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エブラハム・リンカーンとヴィニー・リーム

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エブラハム・リンカーン、米国第16代大統領は,アメリカ中興の祖と称えられ、彼の非業の最期の記憶とともにアメリカ全国民の記憶から忘れ去られない人物である。

これは我が国では、あまり広くは知られていない話であるが、リンカーンはある日、突然、見知らぬ少女から、“あなたの姿を彫刻にしたいので、モデルになって欲しい”と云う願いに快く応じ、見知らぬ、勇気ある17歳の少女を毎日、15分間に限ってホワイトハウスに招いて彼女のモデルになった話は、アメリカでは有名である。

その少女の名はヴェニー・リーム(正確には,Lavinia Ellen Ream,俗名、Vinnie,1847-1914)の父親、ロバート・リームはウィスコンシン属州の測量技師をしていた。彼女の兄、ロバートは南軍の兵士であった。

ヴィニー・リームは、ミズーリ州のコロンビア・カレッジ卒業後、1861年、家族と共にワシントン・DCに移り住み、南北戦争が始まるとともに、戦争犠牲者の残した手紙類の、当時唯一の女性整理係として働いていた。

1864年になり、以上、述べたいきさつで、リンカーンはヴィニー・リームの作品のモデルとして、5カ月の間、毎朝、ホワイトハウスに彼女を招き入れた。

計らずも、ヴィニーの仕事はリンカーンが暗殺された、1865年4月14日まで続いた!

このことによって、ヴィニーはリンカーンの死の1年後、国会の決議でリンカーンの長身大の肖像をキャピタルの中に造る注文を受注することになった。これはヴィニー23歳の出来ごとである。

このことは生前、リンカーンは大統領の身分が、国家にとって如何に重要であるかを意識していなかったとも考えられ、彼が大統領として、アメリカ史上,最初の犠牲者となったことも、このようなリンカーンのあけっ広げな性格のなせる技とも考えられる。

その後、ヴィニー・リームは世界中から注目される彫刻家となった

彼女はその後、ヨーロッパに旅立ち、美術を修学して、一時、ローマに住んだこともあった。

彼女のヨーロッパ旅行中には、音楽家、フランツ・リストとの親交もあり、リストの肖像も制作している。

帰国後、彼女はワシントン市、235ペンシルヴァニア・アヴェニューにスタディオを設け、当時の有名人、ジョージ・アームストロング・カスター将軍、南軍司令官:ローバート・リー将軍、ウイリアム・テクムッシュ・シャーマン将軍らの肖像も制作している。

1878年、(30歳)ヴィニーはアメリカ陸軍の技師、リチャード・ホクシー(Richard Hoxie)と結婚している。

彼女の生まれながらの性格上、社会からねたまれることもしばしばで、特に、音楽家:リストや、シャーマン将軍とのあらぬ噂等も世間を騒がしたと伝えられている。

参考資料:

Overlooked by History,Lincoln’s teenage Sculptor,American History,

Aug.2007/pp.74

関係文献:

Vinnie Ream, An American Sculptor, by Edward Cooper,2004

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