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泉園子と「泉屋クッキーズ」

京都では久しく見ることがなかった「泉屋のクッキーズ」を友達から頂いて、その会社の歴史を何とはなしに調べてみる気になり、グーグルで検索、出てきた事実に少々驚いたのでブログで紹介したい。

終戦後、未だあまり本格的な洋菓子が見れれなかった頃「泉屋のクッキーズ」は新鮮味のあるオシャレな味であった。

泉屋が泉家から由来する名前であることは知っていたが、その創始者の名前までは知るところではなかったが、グーグルで調べて、泉園子がその人であることが判った。

泉園子、明治25年(1892)京都生まれ、平安女学院卒業である。平安女学院は1875年大阪居留地6番にあった「エディーの学校」が前身で、校名をはじめ、照暗女学校(St.Agnes School)と云い,寄宿制の女子教育機関であったらしい。

園子は、明治261月、四条教会でGordon M, Laffayetteから洗礼を受けたクリスチャンであった。四条教会は山本覚馬が設立に尽力した、京都では由緒のある教会である。(山本覚馬は新島八重の実の兄で、京都において同志社の創立にあたって新島襄を助けた人物である。)

園子は、泉伊助と結婚後、聖公会に転じ、明治43年(1910Foss H, Jamesより「堅信」を受領し、聖公会の正規の教会員と認知されるほどの熱心な信じであった。

園子は二男、泉英男が病弱であったため、転地療養を兼ね、一時、和歌山に移り住んだが、そこで知り合いになったアメリカ人の宣教師から「子供のオヤツは、おかーさんが作るもの」との啓示をうけ、それで心を打たれて、早速、その宣教師の指導で菓子作りを始めたのが、泉屋クッキーズの始まりとなった。(注;「京のおんな人脈」(200)、京都新聞)

大正12年(1923)、京都に移り住み、京都大学教授、新村出博士や、知人の勧めなどもあって、泉屋を開業した。

昭和11年(1936)、夫、伊助が死去、園子は迷わず、稼業を子供に譲り、自分はその後。身体障害者や脳性まひの子供の為に役立つため、社会奉仕事業に専念する決心をした。夫の死後、園子は同じ事業を起こすならば、東京だと思い、早速に泉屋東京店を開設した。その後、約10年で敗戦となり、原料不足に苦心しながらも「子供達への愛情」を優先して、衛星と経済を考えながら、均一の商品を手ずくりで販売するポリシーを守り続けた。

戦後は、東京に移り住み、身体障害者団体に奉仕し、クッキーの無料提供、身体障害者用の慾情を作る基金集め、日本キリスト教婦人矯風会を助けて、昭和41年(1966)、財団法人「脳性麻痺児を守る会」理事長、世界連邦建設同盟副会長、国連東京婦人会副会長など歴任。

昭和48年(1973)、園子は韓国へ桜苗木贈呈のため旅行中、急逝した。享年81歳。

波乱に満ちた人生であったが、日本女性の地位向上のため、子供教育を重視、また、キリスト教布教に充実した女の人生を意義深く貫いた女性として永く記憶にとどめたい人物。

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コメント

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投稿: retro jordans | 2013年3月16日 (土) 21時15分

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