小学校での英語教育反対論
最近、新聞紙上で、「小学生に英語教育」と題する記事を読んで驚いている。
端的に云って筆者の見解はNOである。
何故なら、日本語もまともに話せない幼い子供たちには、先ずは正しい母国語と礼儀作法を教えるべきで、外国語を教える必要を感じないからである。
小学校に通える子供達は、たとえ幼児語であっても、すでに通常の日本語も話している。
5~7歳にもなればたとえそれが幼稚なものにせよ、お互いに分かり合える程度の母国語を操れるようになっている。
赤ん坊でも三つにでもなれば母親と会話ができるようになる。
何故、日本の大人達は英語が話せないないのか?
答えは簡単で、それは普段必要を感じていないからである。
確かに英語は今や世界語となり、いかなる学問にも、国際的にも。正に必要べからざるものになったことは事実。
明治維新以前から、日本の賢明な先人たちは、外国の進んだ文明や科学、機械工学、医学を学ぶため、海外から原書をとりよせて、先ず翻訳して実地に利用するようになった。
そのため洋書翻訳専門の職業まで生まれ、20世紀の初頭までには必要な専門書は殆どが日本語に翻訳され専門家や学者たちもそれらを読んで学ぶことができるようになった。
すべての日本人、子供から学者までがこれらの「翻訳書」のお世話になったがために語学の勉強がお留守になってしまった。
文学書も著名な原書は殆どが翻訳され、文学青年や少女達にも世界の童話や冒険小説までが翻訳語で愛読されている。
それで、「翻訳語」と言う特殊な言いまわしの日本語までが生まれた程である。
極端な表現ととられるかも知れないが、初歩的な英会話の内容は殆どが文法では説明の付きにくいイディオム(idiom)の羅列と言っても過言ではない。
これらは本当に厳密な表現では「英語」とは言えない、論理的に説明もできない文法度外視の「内容」の言いまわしが多い。
スラングやジャーゴンなどは別としても、普段子供達の使っている英語は大人の英語とは程遠いもので、それに、女子特有の話し方を教えるとなるとますます困難である。
日本語にもおんな言葉や男子特有の、女子には普段使用を憚る言いまわしなどをどうして教えるのか想像もできない。
無論、子供達に大人の英語を教える予定がないにしても、開始前にもう一度専門家を交えて再考を促したいものである。
| 固定リンク
コメント
小学校での英語教育反対論に同感です。
第一言語(日本の場合は日本語)のレベルが高い子には、高い第二言語が期待できます。
言いかえれば、「第一言語のレベルが低いと、社会貢献可能な・金を稼げるバイリンガルにはなれない。」ということです。
投稿: 坂本智恵子 | 2013年8月 4日 (日) 03時38分