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「モナ・リザ」は永遠の謎

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レオナルド・ダヴィンチの残した有名な肖像画、俗称「モナリサ」のモデルとなった女性の名前については、古くからイタリアでは”ラ・ジオコンダ(La Gioconda)と 呼ばれていた。

しかし、16世紀のイタリアの画家、歴史家のジョルジオ・ヴァサリ(Giorgio Vasari)1550年にその著書、イタリア画家列伝で、その絵をデル・ジオコンド(Del Giocondo)と呼んでいたことは判っていたが、その記述が画家の死後、既に31年も経過していたことから確証を得られないまま、これまで学者の論争の的になっていた。

“「モナ・リザ」のモデル判明”と云う、記事を昨年の朝日新聞で見た。

それは、ハイデルグ大学の研究で2005年の時点で、そのモデルの女性の名前がリザ・デル・ジオコンド(Lisa del Giocondo)と判明と発表した。

ハイデルベルク大学付属図書館にて所蔵されるキケロ(Cicero)の図書「縁者友人宛書簡集」(1577年)の中に、この本の所有者であった、アゴスティーノ・ヴェスプッチ(Agostino Vespucci)による書き込みがみつかり、1503年10月の項に、レオナルドが・デル・ジオコンドの「肖像」と、聖アンナ像制作中と言う記述があった。

ヴァサリの云う「モナ・リザ」は当時のフローレンスの富豪商人フランチェスコ・デル・ジオコンドの2人目の妻リザ・ゲルディーニの肖像であることが、これで、その製作時期とともに疑問の余地なく判明した。

伝えられる処によると、ダヴィンチは実際、この絵に特別の愛着を持ち続けて、常に身辺から離さなかったと聞いている。

1503年に、ミランからフローレンスに戻って、3年以上の歳月を費やして仕上げた絵を、注文主のジェオコンダ家に納めないで所持していたことも不思議である。

これと同じように不可解なのは、この世界的に有名になった絵のモデルが誰であろうと、レオナルドが死ぬまで手放さないと言ってながら、1516年にフランス王、フランシス1世の招きで城を訪れ、簡単にそれを手放したと云われていることである。

現実「モナ・リザ」がルーブルの所蔵になっている理由は、その時からのことであることは事実である。

しかし、歴史家はその辺のこととなると口をつぐんで何も言わないのは何故かを知りたいと思っている

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