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アメリカの野球の1ページ

Babe_ruth


 

東京ヤクルト・スワローズのウラディミール・ヴァンレンティーンが年間ホームラン記録を王貞治とあらそっている。(56本)

 

テレビで彼の表情を見ながら思うことは、ヴァレンティーンが人種差別を知らない日本のファン達の応援ぶりに満足感を覚えている様子が見えて来る。

 

 

 

ヴァレンティーンがホームランを放つ度に野球ファンたちは大喜びする。これはあくまで日本での記録更新の応援で、本家のアメリカでは過去に数々の記録を打ち立てている名選手がいたことは誰も知っている。

 

 

 

ベーブ・ルース(Babe Ruth,1895~1948)は1927年にニューヨーク・ヤンキースの外野手(右翼)として1年間に60本のホームラン記録をもっている。

 

 

 

1920年代は野球の全盛時代で、其の中にあってルースはヤンキースの連続7年優勝の貢献者と云われている。しかし彼の60本記録は1961年、同じくヤンキースの外野手ロジャー・マリスの61本によって破られた。

 

 

 

ルースの生涯714本のホームラン記録は1974年にハンク・アーロンによって破られた。

 

 

 

しかしベーブ・ルースのカリスマティックな存在はアメリカのメージャーリーグ史上に燦然とかがいやいて忘れられることはないであろう。

 

 

 

筆者が日本の野球のほほえましい一面を指摘するとすれば、それは、どの人種のプレーヤーも、だたて隔てなく歓迎して受け入れていることだと思う。

 

 

 

アメリカ野球は、ほぼ南北戦争の頃(1860-65)始まったと云われているが、勿論その頃では黒人は白人のリーグには入れなかった。

 

 

 

太平洋戦争が始まった頃から兵隊たちが戦地で白黒連合野球チームが非公式に開かれるようになったと聞いているが、MLBとして黒人を受け入れたのは、1947年4月15日、ジャッキー・ロビンソン(Jakie obinson,1919~1972)がブルックリン ドジャースの一塁手として採用されてからである。

 

 

 

アメリカで野球が始まって殆ど1世紀の間、人種差別の観念が破られずに過ぎたが、黒人の運動神経の優位性が始めて認められ野球事業の高揚のためそのカラー・ラインが破られる時代が訪れた。

 

 

 

ロビンソンはその後、6回のワールド・シリーズに出場(1949~54)、、1955年のドジャースの選手権獲得に貢献した。

 

 

 

彼が入団して2年後の1949年には黒人として最初のMVPに選出され、1962年には「殿堂」入りを果たし、黒人の英雄と称えられた。

 

 

 

2004年4月15日には全ての選手が彼の背番号“42”をつけてかれの名誉を称える“Jakie Robinson’s Day”が生まれた。

 

 

 

ベーブ・ルースはドイツ系移民であり、ロビンソンの一世代以上前の白人を代表する野球選手、方や、ロビンソンは黒人の英雄選手であったが、マーティー・ルーサー・キングの暗殺を境としてアメリカ人の心に変化が表れ始めた様子がわかる。

 

 

 

最近では日本人としてmvpに始めて選ばれた松井選手の引退式がヤンキー・スタディアムで行われ、アメリカも世界に開かれたアメリカ野球ぶりを見せている。

 

 

 

将来、ニューヨーク・ヤンキーズがイチローの日米共同の4000本安打達成にはどのように応じるだろうか?

 

 

 

スポーツこそフェアー精神を重視し、人種に偏見を持たない、そこに政治色が入り込まない世界でなくてはならない。

 

 

 

“ドーピング”は決して許されるべきでなく、日本で行われる2010年のオリンピックが歴史に名の残る立派な競技会になることを望んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真:ベーブルース

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