« 中国の行方? | トップページ | 世界に羽ばたく中小企業2例 »

オクラホマとアンドリュー・ジャクソン

1830年9月7日アメリカ合衆国とチョクトー族の間で平和裏に条約が締結された。

この条約は“The Treaty of Dancing Rabbit Creek”と云う長い名前のもので、これはインディアンの地名の直訳でこのように呼ばれた。

第7代大統領、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson,1767~1845)はインディアンファイターの異名をとった武将タイプの人物で、最初、東南部の先住民クリーク族、セミノール族を死地に追いやったことで名をあげ、1815年にはイギリス海軍をニューオルリンズで打ち負かして、その武勲の結果、七人目のアメリカ大統領となった。

根っからのインディアン嫌いで、1803年に政府がフランスからルイジアナ領を購入した頃から、原住民をミシシッピー以西の原野に移動させ、ミシシッピー位東を白人のものとすることに熱意を費やした。

Dancing Rabbit Creek条約が発効したのは、1831年2月24日、それは原住民、チョクトー族(Choctaw Tribe)との間のインディアン移住条約(Indian Removal Act)に基くもので、この条約により現在のミシシッピー州にあったチョクトー国の領土、1100万エーカー(45000平方キロ)をアメリカに譲渡すると引き換えに、現在のオクラホマ州の土地、1500万エーカー(61000平方キロ)を得るとの条件になされた話し合いであった。

これにサインすることによって、チョクトー族は非白人最初のアメリカ国民とすると謳われていた。

南北戦争(1860~1865)以前に於いては、ミシシッピー川以西は未開の荒野と考えられて、アメリカ人にとっては無用と考えられていた。

実際のところ、これが白人と原住民との正式土地取引の最初で最後のものであったことが判る。

このインディアン移住法に従うことを拒んでいた、例えば、チェロキー族などは、1835年に発効したニューエコタ条約により強制的にオクラホマ地方に移動させられ、多くの悲劇を生んだ。(涙の道)

今のアイオワ、ミズーリ、カンサスとオクラホマ州などは、その頃では文字通り不毛の地で、いわば“地の果て”であった。

そこで白人は、現在のオクラホマ州を中心にした区域を“インディアン・テリトリー”と名付けて、原住民を一括、その地に隔離する意図で作られた法律であった。

ところで、どうだろう、1889年4月22日の正午を期して早い者勝ちの土地奪い合い合戦がオクラホマで始まった。

自作農法(Homestead Act)が成立(1862年)すると、入植者たちの土地解放の圧力に押されて、連邦政府はオクラホマ州中央部の190万エーカーの土地を原住民から400万ドルで買い取り、それを移住者に開放する事に決めた。

当日、1889年4月22日午前10時頃までにイヴェントが挙行された町、ガスリー(Guthrie)は土地を求める移住者で膨れあがった。

正午のラッパが鳴り響き、合図のピストルで騎馬隊が道をあけ、移住者たちは馬、馬車、幌馬車で全速力で走りだした。

公正を期するため、その日までは立ち入ることが禁じられていたとkろが、禁令を破ってすでに多くの不法闖入者(sooners)が入り込んでいた。

移住者たちは、我勝ちに希望した場所に杭打ちをして、町の土地登記所(claim office)で登録を済ませた。

ガスリーの町は一夜にして1500人の人口となり、オクラホマシティー(Oklahoma City)は1万人の人口の町となった。

それでオクラホマ州をスナーズ(sooners)と云うのは、“抜け駆けをする人”の意味、そこで、オクラホマのプロフットボール・チームの名“Oklahoma Sooners”と呼ばれている。

昨日(2013年5月21日)のニュースによると、オクラホマシティー周辺は未曾有の大竜巻に襲われたとのこと。

この場所に限らず、オクラホマ州周辺は荒漠とした土地で、毎年のように竜巻や干ばつに見舞われる全くの僻地、150年以前では到底、文化人の住める場所とは思われなかった。

このような地域を敢えて、インディアン居住区として割り当てたアメリカ政府の意図は、人道の見地から非難されてしかるべきだと考える。

|

« 中国の行方? | トップページ | 世界に羽ばたく中小企業2例 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/304622/51732473

この記事へのトラックバック一覧です: オクラホマとアンドリュー・ジャクソン:

« 中国の行方? | トップページ | 世界に羽ばたく中小企業2例 »