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パキスタンの核兵器の所在?

Photo_2 ハロルド・アグニュー氏

アメリカ軍がアフガンやパキスタン、イラク等からの撤退は今や時間の問題と噂される中、、今度はイランとイスラエルとで緊張が増している、筆者はパキスタンとインドがかなり昔に同時に核の保有国となったと云うニュースを思い出した。

アメリカが近々、パキスタンやアフガンのようなイスラム原理主義勢力「タリバン」が勢力を増強させている地域から全く手を引くような事態になるまでに、パキスタンの核兵器が将来、どのように保管されるのだろうかと心配している。

冷戦下でアメリカの核兵器開発の中核を担ってきたロスアラモス国立研究所(ニユーメキシコ州)で永く所長を務めた、核物理専門家のハロルド・アグニュー氏(Harold Agnew,b.1921)が平成21年8月27日、日経新聞との対談で「核兵器を廃絶できればいいが、不可能だ。核弾頭は小さいものなら一人で持ち上げられる、他国を欺くことはあまりにも簡単だ」と述べているのを知って恐怖を覚えた。

核拡散防止条約(NPT)の土台は、最近の北朝鮮、イラン対イスラエルの動向を見聞きしていると尚更怪しい条約と考えられてならない。

NPTは米英仏中ロの国連常任理事国を核保有国と定め、それらの国以外への核兵器関連技術の移転を禁止していると云うが、それではインド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮、或いはイランでの核保有をどのように説明できるのだろう?

アグニュー氏は「最も心配なのは、タリバンのような集団が勢力を増してきている地方、即ちパキスタンが問題で、ここでは軍人が政府のトップの承認を受けず、核兵器を使用したり、それを第三者に渡るのを防ぐ手立てが確立してるとは考えにくい」と述べている。(前述、日経記事)

その安全対策の仕組みについてアグニュー氏は、アメリカが1960年代に開発したPALと呼ばれる核兵器内部に埋め込む装置。それは政府のトップが極秘のコードを入力しないと爆発が起こらないデヴァイス。

アグニュー氏はさらに、核の拡散防止には、原子力を平和利用したい国に対しては核の保有国が核燃料をリースして、使用済み燃料は転用できないように回収して多国間で供給、回収する確固たる組織を作る以外にないと断言している。

この日経の記事は中前博之記者が当時ニューヨークでアグニューにインタービューしたものだが、それから既に4年が過ぎた現在まで、パキスタンの核兵器についての報道がなされたことを聞かない為、不安は募るばかり。

我が国でも今後は原発の使用済み燃料は増える一方となり、その処置は将来、大問題になること必定!

世界はそれを知りながら何もしないことに義憤を覚えずにはいられない。

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税制面での「篤志家」優遇を積極的に考えよ!

今朝(3/28)のアサヒ(6)テレビで京都府精華町に府が、平成15年3月に総額406億円を費やして建てた、いわゆる「箱もの」、旧「私のしごと館」が不人気のために、その後廃止となり永らく放置されていることで問題になっていることを知った。

そもそもこれは、京都府商工労働観光部、労政・人材育成課が、若者を対象に職業体験の機会、職業情報、職業相談等を提供する施設として京都府精華西木津地区に敷地面積83000平米に3階建ての施設を総工費581億円をかけてほぼ10年前に出来上がった独立行政法人施設である。

このような厄介者の「箱もの」を作って高級公務員の第二の人生のために職場を世話するために国民の税金が無駄に使われていることは残念としか言いようがない。

この施設は平成22年3月に閉館したが、土地、建物の売却の為、2度の一般競争入札を行ったが、買い手がつかないままに放置され、このままでは、国民の財産が活用されずに毎年数10億円の計算で失われるままになっている。

この問題について、京都府では関西3府県(京都、大阪、兵庫)と3都市で取り組んでいる「関西イノヴェーション国際戦略総合特区」として共同研究、開発等を目的に有効活用することで京都府にこれをそのまま無償譲渡するように国に求めていることが判った。

本日のテレビ放映の内容では、そもそも「私のしごと館」は、雇用保険の資産を地方行政府が流用して出来上がった無駄な「しごと」だったのである。

その無駄に使用された国民の税金から出た資金を、今度は、近隣の3府県と市が考えついて新たなプロジェクトに流用したいので、国から払い下げを受ける為に京都府に救いの手を差し伸べているようにしか思えない。

原資の581億円は本来の筋から考えて「雇用保険」に戻さなければ意味がない。

国民の資産が知らないうちに公務員の救済に無駄につかわれ、結局、何処へ消えたか判らなくなることは許されない。

もし、政府がその気になれば、特別の恩典のもと、生前に公共機関に「遺言」で残す特別措置”bequeath“(生前贈与)制度を考えれば如何なものかと筆者は考える。

我が国家は現在ほぼ、1000兆円を超すばかりの借金に悩んでいる。

しかし、国民の総資産は1400兆程と見積もられ、その内の半分以上が高齢者に偏っていることも判っている。

残念ながら、わが国には、篤志家(ベネファクター)や、世の中や、国の為に私財を投げ出すような、慈善家(philanthropist)を励ましたり、税制で優遇したりする制度が殆ど存在」しないのも事実、

国民や企業に国債を買わせて国の財政を保持することも大切だが、日本人の国民性を考え、それを利用するには、税金による優遇措置ほど役に立つ手段はないと思われる。

これを国家財政回復のために、たとえ期限を設けてでも、国民が国の為に資産を寄付する、何らかのかたちの「生前贈与優遇措置」を実施すべきだと考える。

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大国の責任

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朝鮮半島に存在していた李氏朝鮮(大韓帝国)は、1910年、日本の韓国併合によって消滅、日本(大日本帝国)の一部となった。

しかし、1945年8月、日本が第二次大戦に敗北したため、同年9月2日の降伏文書調印によって日本の朝鮮半島統治は終了した。

その直後、朝鮮半島は、北緯38度線以南をアメリカ合衆国、以北をソヴィエト連邦の軍制支配下におかれることとなった。

その後、米ソ両国は朝鮮の信託統治実現を巡って争い、1948年8月15日、アメリカは自国軍制下に於いて単独で政府を樹立する準備を開始、大韓民国が樹立された。

このアメリカの単独行為に異議を唱えたソ連は、同年9月9日、同国の軍政下にあった、38度線以北に朝鮮民主主義人民共和国を独立させることで、朝鮮半島の南北分裂が固定化された。

1945年まで日本の領土の一部であった朝鮮半島をソ連と米国が半々に領有したことで現在の朝鮮半島の南北問題が始まっている。

ヤルタ会談(1945年2月)に於いて、当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズヴェルトが「ドイツ問題」の決着次第、なるべく早い時期に、不可侵条約の相手国であった日本に侵攻することを要請していたことは会議の記録からも明らかな事実。

スターリンはその約束を履行するため、1945年8月9日、旧満州国国境より侵攻を始め朝鮮半島にまで占領を果した。

同年8月15日の日本の無条件降伏受諾により戦闘行為が終わったとすれば、ソ連の極東における参戦はものの一週間であった。

その結果、ソ連は、日本からアリューシャン列島、南樺太と38度線以北の朝鮮を手中に収めたことになる。

筆者の問題にしたいことは、何故アメリカは、殆ど何の貢献もしなかったソ連に、こともなげに「北朝鮮」を分譲したのだろう?

ドイツも東西に二分されたが、今では自国民の良識でもって国家統一を果している。

朝鮮戦争(1950年)勃発以後の歴史も語るに忍びないことの連続であるが、戦勝国の些細な「エゴ」が、その後、半世紀以上一民族(朝鮮)を悲惨な状態に導いた罪は許せるものではない。

その意味からも、アメリカとロシアは朝鮮半島問題解決に道義的責任を感じ、共同努力でもってこの地方の平和回復を果すべきだと考える。

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或る憲法改正手続き論

2013年3月24日毎日新聞「発言」欄に、同志社学院教授コリン・ジョーンズColin Jones)氏が憲法改正について面白い意見を述べているので紹介したい。

1946年に新日本国憲法が作成されたが、それは勝者である連合国軍総司令部(GHQ)の意向を100%汲んで作成されたし、勿論、草稿原文は英語であった筈である。

これを日本の政府が日本文に仕上げるにあたって言葉遣いや言語を巡る一種の

イタチごっこが繰り広げられ、結局占領軍が納得した「英文日本憲法」を下敷に「翻訳日本憲法」が完成したものであるとの意見には納得させられる。

ジョーンズ氏“ここには日本語を読めない多くの外国人には理解しにくい個所が見られる”、例えば、度々登場する「国民」は「その国の国籍を有する者」と云う定義になるが、英文では国籍のニューアンスが全く存在しない、{the people,人民}を使っている。英語だけに頼ると、憲法が保障する基本的人権が及ぶ範囲に誤解が生まれる。

実は在日外国人の人権と国民の人権との間を考えても「国民」と「外国人」の違いについての解釈にもその国際的見識の違いがそのまままかり通っているし、国際化が日々進む中で在日外国人の政治活動の自由、福祉制度の受益権の有無では日本流にうまくすり替わって解釈されてしまっている部分もあることを指摘している。

第9条2項でも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」のくだりの英語版には”NEVER”とあるが、外国人であるジョーンズ氏にすれば、自衛隊と云う軍隊の存在が余計に不思議に思えてならないらしい。

法律家のジョーンズ氏は英語版、日本語版にはかなりのギャップが見られるが、今となっては英語版には法的拘束力はないとしても、安倍首相が「敗者」の憲法からの脱却を目的の一つとするならば、先ず現行憲法の英語版を日本語版のただの訳文とするのが第一歩ではないか。確な英語版があれば、憲法の本改正があったとき、諸外国に今より変更内容の説明がしやすくなるのではと提案している。

現存「英文憲法」は占領時の英文官報として交付されたもので、、改訂には憲法改正手続きも、通常の立法手続きも必要がなかったもの。

それであっても何らかの手続きを踏んで改訂すれば、本改正の予行演習になり、たとえ英語版を変えるだけで何らかの抵抗がおきれば、改正の行方の羅針盤になると如何にも法律家らしい手続き論ともいえる意見を述べている。

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ニューヨークの夢の島「ルーズヴェルト島」

Fdr_islans_1 ルーズヴェルト島

1621年、オランダの西インド会社が原住民からマンハッタン島を買い取り、ニューアムステルダムと言う町を作ったが、1664年にイギリスとの戦争で敗れ、後にニューヨークと名を変えたことは有名である

そのマンハッタン島のイースト46丁目から85丁目のあたりのイースト・リヴァーの中央に浮かぶ島「ルーズヴェルト・アイランド」(写真)は現在市有の島であるが、その長さ東西に3キロ、幅240メートル、面積、147エーカーばかりの小島だが、1969年にニューヨーク州のアーバン・デヴェロップメント・コープに99年間期限のリースで貸し出され、現在ではそこに多くのアパートやコンドが立ち並んでいる。(人口;約000人、2007年現在)

17世紀、この島がオランダ領であった頃には“ホッグ島”と呼ばれていたが、その後、“ブラックウエル島”となり、1921年から73年迄はウエルフェアー・アイランド(Welfare Island)となった。

イーストリヴァーの中州にはもう一つ、ガヴァナース・アイランドと云う島があるが、二つの島とも流れの速い中州の利点を生かして公共の要塞として利用された歴史をもっている。

ウエル・フェアー島(Welfare Ids)の場合、1686年以後はオーナーの名をとって、ブラックウエル島(Blackwell island)となったが、1828年、ニューヨーク市がブラックウエル家の邸宅を買収、その他の施設とともにニューヨークのランドマークとして3万2000ドルで買収した。

その後、この島は精神病院等に使われていたが1969年に前述のアーバン・デヴェロップメント・コープが99年間のリース権を得て、住宅街として開発した。

1971年、ウエルフェアー島は第二次大戦を勝利に導いたルーズヴェルト大統領(Franklin D,Roosevelt,1882~1945)の名誉のためルーズヴェルト・アイランドに改名された。

この島を理想的な住宅建築の集合地区とするべく1969年、審査の上、フィリップ・ジョンソン氏とジョン・バージー氏の建築事務所に委託され、島全体が略3つの区画に分けれれて、それぞれが違ったコンセプトによって個性に富んだ集合住宅が建てられることとなった。

北町が1989年に完成したが、南町は98年迄開発が遅れ、現在も建造中である。2013年の段階では1200ユニットの住宅が完成、そこにはスターバックス・コーヒー店や数々の有名レストランが名を連ねている。

島全体に於いて個人の車の通行は禁止され、四つの公園で整備され、2012年10月にニューヨーク州立公園「FDR Freedon Park」が完成を見た。

ルーズヴェルト島はクイーンスボロー橋の真下に位置する関係で、クイーンズ地区とマンハッタン地区から公営バスで直接繋がっている。乗客はバス停からエレヴェーターで島に降り立ち、そこから各自の住み家までシャトルバスを利用できる。

その他、この小さな島には2大学と立派な公立図書館(NY public library branch)を持つまことに近代的な美しいところで、東にはブロンクス、とクイーンズ地区、南にはブルックリン地区とスタッテン島、西にマンハッタン島の摩天楼の景色が広がる美しい環境のところであることが判る。

17世紀からの伝統ある遺跡的建造物を保護しながら、近代建築群と四つの美しい公園の自然を取り入れたイースト・リヴァーに浮かぶ「ルーズヴェルト島」は誰もが一度は訪れたいと思う理想郷のように思える。

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男女平等と女性参政権

Photo女性参政権」ポスター

男女平等と言う言葉は一体何を意味する言葉なのだろうか?

具体的に、同じ仕事をしながら同じ時間働いて得る賃金が男より女の方が少ないことを是正させる目的で提唱することに使われる言葉としかとれない。

明治11年(1878)、高知県の婦人が区会議員選挙の際、「一戸主として納税の義務を果たしているにかかわらず、唯、女だから選挙権がないのはおかしい」と楠瀬喜多なる婦人が県に訴えたが認められなかったので、内務省に異議を申し立て、二年後の明治13年(1880)、我が国で初めて、戸主に限って女性の参政権が認められ、その後、周辺の地域にも広がったと云う特異な一例を除いて、戦後まで女性の参政権は存在しなかった。

しかし、その当時、世界で参政権を認めていたところは、アメリカ準州であったワイオミングとオーストラリアが知られている位で、我が国はその点、進歩した国であったと言えるのでは?

アメリカでは1920年、ソ連、1917年、イギリスでは完全な女性の選挙権は1928年、21世紀に入り、未だに女性に選挙権がない国はヴァチカン市国とサウジアラビアと言うことになっている。

21世紀になっても、ヴァチカンで女性に参政権が認められていない理由には何か意味がありそうだが、世界の主なカソリック国家では、フランス、イタリアは日本と同じ年の1945年であった。ギリシャ、1952年、メキシコは1953年であった。

その他、スイス、1971年、ペルー、1979年、リヒテンシュタイン、1984年等である。

ヴァチカン市国家で見るように宗教で男女差別をすることは望ましくないし、(例;女性司教を否定)宗教の団結力でもって、女性の投票権を逆利用する政治活動にも反対である。

何はともあれ、宗教が国家の運営に影響を持つようなシステムを完全に排除する為、厳格な「政教分離」が貫かれなければならないと考える。

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電動三輪車の「テラモーターズ」

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東南アジア新興国でよく見かける三輪タクシーはフィリッピンでは、トライシクルと呼ばれ、2ストロークの小型エンジン付きで煤煙を撒き散らして市内を走り回っている人気の公共交通である。フィリッピンだけで350万台存在すると云われており、その他、インドネシアやインドでも多く見られると聞く。

日経新聞3月15日には「東京のテラモーターズ、沖縄で電動バイク販売本格化」の見出しで、ヴェンチャー企業のテラモーターズ(東・渋谷、徳重徹社長)が地元企業と提携して、県内に在庫の拠点、整備網を構築、主にタクシー向けに電動三輪車として販売を広めたいとの意向を表明したことを報じている。

これはガソリンエンジン車の50ccクラス以下に相当するもので、今後県内での販売を本格化して、ホームセンター、大手小売店やレンタカー店での取り扱いで県内で最初年間300~500台の販売を目指すとしている。

テラモーターズの沖縄での提携先は自動車整備向け工具販売専門の“ワールドワイド&カンパニー”(那覇市、中村也昭)。

家庭用の電源を使用して、一回の充電で40キロ走行可能、1台の価格はガソリン車と同じ、10万から15万円を目指す。糸満市にあるワールドワイド社の倉庫を在庫拠点として、中国、セツ浙江省で生産した電動バイクを搬入、以後、点検、整備に関しては同社に関係のある自動車整備工場に当らせる構想。

しかし、テラモーターズの将来の主眼は東南アジアやインドらの南方新興国であることは確かなように見受けられる。既にフィリッピン具体的な構想の元、現地法人の設立が具体化されつつあるとのことである。

どちらにしても、今後はEVの時代で安価で簡便、しかも無公害な交通手段が望まれるこてゃ確実で、テラモーターズの将来は明るく輝いているように見受けられる。

ただ、一回の充電で40キロしか望めない事には不満がいなめない。せめて、70キロから100キロの航続技術が欲しいところである。

写真;テラモーターズの「トライシクル」

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中国人民解放軍の内部事情寸評

Photo_2 鳴霞氏

最近、「中国人民解放軍知られたくない真実」鳴霞著を読むに及んで、驚愕を通り越して恐怖を覚えざるをえなくなった。

著者の鳴霞氏は1957年、遼寧省生まれの女性で、1982年、来日して、京都日本語学校を卒業後、2002年から「月刊中国」の主幹として、普段日本のマスコが扱うことのない中国の内部情報を精力的に発信し注目される。

2003年、アメリカで開催された中国問題国際会議、2006年にはオーストラリアでの国際会議、同年12月には、スイスでの国際人権理事会にもそれぞれ招待され「中国共産党」の特異性と人権問題を活動的に世界に広報している。元近畿福祉大学中国語科講師。著作には、「苦悩の中国」(文芸社)、「中国人民解放軍の正体」(日新報道)等がある。

特に鳴霞氏は最近の中国の日本侵略について緊急警告を発して注意を促していることを、平和ボケ日本人は真剣に考えを統一させるときにきていることを知るべきだと思うと発言している。

毛沢東時代の文化大革命では無産階級の無知蒙昧の人民を先導して、人民同士の虐殺行為が奨励されたらしいことは知れているが、中国共産党がどの程度まで凶暴であったかを具体的には我々は知らされていない。

2004年の「新浪ネット」による中国の全国調査では“地球上から日本人を消去すべき”との「民意」が圧倒的に多数で、これは、あたかも、第二次大戦中アメリカ政府が、オッペンハイマーとアインシュタインを利用して原子爆弾を作らせて「マンハッタン計画」を断行して地球上から日本人を抹殺しようとした行為にも似ていると鳴霞氏は述べている。(pp.60

人民解放軍が世界的に有名になったのは1989年の天安門事件からだが、自国民の大虐殺がさかんに行われたのは1966~76年の文化大革命中であった。

1967年盛夏、河北省雄県県城での事件が「記憶の中で最大の傷」と言う中国人は多いと云われる。

第38軍に従わなかった派閥組織の捕虜たちを、男たちは上半身裸で一列の状態でそれぞれ胸に針金を通して並ばせ、女達は肛門から陰部に通した針金をもって引っ張りながら歩かせ、北門城壁の処刑場で一斉に銃殺されたが、その理由は、ただ人民解放軍にしたがわなかったからだった。

文化大革命時代の10年間で、人間性が全く破壊され、それ以後は共産党にどれだけ忠実か否かで罪状が決まったと云う感じである。

日支戦争中の「南京大虐殺」があったかなかったかなどは彼等にとっては問題にもならないのではと思える。この事件についての鳴氏の感想は“蒋介石が三十万人の人民を虐殺したと云う共産党のプロパギャンダから始まったのでは?”と述べている。

共産党の残虐性に関して、鳴氏は、反右派闘争、大躍進、文革、第二次天安門事件と言うこの四つの事件に限っても、これにより直接的、間接的に殺された人は8000万名を超える。しかもこの数字には、スターリンの命令に従い、朝鮮の戦場に送られ死亡した数十万人の命は含まれない、現在でも共産党軍の恣意的理由で自由を奪われている人民が実に多いと鳴氏は云う。(pp.102

2010年9月、愛媛県西条市で29歳の中国人溶接工が日本人の青年を殺した際の理由が、知人の中国人女性がその青年に手を握られたと話したことだった。それだけで日本人の青年はその場で殺され、心臓をえぐりだされて庭に捨てられたと言う始末。

鳴霞氏によると、“親中派日本人が信用しないのは勝手だが、40年前の中国では大虐殺と食人行為が普通だった”、しかしその当時の遺伝子は今でも中国人の中に生きていると言いきっている。

その他、新疆ウイグル地区での何十回に及ぶ核実験のこと、建造中の原潜からの放射能モレ、核弾頭3000発と地下の万里の長城、(アメリカ、ロシアの核弾頭合計予想4000發)1980年代での中ソ国境紛争の頃の水爆実験でソ連軍の兵隊数千人が死亡したニュース、これまで竹のベールの内側で隠ぺいされていた多くのことをこともなげに紙面に明らかにする彼女の勇断には頭が下がる思いがする。

これ以上書きならべると如何にも宣伝とも取られかねないのでこの変で止めるが、何故自国民の誇りをかなぐり捨てて世界を股に、人類の正義を国際語で語りかけることに専心する鳴霞氏を応援するため、彼女の近著の内容を紹介した次第である。

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「ニクソン・ショック」の思い出

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ひさびさに「ニクソン・ショック」なる言葉を新聞で見た。(京都新聞3月7日夕刊)

そこで、それが何時のことだったのかを調べたら、「ニクソン・ショック」には二つの事柄が絡まっていることがわかった。

第一の「ニクソン・ショック」は、1971年(昭和46年)7月15日、アメリカ大統領(ニクソン)がその翌年の2月に大統領として初めて、中国の北京を訪問して、二国間の国交を開きたいことを発表して、“頭越し”外交が始まることを知らされたこと。

第二の「ニクソン・ショック」は、その一カ月後の1971年8月15日、アメリカ財務省が今後、ドル紙幣と金との兌換停止宣言(ブレトンウッヅ態勢の終結宣言)を発表したことである。

日本の経済界では、米ドルの価値下落で我が国の輸出に悪影響が見越されて、多くの大小の貿易商社が倒産した。

3月7日の同新聞紙面には、外務省が一般公開手続きを終えた日米外交文書72冊を公表して、その内の16冊は、その年の、昭和天皇、皇后両陛下のヨーロッパご旅行の途中に立ち寄られるアラスカ州アンカレッジ空港でのニクソン大統領との会見(9月26日)関係文書が含まれていることが判った。

当時の首相であった福田赳夫はニクソンの“頭越し”外交姿勢で不満であった上、天皇を一般外交の相手に使うと云うアメリカの外交姿勢にも腹をたてていたことの記載があり興味深く思った。

残余の56冊は、戦後の極東国際軍事裁判の記述や、開戦までの外交文書に関するもので、今後は、我が国の歴史家にとって興味深い事件の数々で満ち溢れているのではと思うと胸が騒ぐ思いがする。

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