誌は、“世界有数の生産能力があり、品質の高さで定評のある日本の農産物が何故、国内に留まり続けるのか?”と問いかけている。

これまでみたいに、見本市に不定期に出店して終わりではなく、もっと確実な連携と戦略が必要で、年間を通じ日本の野菜か果物を常に品揃えして欲しいと云う要望が多いのにフォローアップが出来ずに終わっているケースが目立つと云われる。

90農家が加盟する和郷園は、共同集荷・出荷のプラットフォームを利用して海外にも進出。紺年後半にはシンガポールを拠点にインターネット直販事業も計画していると云う例もある。

同誌は、“今後国内に替わる性長市場として海外を手中にする実力を備える日本農業。 伸びようとする生産者の足を引っ張ったり、足枷をはめるようなことをせず、自由な環境と側面からの積極的援助こそ急務だと主張している。

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安祥寺・出雲寺・毘沙門堂の由来

Photo                  出雲寺跡地周辺地図

去る2月1日(金)の京都新聞に「洛東高生が新設、謎に一石」の見出しで山科にある、9世紀に創建されたが、明治時代の琵琶湖疏水工事で移転を強いられた安祥寺(下寺)の創建当時の在所を研究、その発表会を来る2月9日午前10時から同志社女子大の山田邦和教授の司会によって同校で発表するとの記事を見た。

京都は平安京の名で知られているため、9世紀以前の仏教寺院には縁がなかったように思う人が多いが、筆者が先日、このブログで記した「北野廃寺」のほかに10ヵ所を超す奈良時代からあったとされる古い寺院が存在していることが判る。

その筆頭と思われているのが太秦の広隆寺だが、樫原廃寺(長岡)、大宅廃寺(山科)法観寺(東山)珍皇寺(東山)出雲寺(上京)等に加えて安祥寺がある。

上記の寺院は、みな当時の豪族に関係する寺院で遷都後も、その存続が容認されて残っていたが、平安中期以降、それらの豪族の力が衰えるに従って信仰の場である寺院は、徐々に衰退してゆき、広隆寺及び法観寺のみが当時の姿を伝えているにすぎない。

昭和以降、土地の区画整備工事や舗装工事がなされるようになり、古代寺院の伽藍が発掘され、それと同時に出土した陶磁器や棟瓦に記された名称によって、古くは白鳳から9世紀頃の遺跡まで、これまで未知であった古代仏教遺跡の片鱗を伺い知れるようになった。

本日、筆者が取り上げる「出雲寺」はもと、上京区上御霊前通り烏丸東入ル、上御霊樫町・馬場町・相国寺門前町あたりにあったとされる古代寺院で、一説によれば延喜式七大官寺の一つ、御霊寺にあたる寺院と目されているところ。

北大路橋と葵橋の間にある加茂川にかかる橋の名称「出雲路橋」から、これまでは、この道が山陰の出雲に至るものからつけられた名前だと思っていた。

又、この道が上御霊神社に通じている鞍馬口にも近いことから何も疑問に思ったことはなかった次第。

付近から出土した瓦、上御霊神社で保管されている留品から、この寺院の創建時が奈良時代前期に迄遡ることから、この辺の豪族「出雲氏」の氏寺とも考えられている。しかし同寺は平安の後期には既に荒廃し、その様子は今昔物語にも記述があるとのことである。

前記の山科の安祥寺の遺構とされる場所(山科駅周辺と四宮あたり)が、その東に位置する「毘沙門堂」に近いことに着目して、出向いて毘沙門堂の「由来」から学んだのであるが、驚いたことに、鎌倉時代に完全に廃寺となっていた出雲寺だったのだが、江戸前期の慶長年間になって、天台宗で徳川家康と関係の深かった天海和尚が復興を果し、山科、安祥寺の一部の領地を授かり、天海の弟子、公海が寛文五年(1665)「毘沙門堂門跡」を創建したことを知った。

蛇足であるが、毘沙門堂は親王住持門跡寺院となり、何時の時代かは不明だが、風雅な住持がいて、昭和初期に行われた毘沙門堂入札会では、国宝の「青磁鳳凰耳花入れ」、「弘法大師筆金剛般若経解題の残決18行や、ボストン美術館所蔵「拙宗等楊筆、水墨画中布袋、花鳥三幅対」が当時話題を呼んだことで知られている。

筆者が京都に生を受けて幸福なのは、生きている限り尽きない「故事探訪」のできることである。

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「集団的自衛権」問題は我が国のローカル・ルール

これまで我が国の国会で、与野党間で延々と火花を散らして論戦が戦わされてきた「集団的自衛権」とは、これを煎じつめて考えると、日本国の憲法条項に限られた国内問題であることを今回、友好国アメリカから知らされる破目になった形。

所謂「平和憲法」と称する、戦後に占領軍に強要されるかたちで定められた憲法には、武力行使が禁じられているとして、同盟国が我が国防衛のため行動中、第三国の武力行使を受けたときには援助の為に武力を行使して「共に自衛する」ことまでを是としない左派系政党の主張をようやく排除できるとして、安倍新政権が誇らしげに“集団的自衛権行使容認”をアメリカに伝えたところ、アメリカ政府は喜びを表すどころか、かえって迷惑だと言いだした。(京都新聞、2月2日)

安倍首相は、沖縄の尖閣諸島周辺で中国の度重なる領海侵犯、領空接近を憂慮しながら有事の際、アメリカの保護を求める見返りとして共同軍事行動ができることを伝えたつもりだった。

友好国が第三国に攻撃を受けた場合、どの国でも事情が許す限り同盟国の援助に乗り出すべきことは政治の常識。

集団的自衛権なる文言こそ、誰が造ったのかは判らないが、我が国のローカル的問題で、それを“我々は貴方が困った場合は援助します”と押しつけがましく外交ルートで発表する必要があったのかどうか?

中国はアメリカにとって重要な貿易相手であるため、何も起こっていない段階で、若し日中間で武力衝突になればアメリカは中国に報復するとまで踏み込んで明言するべきでないとしても何ら不思議ではない。

ただ、日米安保条約で規定済の沖縄基地防衛は守るとルース駐日大使は明言している。だが、沖縄近辺の東シナ海の公海上で日中が問題を起こした場合はどうだろう?

安全保障をアメリカが一方的に日本にコミットすると考えることは早計で、あくまで日本は自衛手段を強化することに努力すべきで、それまでは決して中国の「誘い」にのることのないように努めるべきと考える。

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中国汚染

温家宝前中国首相は、新華社を通じて、中国ではびこる汚職問題について「共産党と国家の存亡に関わる」と在職中自ら述べて憚らなかった。又、汚職を防ぐ制度作りの必要性をかねがね訴えていたのが温氏であった。

ニューヨークタイムス電子版(1月30日)によると、同紙が中国のハッカーから過去4カ月間にわたってサイバー攻撃を受け、記者らのパスワードが盗まれたと報じた。(産経2/1)

これは中国の温家宝の一族による蓄財問題を報じた時期と重なっており、取材の経緯を探るのが目的と見ている。

この蓄財報道の取材が最終時期にさしかかった昨年の9月13日、中国政府高官から、これを継続すると「ある結果を伴う」と云う意味の警告を受けたと報道している。これには中国軍が直接関与している可能性大(専門家談)の指摘があり、米連邦捜査局にも通報したことをNYタイムスが発表した。

温家宝氏が前首相の立場を利用して汚職を行ったのならば、普通の国家ならば公のスキャンダルとして、政府発表となるべきだが、国家主席が交代しても何の噂にもなっていない事が不思議に思える。温家宝を不正蓄財の汚職容疑で聴取できない検察には何かの圧力が他方面から及んでいるのではと思いたくなる。

胡錦涛VS江沢民の問題と、新主席習近平、昨年除名された薄煕来を取り巻く応酬合戦に未だに決着がつかない「中国共産党」のお家騒動が外国からの報道圧力に正面から反論出来ない事態になっていると思わざるを得ない。

北京に留まらず、上海、天津等での空気汚染は深刻な問題に発展しつつある。今朝の各紙の報道では、間もなく偏西風に乗って、黄砂とともに「中国スモッグ」が我が国に影響を及ぼすことを危惧している。最近中国から帰国した筆者の義弟は、中流階層以上の中国人は既にあえて国産の野菜や穀物は買わなくなっていると言っている。

空気汚染、水汚染、食物汚染は今や中国での深刻な問題となっていると聞く。

中国の高官、政治家の汚職も一種の汚染と見れば、これこそ一刻も放置できない問題であり、自国をコントロールできない中国共産党こそ、それら腐敗をもたらした責任が問われるべきと考える。

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放射線2題

Mri MRI

東京医科大学の矢島教室の発表によると熊本県阿蘇山周辺でとれる「黄土リモナイト」に放射性物質のセシュームから出るガンマ腺を遮る効果があることを発見した。(日経産業新聞2/1)

東京電力福島第一原発事故の影響で部分的に高い放射線量が検出されたホットスポット試したところ、線量を半分程度に抑えられたと云う朗報。

今後汚染地域での線量低減に役立つことを証明できたことは明るいニュースと看做される。

「リモナイト」は阿蘇山周辺に特有の鉱物とされ、噴火で出たマグマのミネラルや鉄分を多く含んでいる。主成分の鉄には、ガンマ線などの放射線を散乱させる効果が見られる。

福島相馬郡にあった泥にリモナイトを近ずけたところ、厚み2センチで放射線の約6割を遮蔽できることが確認された。

茨城県稲敷郡で発見された毎時1マイクロ・シーベルトの線量のある土壌を厚さ2センチのリモナイトで覆ったところ、同0.5マイクロ・シーベルト以下に減ったとのこと。

リモナイトで放射性物質の汚染土を覆えば、年間の線量を1ミリシューベルトに抑えることが可能になると云う。

同日の日経産業新聞は京都の島津製作所は医療機関向けのエックス線動画撮影システム「ソニアルヴィジョンG4」を発表したことを報じている。

これは従来の製品より最大40%以上、放射線量を減らせることを可能にした。

放射線検査室を備える病院などを対象に販売をはじめる。

人間ドックでの胃透視のほか、専用装置で検査することが多かった泌尿器科、小児科など幅広い用途で使用出来ると云う。

放射線による被曝量を減らすために、画像に寄与しないエックス線を遮る機能を標準装備、これによって、小児科などで更に被ばくを低減したい場合に対応できることを強調している。

今後は年間100台の販売を見込む。販売価格:1機、2億1000万より。

誰もが病院を訪れる際、何気なしに受ける放射線科の診断。これにも一生に何回まで受けて良いのか、示されたことがない。特にがん治療のために強い線量のレントゲンを受けた場合には、少し首が痛いとか、軽い捻挫の事例では放射線検査を受けないよう注意が必要と考える。

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